見出し画像

トロいから無思考、ではない

 友だちの名言を思い出したら、そのときの状況も浮かんできた。カップルの男性が寝てしまい、女性と私、そしてバー店主の3人で話していた。お酒からコルク、瓶へと話は移り、店主はいつものように果てしない蘊蓄を披露。女性はそれを同意しながら、私は「腹立つわー」と言いながら聞いている。
 なぜか話は流れて、言いたいことを言わないのはよくないという話題へと移った。かつて私はこのバー店主ともうひとりの友だちにガン詰めされ、ごもっともなことを言われ至極納得した。なのに、「自分の意見を言わないのは死人と同じ」と言われる始末。最後は笑って終わったけれど、強烈に記憶に残っている。
 それと同じことを改めて女性にも言われた。言いたいことを言っちゃうから、下の子たち(たぶん会社の)に嫌がられている。でも言いたいことは言わなきゃ。
 至極同意。
 今、付き合いのある人たちは、私が自分の意見を言わない派だと思っているのだろうか。あるいは何も考えてないと思われているのだろうか。

 私はトロい。スピード勝負では生きていけないトロさ加減。人に言われたことの本意(らしきもの)に気づくのが翌日、下手すれば一週間後ひと月後なんてこともある。
 若かりし頃は、売り言葉に買い言葉でケンカしたこともあった。まあそれは内容を吟味して自分の意見を言う、というよりは反証をあげて議論するというものだったが。
 たぶん今でも議論のための議論であれば即答できると思う。でも相手の言い分を聞いて、じゃあ自分はどう考えるのか、自分ならどうするのかを言葉にするには時間が必要。
 まず相手の言ってる内容を理解する。ここに相当時間がかかる。裏の意図がないものでも、言われたその場でわかるのは無理。そもそもその場では会話が続いているから、その全部が終わらないと考える材料がそろわない。
 そして大抵意見を求められる場にいる人たちと、思考手順というか論の展開というかが自分と相容れないため、理解に相当時間がかかる。シェアハウス内で、たとえば人生で一番信頼した人と議論していたときでも、こんなに困ったことはない。その人が私並みに頭がよくないことはなく、明らかに知性の巨人だ。今、私に意見を言わそうとしている人たちと比べても同等以上だと思う。(たぶんみんなで議論したら勝つ。勝ち負けじゃないけどね)

 私の興味の範囲は狭い。新聞を読まなくなって久しい。何を言われても新しいことが多く、まず知らないことを知ることから始めなくてはならない。
 知らないことだから興味深く「へーそうなんだ」と聞いている。ふむふむ、それでそれで。そうか、納得。
 現場でそこまでたどり着ければいいが、帰宅後に納得することの方が多い。つまり、議論の入口に立つのは、現場を離れてからなのだ。
 自分が時間を必要とするからこそ、私は人の話を待てる。言葉を選ぶ時間、まとめる時間、なかなか見つからない言葉を探す時間を興味を失わずに待っていられる。その間のその人の表情を見ているだけでもいろんなことが読み取れる。
 たぶんそこが私の強み。当意即妙は持ち合わせてないから面白味に欠けるかもしれないけれど、話を聞くことにおいては長じていると思う。だから人は私にあれやこれやと話すのではないか。(私を死人と言った人含め)

タナカアキの最初の友だちに褒められた!

 聞くと話すは別物で、話すと書くも別物。私は話すのがものすごく苦手で、聞くことが得意。聞いたことを理解するのに時間が必要。そして書かないと自分の意見をまとめられない。(だからコミュ障と言われたのか、と一週間経って気づく)
 自分の意見を言うのが怖い、弱い人たちと言われたことがある。さっと言えないとそう見られてしまうのだろう。そこをケンカする気はなく、だって私はトロいんだもんと口を尖らせる。
 でもね、人それぞれスピードは違うんだよ。今言わなくても、次会ったときには言えるようになってるかもしれない。だから、言わないからといって死人と同じだなんて言っちゃダメ。

追記:だからといって、あの夜のことを否定する気は毛頭ない。6時間もずっと私と私の住むシェアハウスのためにと考えて、助言してくれたことにものすごく感謝している。時間を大切にする人が私たちのためにそんなにも時間を費やしてくれたんだもの。いつもたくさん考えさせてくれて、考えてくれて、叱咤してくれて、期待してくれて、愚痴を聞いてくれてありがとう。



ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす