残されるより消え去りたい

 いつまで経っても別れに慣れない。
 最初の別れは祖父。ある日、中学校から家に帰る途中、祖父母の家の前を通ると、黒白の幕がかかっていた。戸を開け、中にはいると顔に布をかけられた祖父がいた。
 子どもの私には(おそらく祖父にも)結核と伝えられていたが、実際は肺がんだった。高校受験前に入院。そのまま死んだので、亡骸は見たけれど今でも入院しているような気がする。病院に行けば会えるような、退院したら帰ってくるような。
 母方の祖母の再婚相手である祖父は血縁にない。でも、ものすごくかわいがってくれた。雪の日は保育園までおぶって送ってくれた。モンキーに乗せて、いろんなところへ連れて行ってくれた。お祭りに行くと、普段両親に禁止されているジャンクなものを買ってくれた。忘れ物をすると家に取りに行って学校まで持ってきてくれた。
 大好きだから、もう会えないことを受け入れられない。今でも。35年経つけれど、まだ死んだ気がしない。

 叔母も、いつか帰ってくるような気がする。母の骨は、目の前のダンボールに入っているけれど。祖母も一緒に、4人で車に乗って若狭へお寿司を食べに行く。レインボーラインをドライブして、気比の松原をそぞろ歩き、やっぱり虹の松原を一緒に歩きたいねぇ、なんて言いながら。
 愛猫ちゃーこも、帰ってこないかなぁ。黒猫ツキも帰ってきて。で、祖父がコロと”ろくすけ”を散歩させて。母も叔母も一緒に、祖母はちょっと考えるけど、みんなで一緒に暮らそう。みんなで穏やかに、何もないただの日常をすごしたい。
 そんな夢みたいなことを、本当は願ってる。叶わないし、死後の世界も信じてないけれど、どうにかこうにか夢が現実にならないかと願っている。

 自分から縁を切った人たちをわざわざ思い出すことはない。父親が生きてるのか死んでるのか、どちらでもいい。姉がどこにいるのか、知らなくても困らない。悩み多き甥のことは気になるけれど、成長するにつれ、私よりも真っ当になっていってたからきっと今はちゃんと生きているだろう。そして私のことを、もう忘れてしまっただろう。
 唯一の友だちだった同級生も、テニスの仲間や大好きだった親方のことも、懐かしんで思い出すことはない。思い出は封印。自分で選んだことだから、ちっとも悲しくも苦しくもない。
 でも、自分で選んだけれど、ひとりだけ忘れられない人もいる。自分を救うために自ら縁を切ったけれど、「今、ここに彼奴がいたらば」「彼奴とこのことについて議論したい」と何度も思い出す。そのたびに、目を閉じ、彼奴とはもう縁を切ったのだと自分に言い聞かせる。そうして別れを飲み込むけれど、腑に落ちないからしばらくすると再び、「これを彼奴なら何と言うだろう」などと思い出してしまう。

 あと2週間もしないうちに、モリはここを去る。それから2~3週間後、最愛の人もここを去る。モリが留学を口にしたときから、ふたりともがいなくなると予想していたけれど、心の準備は全然できていない。明日、また明日と先送りしていたら、もう来週末には現実のものとなる。
 たぶん、二度とふたりに会うことはないだろう。ふたりそろって顔を見るのは、日曜日が最後。泣くのか笑うのか、それとも見送りに行かないのか。自分がどうしたいのか、どうするのか、まったく予想がつかない。
 腹を決めて見送りたいけれど、見送ったら別れを自覚する。もう会えないのだと認めることになる。それが怖い。
 人との別れはめずらしいことではなくて、その辺にいくらでも転がっている。いつ最後の日が来てもいいように「好きだ」「ありがとう」と伝えているけれど、実際は最後の日が来るなんて思ってなかった。一体、人はどうやって別れを受け入れるのだろう。

 この先、大好きな人たちとも別れのときがやってくる。できれば別れは私から告げたい。それも突然の死という、自分ではどうにもできない形で最後を迎えたい。
 そうでなければ、別れに耐えられそうにない。別れは苦手だ。

  

  

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