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モリのこと

 今でもこの出会いは奇跡だと思っている。モリにとってはなんてことない、いつもと同じ出会いだったのだろうけれど、私にとっては特別だ。彼と出会わなければ、今の私、タナカアキは存在していない。

 モリとの出会いは普通だった。普通の人だったし、普通の対応だった。いつ違和感を感じたのか、なぜ感じたのか、覚えていない。
 違和感の正体は、モリ本人の口からもたらされた。
「だってオレたち似てるもん」
 ああ、だからか。その一言ですべてが解決した。
 彼に一番近い存在に、似ているから嫌いなのだと伝えると、
「モリさんとアキさんは全然違う!」
と強く否定された。よくモリのことを知っていて、私のことを知らないからなのか、私のことも知った上でそう言ったのか。
 私自身、モリを見つめる時間が長くなればなるほど、ふたりの違いの方に目が行くようになった。けれど、それでもどこか、根本に近い部分で共通するものを感じる。
 モリ本人が、どう思っているのかは知らない。どこが似てると思っているのか、聞いたこともない。それどころか、あのときの一言が本当にそう思って言ったのか、それすら不確かだ。私がその一言を欲していると感じて言ったのかもしれない。
 そうだとしても、あの一言は間違いなく腑に落ちたし、差異に気づいた今でも間違いではないと思っている。

 モリには信者がいる。宗教ということではなく、熱烈な支持者という意味。モリの発する言葉が多くの人のネガティブな感情や思考、気持ちを救っているみたいだ。
 ”みたい”というのは、私はあまりよく知らないから。知り合って以降、何度か彼の書いた文章を読んだことはある。
「ああ、こういうの、同じだ」
と思ったこともある。
 彼には表向きの表現をしている場と、ひっそりと綴っている場がある。表向きの場では、端的に人の心を動かす激烈な言葉を発したり、その言葉を補う小難しい理論を書いている。一方、ひっそりとした場では、内省的で個人的な、体験にもとづく感情や思考が記されている。
 信者たちがどちらを読んでいるのかはわからないけれど、彼が信者を得るくらいに知られるようになったのは、やはり表向きのほうであろう。いわゆるバズったのだが、私は彼と出会う以前に読んだことはなかった。
 今もほとんど読まない。偶然目にすれば読むけれど、追いかけることはしていない。ひっそりと綴られている方が好きだけれど、そっちも最後に見たのがいつなのか覚えていない。
 文章を読むより、目の前のモリを見て、話す方がずっと大切だと思うから。

 モリと自分との一番の違いは優しさ。
 彼の他者への眼差しは、とても優しい。興味を持つときと持たないときがあるけれど、結局、どちらにしても優しく見守る。
 そう、先回りして手を貸したりはしない。見守って、助けを求められたら手を貸す。あれだけ観察し、頭をめぐらせ、先を読めるのに、先回りをしない。だから、彼の優しさはわかりにくい。
 一見、優しく思える人は、先回りをして助け船を出す。よく言う「○○しておいてあげたよ」。あれをモリはしない。
 いつだって、助けを求めると応えるだけ。もちろん、断ることもある。どういう基準で助けたり、断ったりしているのかはわからない。でも、私に限れば、本当に心底困った事態において断られたことはない。
 そして見捨てない。人に期待をしないからかもしれないけれど、求めるレベルにないものを渡されても切り捨てない。根気強く見守る。期待はしていないけれど、人への信頼は持ち合わせているのだろう。

 私のことはさておき、大切に思う人、好きだと思う人から求められると、たぶんモリは断らない。どんなことでも。たぶん、好きで弱い人に対しては、なおさら優しく、言葉がなくても欲していることを与えているように思う。特にさびしん坊には甘い。
 さびしん坊はふれあいを求める。肌のふれあいがないと、つながりを感じられなかったり、孤独に陥ったりする。だからモリは、さびしん坊にふれる。抱きしめたり、手を回したり、寄り添ったり。根本的な解決にはならなくとも、一瞬の安らぎは得られる。
 その行動が、ときに誤解を招く。誤解ではない場合もあるだろうけれど、一部は誤解だ。誤解され悪者になっても弁解することはなく、誤解が広まっていく。

 私はモリのような優しさや信頼は持ち合わせていない。
 性悪説論者なので、できるだけ人とかかわりを持たない。そういう姿勢だから、人から助けを求められることもない。
 ただし、先回りして手を出すことはする。これは優しさから来るのではなく、単に見えてしまったからなだけ。見て、気づいてしまい、自分がやれば早く終わる、解決する、効率的と思って手を出す。「やっておいたよ」とは言わない。ただ、自分がやりたくてやったことだから。
 さびしくて、孤独で、辛くて、誰かにそっと手を差し伸べて欲しい、話を聞いて欲しい、私を見て欲しいという思いを、私は拒否する。自分のことでいっぱいで、人に構う余裕はない。
 そして誰のことも信頼せず、面倒な人は切り捨てる。

 今、モリや私が住む場所には雪が降っている。これからまだもう少し降り続き、もう少し積もるだろう。
 雪が溶け、桜が咲き、タケノコ掘りをする頃、モリは旅立つ。少なくとも、あの蒸し暑くてたまらない夏よりも前に、新天地へと赴く。
 それからのち、彼は私のことを覚えているだろうか。また会う日は来るだろうか。そんなこと、どうだっていい。
 私がタナカアキであり続ける限り、私の中にモリは残っている。





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