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アクセルとブレーキ

 運転において、ブレーキングに一番力を注いでいる。
 なるべくブレーキを踏まない。同様に、アクセルも無駄踏みしない。
 理想のブレーキングは、MotoGPの生ける神・ヴァレンティーノ・ロッシ。
 直線では、マシン性能が劣っていて敵わないけれど、コーナーのブレーキングで追いつき、追い越す。タイトなコーナリングで、ラインが美しい。ブレーキの効き始めから、立ち上がりのアクセルまで、無駄がまったくない。
 ロッシのようなブレーキングとライン取りを目指している。

 ブレーキングの鍵はアクセルだと思う。
 無駄にアクセルを踏まないこと。次のブレーキのタイミングを見計らい、そこまでの距離と今のスピード、この先のスピードの乗りを計算し、必要以上にアクセルを踏まないようにする。
 もしアクセルを踏み過ぎたら、ブレーキも踏まなくてはならない。踏まなくていいところで踏むのは、スマートじゃない。

 今日の出勤のとき、前を行く車のブレーキランプがちょこちょこ点く。
 ブレーキを踏み、アクセルを踏み、ブレーキを踏み、アクセルを踏み。これ、信号のない、田舎の直線道路の話。
 なぜブレーキを踏む? なぜアクセルを踏みすぎる?
 今、自分が何キロ出してるのか、確認しながら運転しないのかな?
 私はかなりメーターを見る方だと思う。細かくチェックし、常に一定のスピードを保つようにしている。下りでも。
 古い古いデミオくんなので、上り坂は苦手。スピードが死んでいく。そのときは、さすがにちょっと多めに踏み込む。それでもあんまりスピード乗らないけど。

 メーター同様、前後左右の確認も、かなり頻繁にする。
 前の車との距離、後ろの車の迫り具合、交差する歩行者信号の状況など、全体を把握しながら運転している。
 交差する歩行者信号が点滅していたら、こっちの信号が青になるのは近い。青になるときにブレーキを踏むことにならないよう、タイミングを合わせる。でも、独りよがりにならないよう、後ろの車の距離と速度も計る。
 そうして、最小限のアクセルとブレーキで運転している。

 運転に、その人の生き方が現れるといわれたら、めっちゃ納得。
 かねてから「ハレの日なんていらない、ケだけでいい」と主張している私は、見事に運転もそんな感じ。急なスピードアップも急ブレーキもなく、一定の速度を保つ。
 ハンドルとシートの距離詰めて、前かがみになってアクセルを深く踏み、ブレーキを深く踏むような運転とは無縁だ。ゆったり腰掛け、腕も肩もらくにして、なにがあっても自分でコントロールできるスピードで走る。
 あ、広い道で「50キロ」と書かれてても、見にくくて脇から出てくる車が多そうなところは、45キロくらいで抑えます。「50キロ」って言われたから50キロで走ってて事故しました、って通用しないからね。

 でも一方で、ブレーキングが最低限ってのが、私の人生ともリンクする。
 危険だと判断したら、きっと人はブレーキかけるんだろうな。私はかけない。自分でコントロールできると思ったら、ブレーキの必要はないもん。
 いや、人生において、コントロールできるできないは考えたことないかな。まあ、大丈夫で進んできた気がする。
 ってことは、ブレーキング、下手くそってことじゃないか。

 よく見かける、そないアクセル踏まんでもええんちゃう?ってところでアクセルを踏み、だから直線でちょこちょこブレーキを踏み踏みする人の方が、運転上手なんだろうか。そういう人は人生においても、トータルうまいこといってるんだろうか。
 ロッシのような美しいライン取りに惑わされ、私は公道を走るには不適切な運転をしているのだろうか。人生のアクセルとブレーキを誤ってきたのだろうか。

 でも、無駄なアクセルとブレーキを、私は踏みたくない。
 ロッシのように、ギリギリを攻めるコーナリングがいい。ギリギリで転倒することは、ロッシでもある。ギリギリすぎて、出口でふくらんでしまうこともある。あのロッシでさえ。
 だったら、私がうまくいかないのは仕方ない。いや、運転においてうまくいかないことはしたことないよ。ギリギリと判断したら、運転の場合は退くよ。
 ゴロワーズ・ブルーの車体で無敵だったロッシのように、人生を走り切ることができたらなぁ。無理とわかってても、目指してしまう。だから、こんなにえらい目を見る人生なのだ。

  

  

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす