見出し画像

私の実家

コミュニティというものが好きではない。
そもそも、コミュニティというものを知ったのは昨年のこと。それまでコミュニティというものとは縁のない生活をしていた。

コミュニティというものがなんなのか、はたして理解しているのか自信はない。誤った理解をしている可能性は大いにある。
それでも聞こえてくるコミュニティという言葉の耳障りが好きになれない。

界隈もそうだが、コミュニティには「属性」を感じる。そのコミュニティの発する波長と合う人だけが属する場。
つまりは、私は属することが嫌いで、どのコミュニティとも(というほど知っているわけではないが)波長が合わないだけだったりもするかもしれない。

波長が合うのは、それでいい。
でも、どこかで波長を合わせなければいけない雰囲気も漂う。合わない人以外には居心地の悪い場所である。
自分で選ぶ一方、コミュニティに選ばれる感がある。行き場を求めてたどり着いた人は、選ばれたくて多少無理したりするんじゃないだろうか。

私の暮らすシェアハウスの家主も、どこかの界隈の人なのかもしれない。とりあえずは地方で活躍するプレイヤーとして知られる人物。
彼の運営するシェアハウスは3軒あり、現在、おそらく準住民含め13人が住んでいる。明日、ひとりが去る。

私の暮らす家以外の2軒を訪れると、「誰?」とか「えーいたの!?」とか、見知らぬ誰かが住み始めていたり、以前の住民が帰ってきていたりする。

家主のポリシーは「来る者拒まず、去る者追わず」。
だから危険人物も滞在するし、いて欲しいと思う人も去っていく。
私が「怖い」と感じる人がこれまで数人来て、なんでこんな人たちを受け入れるんだろうと家主に対して不信感を抱いたことがあった。
家主自身も「得体が知れない感じがする」と言うのに、追い出そうとはしない。
それが、うちのシェアハウスにコミュニティっぽさを感じない理由のひとつだと思う。

合う合わないにかかわらず、誰でもOK。
出て行きたくなるまでいてOK。

間口が広いのだ。
それは住人の立場にも表れている。

現在、住人13人のうち、定職についているのは家主含め4人(ただし会社員は1人)。フリーランス1人、学生2人。残り6人(私含む)がニート。
私は細々とライティングをし、ひとりは動画編集やライティングをしているがそれだけで食べられず数か月おきに農業バイトに出稼ぎに行き、ひとりは吉野家でバイトをし、あとは不明。
家賃の回収ができるかわからないような人間を、全住民の約半分受け入れている。

以前の住人や、訪れたことのある旅人がしょっちゅう帰ってくる。
象徴的なのが、この「帰ってくる」。文字通り「ただいまー」と帰ってくるのだ。
そうして観光するわけでもなく、ただシェアハウス内でごろごろしたりして、「じゃあ、また帰ってくるねー」と出ていく。

もはや実家
ちょっと時間ができたり、いる場所で疲れたりすると、実家へ帰るようにこのシェアハウスに帰ってくる。のんびりすごし、今いる場所へ戻っていく。
東京で就職した子どもたちと、田舎の実家のような関係。

来る者拒まず、自由にすごせる。
なにかを強制されることはない。
車がなければ、今いる住人が一緒に買いものへ行ったり、駅への送迎もする。家族のように。
初めて住む人も、初日からお鍋にお箸を突っ込んで一緒に食べたりもする。私は遠慮するが。

この実家感も、ほかのコミュニティとは異なるのではないだろうか。
ともにひとときをすごす場所、ではない。
一緒に暮らす場所、出ていっても帰ってくる場所、なにもしなくてもいていい場所なのだ。

コミュニティじゃなくていい。
いていい場所、帰れる場所を求めている人はたくさんいる。
家族を求める人もいる。
そういう人たちがいられる場所。
それがモリハウス。




ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす