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「大きい古墳と小さい古墳」の違い、の本音と建て前?
日本には大小さまざまな古墳が16万基以上あるとか
で古墳やお墓が大きい理由として
ニュースでは「権力の大きな豪族だった」とか
Wikiには「政治的な経済成果を上げていたから」などがあり
古墳やお墓が小さい理由としては
Wikiには「乱世でそれどころではなかった」とか
「武家の方が権力を振るっていた時代だったから」などがありました
歴史とか全く詳しくないド素人の素朴な疑問として
もっと他にもあったような気がするんですよね。
(例えば公に声を大に言えないような理由とかが)
例えば2000年前の弥生時代
この時代と言えば卑弥呼(日の巫女)のようなシャーマン的な存在で「農業の音頭を正確に取れる人」(今で言うJA農協?)がリーダーとして認められていたように言われる事が多いのですが、それだけじゃなかったような気がするんですよね。
もちろん最初はそうだったかもしれませんが、それだけでは集団が長く成り立たないんじゃないかなと。
昔は税金を「お米で取っていた」って習いますよね
(弥生時代は租税と言い収穫の3分の2、後の年貢の事)
で、お米を集めてどういう風に使っていたかご存じでしょうか
貯め込んでいても腐っちゃいますし、お米を集めまくって大王達が全部食べちゃう訳じゃないんですよ
あれは今でいう「富の再分配」に使うらしいんです。
例えば国民全員が農家だと「家も建てれない、船も作れない、川の整備も出来ない」という事になっちゃいます。
なので「農業を辞めさせて専門職や行政職をやらせお給料としてお米をあたえる」という手法をとるんです(貨幣が十分に流通していない時代の話)
そうすると、道具一つとっても農業の合間に手作りしていたレベルの物が専門的に取り組める訳ですから劇的に進歩します。
つまり
「年貢を沢山集められる」という事は
↓
「農業をしない専門職の職人を沢山生み出せる」
(田の数に依存せず人口も増やせる)
↓
「技術が進歩して道具も良くなり公共施設も整備出来る」
↓
「都市が発展する」に繋がる訳です。
それを貨幣がまともに流通していない時代なのに、この「持ちつ持たれつの輪」を上手く運営できたのが王族や豪族、天皇家の「元」なんじゃないかなと(だから民がいう事をきくようになった?)
(この時代の都市の発展とは豪華絢爛の事ではなく水道設備や道路や橋の整備や、治安維持の事)
という時代背景だと考えたとしても
「社会システムの運営が上手かったからそれを称えてお墓を大きくしてあげよう」とまではならないと思うんですよね
はたまた
「後世の人にも権力が強かった事を墓の大きさで示そう!」
だったら表札とか名札くらいつけるはず、なのに何もないですし
大きいお墓があったとしても庶民は素通りする(興味ない)
例えばピラミッドに手を合わせたしない、登って記念撮影して終わり。
かといって貨幣が十分に流通していないので
「お金があるから大きなお墓を作ろう」
ともならない訳です。貨幣を欲しがる人がいないから
で、歴史とか全く詳しくないド素人の安直な推測としては
「集めたお米、使わないと腐っちゃうし、何か公共整備に使おうぜ~」
っていうのがあったんじゃないかなと
現代でいうところの年末の予算調整で行う道路の補修工事でしょうか?
つまり豊作でお米が多い時は公共整備に人員を導入出来たと考えると
推測1:お墓の大きさは権力の象徴というより豊作の象徴?
特に弥生時代~古墳時代~飛鳥時代あたりはそいうのもあったんじゃないかな~と。
と考えると、現代でも「お金の再分配」と言わず
「富(豊)の再分配」という言い方なのにも合点がいきます。
(富の語源はお米が余ってお酒にするほどあるという意味)
推測2:それともう一つ、他の村から人を集め人口を増やしたい場合
「ウチの村に移住して来ればもっと大きな田んぼをあげるよ」だけでは人は移住して来ません、なぜなら田をもらっても最低でも1年は作物がとれないし、どうせ年貢を取られるだけだから(今でいう田舎の古民家プレゼント、みたいな話。結局は家賃と同じだけ固定資産税を取られるだけの不便なボロ屋)
なので「ウチの村に移住してくれば田んぼ付きの家(寮)ありで、
公共事業を手伝うと他県の給料の倍だぜ!しかもその日払い!棒茄子あり!」ってしたんじゃないかなと
かと言ってそんなに都合よく豊作の年にだけ整備すればいいような設備もない
そこで考え出されたのが「古墳やお墓に石を運んだり掘ったりの造営」
・なんせ墓主はもう死んじゃってるので工期の期日はないし文句も言わない
・不作の年は休憩しても問題ない、豊作の年に作業を再開すればOK
・肝心なところ以外は上手い下手が関係ない簡単な作業、誰でも参加OK
・お墓を作る作業なので手抜きする人も少ない
・お墓なので「そんな事に税金を使ってんじゃねぇ!」ってクレームもない
・大きさも自由自在、なんなら途中から大きくしてもOK
豊作で余ったお米で完全人畜無害のサスティナブル公共事業!
(それより昔は大きな石を積む方式でしたが無くなるんですよね、たぶん専門職が多く必要な上に庶民が手伝える作業が少ないから廃止になったんじゃないかなと、実際に途中でやめちゃった益田岩船という石がある)
当時の風景風土に思いをはせ(今風に言うなら脳内メタバース空間へダイブ)もし私が聖徳太子という立場(キャラ)ならそうやって富を分配する事で町のシステムを運営するかな~と言いたいところですが、上キャラからでは何も見えません、なので「私が当時のクソしょーもないヘボ庶民なら誰のいう事をきくかな?」と考えると見えてくるのかなと。
だって弓一本で完全犯罪の暗殺が出来ちゃう時代、偉そうに権力を振りかざして庶民を奴隷みたいに扱うヤツなんか瞬殺ですもんね。
だって弓一本で完全犯罪の暗殺が出来ちゃう時代、タバコ一本放り入れたら大火事になるような家、そんな時代に偉そうに権力を振りかざして庶民を奴隷みたいに扱うヤツなんかいたら瞬殺ですもんね。
「強力な権力を振るった?」は?やっちゃうよ?の時代であることを計算に入れて考えると、上記二つが表立って出てこない古墳やお墓に大小がある理由じゃないかなというのが私の推測、みなさんはどう思いますか?
※というような推測をして遊ぶのは簡単ですが、確証となる証拠を研究などで導き出すのはとても大変です。あくまでも安直な推測遊びという事でご留意くださいませ。
参考年表
弥生時代 前10世紀 – 後3世紀中頃
古墳時代 3世紀中頃 – 7世紀頃
飛鳥時代 592年 – 710年(貨幣はあるが一般流通はしていない)
奈良時代 710年 – 794年(貨幣の一般流通はこの辺からっぽい)
平安時代 794年 – 1185年 桓武天皇時代
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