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陳舜臣「秘本 三国志 4巻」読書感想文

想像になる。
曹操や劉備や呂布などは、芝居がかかった立ち振る舞いをしていた。

そう感じたのは、司馬遼太郎の「義経」を読んだときのことを思いだしたからだった。

義経が参上したときだ。
頼朝は、周囲の者が涙するほどの劇的な再会を見せた。

涙した者が、それぞれの陣営に戻ってからは、その場面を興奮して話す。
また皆が感動して涙する。

演劇が普及してなかった時代では、劇的な行動を見せることで多くの人の共感を得れたと、司馬遼太郎はタネ明かしをしている。

それを知ってしまうと、頼朝はそれに早くから気がついていて、数々の場面を見せている気がしてならない。

20万騎の武士の頭領となった頼朝の武器とは、ひとつに演技力だったのだ。


演技力ともパフォーマンスとも

平家物語」でもあった。
たしか、宇治川の戦いのときだ。

なんとか太郎というものが「オレは神仏で守られているから賊軍の矢など当たるわけがない!」と仁王立ちして叫んで、刀を抜いて進んでいく。

本当に矢が当たらないものだから、皆が「本当に神仏がついている!」と後に続いて突き進む。
強さというよりパフォーマンスだ。

家康だってパフォーマンスをしている。
関が原に向かう途中で行軍を止める。

「軍配を忘れた」という。
忘れているわけがないのだ。

皆が注目している中で、脇の小枝を切り取って、それを軍配代わりに振ってみせて「三成ごときはこれで十分だ!」と余裕を示して皆を感服させた、と雑誌で読んだ。

そういうところでいえば、この『秘本 三国志』で最強だと思われる呂布などは、要所で演技もパフォーマンスも見せている。
けっして無粋ではない。

多くの兵を従えたものも、強さだけでなくて、このあたりにあったかもしれない。

曹操も劉備も、演技力は人並み以上にあったにちがいない。
いちいち劇的なのだ。
好きだけど。

でも、そのたびに「役者だのぅ」と、なぜか関西弁でつぶやく読書にもなっている。

単行本|1974年発刊|288ページ|文藝春秋

初出:オール読物 1974年新年号~

※ 筆者註 ・・・ 読んだのは単行本のほうです。
画像は1982年発刊の文庫本となってます。

「秘本 三国志」登場人物相関図

※ 筆者註 ・・・ 本当は手直しして洗礼された相関図にしたかったのですが、獄中の読書録をそのまま撮ってUPに至りました。

西暦199年の状況である。
実力者の敗死や病死が重なり、勢力図が変わっていく。

漢帝国は自壊したも同然。
皇帝は名ばかり。

が、それを手中にしている曹操に正当性が生じている。

地理的にも、勢力的にも、中心にいるのは曹操である。

呂布、死す!

情勢が変わったのは、呂布の死だ。

曹操に敗れた。

中原の台風の目、異次元の武将、放浪する虎、戦場のモンスターの呂布が戦に破れて刑死したのだ。
生年不明のため、没年齢は不明。

徐州を併合した曹操は、一気に版図を拡大する。

徐州という地は、ここから400年前を描いた司馬遼太郎の「項羽と劉邦」でもたびたび登場する。

その昔から、交通の要所だったらしい。

ということは、穀物の集積地でもあるから、軍団を拡大するには欠かせない地域だったと推測する。

袁術の病死で陣営は瓦解する

同じく西暦199年には、あの、すっとこどっこいな皇帝を名乗った袁術も病死する。

44歳没。
袁術陣営は、あっさりと瓦解する。

ちょっと皇帝を名乗ったのが早かった。
平和になってからのほうがよかったかも。
やっぱ皇帝というのは、戦時では小回りがきかないようだ。

そう評してみると、まるで軍師になったようだ。
気持ちがいい。

で、曹操と袁術は、お互いに牽制し合っていた。
袁術の死は、曹操にとっては有利となる。

孫権は勢いに乗る

呂布と袁術が死去した翌年。
西暦200年。
江南の雄・孫策も死去する。

暗殺されたのだ。
ときに26歳。

3年まえの、袁術からの独立宣言が遠因となっている。
その戦いの仇討ちの暗殺だったのだ。

このあと、弟の孫権が首長に就く。 

『あれ?そんけんっていなかったっけ?』と混乱するが、父が孫堅、こっちの息子が孫権となる。

ときに、孫権は17歳。

首長となったのは世襲に近かったとはいえ、先頭で戦う武将でもあり、各地の豪族をまとめ上げた力量もある。

勢いに乗ったのではないか?

袁術が治めていた地は、首長となった孫権に併合される。

そのあとの孫権は、兄の孫策の暗殺に関与した黄祖と戦う。
これを討ち取っている。

河北の勇将・公孫瓚も敗死

幽州の首長の公孫瓚(こうそんさん)も敗死する。

西暦199年となる。
生年不明のため没年齢は不明。

平原の軍団長だったときの劉備も、いっときは臣従していた実力者の公孫瓚だった。

隣国の袁紹と戦ったり和睦したりしていたが、ついに敗れたのだった。

その地は袁紹の版図となる。

軍閥の面々は静観

はっきりしないのが軍閥だ。

皇帝が “ 東行 ” したあとの、いってみれば “ 抜けガラ ” のような漢帝国の支配地域に割拠している。

侵さず侵されず、といった姿勢か?

「くるならこい!」といった意気だけはあるが、のちの曹操の “ 西伐 ” で攻められる。
連合して防戦したが瓦解。

曹操に臣従するに至っている。

よくわからない劉表勢力

この、荊州の首長の劉表というのは、人物相関図には常に載るのだが、さほど動きがない。

いつまでたっても、どっちつかずだ。
儒学者とのこと。

仮想敵国となる曹操のほうも、北方面の戦いで手一杯。
南方面の穏健派の劉表にはかまってられない、という状況でもある。

官渡の戦いの後の西暦201年には、逃亡してきた劉備の一同を受け入れる。
領土の一部の守備をさせる。

そのあとの劉表は、西暦208年に死去。
68歳没。

後継者となった劉琮は、あっさりと曹操に臣従。
領地は召し上げとなり、劉琮は別の地の首長となる。

劉備の一同は、孫権の元へ逃げ込む。

西暦200年、官渡の戦い

曹操は、北方面の袁紹を打ち破る。
官渡の戦いだ。

領地の奥まで敗走した袁紹は、2年後に病死。
生年不明のため没年齢は不明。

これが決定打で、袁紹陣営は瓦解する。
後継者を決めなかったのがマズかった。

それに加えて、袁譚(えいたん)と袁尚(えんしょう)の2人の息子は仲がわるく、お互いの足の引っ張り合いをするばかりだった。

河北の地のほとんどは、曹操が治めることになる。

劉備の動き

やっかいなのが洛陽の献帝だ。

“ 東行 ” から4年が経ち、18歳となっていて、名ばかりの皇帝となっているのに不満がある。

悪あがきのようにして “ 曹操誅殺 ” の密詔を出したのだ。
これを受けた豫州の首長の劉備は、まずは徐州の首長を討つ。

で、袁紹の陣営に鞍替えする。

裏切ったかのように見せて、実は曹操と通じている。
どっちつかずのまま、官渡の戦いを立ち回る。

ややこしくもある。
劉備の動きが前後しているので整理する。

1巻から4巻までの動きは、簡単には以下である。

放浪 → 公孫瓚に臣従して平原の軍団長に → 陶謙を嵌めて徐州の首長に → 袁紹との戦い敗れて呂布に追い出され逃げる → 曹操陣営に加わり豫州の首長に→ 密詔の件により袁紹陣営に加わる → 官渡の戦い → 劉表陣営に加わり軍団長に → 劉琮の臣従→ 孫権陣営に加わる → “ 三顧の礼 ” で諸葛亮孔明を軍師に迎える。

もはや、一芸といえる。
この、身のこなしようを見習いたい。

官渡の戦い以降の人物相関図

曹操というのは、とにかく戦いをしかける。
弔い合戦の名目だったり。

陣営がバラバラにならないように戦いをしかけもする。
兵を養うための戦いもする。

戦いをすることで、ますます兵が集まって、曹操の勢力は強大になっていく。

そして、袁紹陣営を完全に潰すために、2人の息子の袁譚と袁尚の追討する。

泣けた白狼山の戦い

同盟は反故するのが当然

4巻で泣けるのは “ 白狼山の戦い ” だ。
「役者だのぅ」と、登場人物に向かってつぶやく読書の中で、ひときわ純粋さが目立つ戦いだ。

以下である。

陣営が瓦解したあとの袁譚と袁尚は、鳥丸族(うがんぞく・ツングース族)を頼って、その地に逃げこんでいた。

亡き袁紹と鳥丸族は、同盟を結んでいのだった。

鳥丸族は勇敢で知られる。
が、鳥丸族の長老は、2人を曹操に引き渡すまではしなくても追放する決定をする。

袁紹との同盟は、反故にするのだ。

長老は、部族の自立と生存を優先に考える。
鳥丸族に限らず、この時代の部族は、自分たちの利得を優先にして動くのが通常だった。

定着していた義の概念

長老の決定に、若者たちは反対する。
若者たちは、2人を守るために曹操と戦うことを主張する。
1度交わした同盟は破るわけにはいかない、というのだ。

長老は、若者たちを諭す。
大事なのは、今いる子供や、その子供たち。
部族が生き残る道を第一に考えること。
存続を揺らがせてまで、同盟を守ることはない。

対して若者たちは訴える。
それならば、なおさら曹操と戦うべきだ。
それが “ 義 ” である。

鳥丸族の若者たちは、義のために戦おうとしているのだ。

1度交わした同盟を、自分たちの保身のためだけに破ったとなれば、子供も、その子供も、そのまた子供たちまで、義を捨てたと笑い者になって生き続けなければならない。

漢の時代に、義の概念が定着しつつあった。
漢族から教育を受ける機会が増えていた結果だった。

長老は、新しい時代が迫っているのを知る。
若者たちの主張によって、曹操と戦うことを決めたのだ。

白狼山の戦いの不可思議な惨敗

ただちに数万の軍が編成された。

戦いには経験も必要だったので、歴戦の老将が軍の統率することになる。
若者たちからも信任が厚い老将だった。

鳥丸族の軍は、曹操軍に向かう。

が、鳥丸族は、白狼山の戦いであっさりと敗走する。
山の上の敵陣に攻め込んだのだ。
鳥丸族の老将軍も討たれた。

ありえない戦い方だった。
不可解な敗れ方に、曹操は首をかしげる。

老将軍の負ける勇気

老将軍は、わざと負けたのだった。

鳥丸族は勇敢である。
戦うとなれば、それなりの戦果は得れる。

しかし、戦果を得たとしても、それからも継続して戦わなければならない。

鳥丸族の若者たちはどうなるのか?
なんとか年寄りの首ひとつで許してくれないか?

老将の首を前にした曹操は、それを察する。

鳥丸族を深追いするのはやめて、多くの若者たちは生き残ることになる。

鳥丸族が敗れたことで、袁譚と袁尚は隣接する公孫康をたより逃げて、そこで討たれる。

仏教は戦乱と共に広がっていく

主人公の少容である。
60代になっている。

共に行動をしている陳潜は、40代となる。

2人は五斗米道を布教するために全国を旅して、一方では情報収集と政治工作をしている。

平和を模索していたのだ。
そのための全国統一をと、曹操の勢力に手を貸していた。

五斗米道の教えは広まっていたが、各地で仏閣も建てられるようになってもいた。

道教は、現世利益を重んじる。
死については、何の意味も与えてない。

仏教には、多くの民衆が飛びついていた。
死の恐怖を和らげるからだ。


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