見出し画像

死について考える【73日目】

1日空いてしまったが、毎日やるというよりは100日続けるほうが大切なので。そりゃぁ、忘れてしまうこともあるさ。

さて、本題に。といっても、何を話そうかと。

そういえば、最近レディ・プレイヤーを見て、そういうバーチャル空間で過ごすことも考えた。

バーチャルでの死が現実の死につながるかどうか。その映画はつながらないわけだが、もしつながるとしたら。ソードアート・オンラインのように。あれは不具合で起きたものなわけだが、でもそういうことになったら。バーチャルで生きるかどうか。ソードアート・オンラインは強制だったが、もし、自分で決めることができたら。

むしろ、バーチャルの方が危険なのではないかと思う。魔法とか使えるし。でもその分避けたり、HPがあって、即死はしなかったり。目の前に危険なモンスターが出てきてそれに対峙するのはなかなかの恐怖だ。熊を山で見る感覚だろう。恐怖しかない。しかし、それに対抗できる手段を持っていたら。例えば、武器やスキルだ。また、攻撃されても即死しないのであれば、それであれば、リアルの熊ではなく、それは動物園のダチョウくらいかもしれない。いや、ダチョウもなかなかに強いから厳しいけど、現実だと包丁を持って立ち向かうとか。銃でもいいかもしれない。熊はそれでも危険すぎるからダチョウくらいがちょうどいいであろう。

バーチャルで生きるというのはリアルだとそういう状況か。それでもかなり危ないと思う。だって、現実の世界でダチョウに立ち向かう瞬間なんて、そうそう来ないから。バーチャルだと、例えば、RPGなんかで街を出たらモンスターが出てくるわけだ。頻繁に出会う。むしろ、モンスターを倒してお金を稼いだりする。リアルだと、つまり、猟師になるわけだ。銃を持って熊を狩る。それも生きるためにだから、毎日のように。そう考えるとかなり危険であろう。死は本当に隣り合わせなわけだ。バーチャルだとそういう状況になるということであろう。

そうじゃないこともあり得るか。ほのぼのとした生活だけをする。だいたいそういうのは畑仕事をして自給自足の生活をするわけだが、それは現実世界とそう変わらないのでは?しかし、バーチャルだからできることもあるだろう。もちろん。むしろ、現実世界の制限に縛られずにゲームとして楽しむことができる。これほど良い娯楽はない。それはまた死とは関わらなそうなので、このくらいにしておいて。

死に関わりそうなのが、先程言及した、バーチャルで戦って現実でも死んでしまうという現象。それでもバーチャルにはバーチャルの魅力があるだろう。近い将来、そうした状況になるかもしれない。そして、どちらかを選択することになるかもしれない。そうした時に、自分はどちらに行くのか。なかなかこれもまた考察しがいのあるテーマだ。

そういった、バーチャルの空間に行ったら、無茶するのかというのもまた良い論点だ。現実ではできないからと。でも現実でも本当にできないのか、もう一度考える良い機会を与えてくれそうだ。今日は良いテーマだけを手に入れたようなそんな感じになってしまった。だが、それもまたいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?