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馳星周「長恨歌」読書感想文

歌舞伎町で出前するとなると “ か○平 ” だろう。
味よりも早さ。
蕎麦の1杯でも食べるか、時間ないけど、というときには “ か○平 ” に電話するしかない。

出前の人も「早い」に燃えているようで、歌舞伎町をカブで走り回っている。

次には、中華料理の “ ○楽 ” の出前も外せない。
深夜にハラがすいて、味が濃かったり、油っぽい弁当でも食べたくなるときには “ ○楽 ” に電話するしかない。

が、電話を出た相手は、日本語が話せない。
「オウ」とか「アア」くらいしか対応できない。
でも名前と弁当と伝えると、ちゃんと持ってくる。

その “ ○楽 ” は、歌舞伎町の未開発地域にある。
地権者が複雑なことから、木造家屋とバラックが密集している一角が未開発地域となる。

路地には “ ○楽 ” という店の看板は出てない。
錆びた鉄階段を上ってドアを開けると、映画で見るような中国の家庭の一室があるだけ。

日本語を話せるのはママだけ。
従業員は親戚縁者らしい。
ヒマなときは、奥の部屋で、中国式麻雀を皆で楽しそうにやっているという店。

店というより、人のウチ。
2部屋に、それぞれ1つのテーブルしかない。

ここで食べるメシが旨いこと!
歌舞伎町で内緒話をしながらメシを食べたい場合にも、おすすめしたい店。

・・・ 最初から逸脱してしまった。
読書感想文だった。

この本の副題には「不夜城完結編」とあるから、感想文よりも、檻の外に出たいあまりに “ ○楽 ” のことなど書いてしまった。

その “ ○楽 ” の背中合わせの位置に、小説「不夜城」の高橋健一こと劉健一のバーがあるからだ。
いや、あることになっている。

現実とは違う世界が、そこにもうひとつあるのだなと、いってみればパラレルワールドとして想像するのが楽しい。

厄介なのは、小説の世界を現実に当てはめようとして歌舞伎町に来る人。
そういう人が、なんやら事件をおこす。

たとえ歌舞伎町であっても、生活者というのは平穏に過ごしているもの。
“ ○楽 ” での内緒話だって、なんてことないエロ話の類。

“ そういう人 ” には「歌舞伎町が危ないなんて映画やマンガや小説の世界なんです」と声を大にして言ってやりたい。


歌舞伎町で事件がおきる理由

“ そういう人 ” 以外で、歌舞伎町で事件がおきるのは、空気がわるいから。
それだけとはいわないけど、そうだとしか思えない。

歌舞伎町は窪地である。
新宿駅方面からも、大久保方面からも、緩やかな坂になっていて、ちょうど風林会館あたりが底になっている。

100年前の歌舞伎町には、漁ができるほどの大きな沼があったと大家から聞いたことがある。
花道通りが蛇行しているのは、当時の川の名残である。

で、どのくらい周囲より低くなっているか?

手がかりは、新宿駅東口の改札から延びている地下通路。
東西連絡路から、サブナードを抜けて、歌舞伎町セントラル通りに出るまでの下がりの階段の数。

数えてみたこともあったけど、数は忘れてしまった。
目算でいえば、周囲との高低差は10メートルはある。

とにもかくにも。
この高低差10メートルに、いかに熱気が流れ込むことか。

あらゆるビルの空調設備の熱気が、ゆっくりと地面を這って流れ込んでくる。
飲食店からだって熱気は溢れ出ている。
車の熱気だって合流する。

新宿駅が発する熱だって這ってくるだろうし、反対側からはラブホテル街の蒸気だって這ってくるだろうし、もっといえば、人の呼吸だって摩擦熱だって這ってくるだろう。

歌舞伎町は窪地だから、風が吹かない。
いつまでも、流れ込んできた空気は溜まっている。
朝になっても、熱を含んだままで澄むことがない。

この底に溜まった熱っぽい空気。
湿気が鼻につく空気。
続々と流れ込んでくる重さのある空気。
息の詰まるような底辺の空気。

酒は飲みたくなる空気ではある。
呼吸が荒くなる空気でもあるし、その延長で、いわゆる女を抱きたくなる空気でもあるかもしれない。

夏などは、ねっとり肌にまとわりつく空気になる。
夏に事件が多いこととは無関係ではない。

しかし、その空気を描いてある小説を読んだことがない。
どの小説にだって、1行も空気は書かれてない。
1行くらいはあってもいいのに。

これだけ歌舞伎町を舞台にした小説があるのに。
長い間、歌舞伎町は題材として書かれているのに。
あちこちの小説の場面にも歌舞伎町は出てくるのに。

「不夜城」はおもしろいけど、細かに歌舞伎町も人も事件も描かれているけど、空気については1行も描かれてなかったことは覚えている。

単行本|2005年発刊|448ページ|KADOKAWA

感想

余計なものを読んでしまった、という感想だ。
「不夜城」のみで、終わらせておくべきだった。
なんのかんのいっても、それだけ「不夜城」がよかったともいえる。

だいぶ経った今になって、完結編を読んだからか。
それとも、続編を飛ばして完結編を読んでしまったからか。

わちゃわちゃと騒いで、ばんばんと人が死んで、あっけない結末というパターンに飽きているのか。

どれもかもしれないけど、シリーズ物というのは、年月を空けすぎてから読むよりも、一気に読んだほうがいいのかもしれない。

そしてくどいけど、あの空気が1行でも描かれない限りは、まったくの創作という気になってしまう。
人物についても「是非にあらず」と平静でいられる。

檻の中で読む身としては、懐かしさに敏感になっている分だけ、おもしろ味に欠けてしまった読書だった。

登場人物

劉健一(リウ・ジェンチー)

1962年2月13日、渋谷区生まれ。
父親は台湾人、母親は日本人。
日本名、高橋健一。

歌舞伎町の中国人社会の実力者となるが、あっけなく、その地位から追い落とされる。

そうさせた元配下の徐鋭の命を狙い、謀策を企てる。

徐鋭(シル・ウェイ)

歌舞伎町の中国人社会での新しい実力者。
劉健一とは敵対している。
以前に、劉健一の命令で、楊偉民を射殺した経緯がある。
楊偉民は身内でもあった。

そのときに、1万円冊を半分に切った “ 割符 ” を手に入れる。
“ 割符 ” は、地下銀行の印鑑代わりになる。
その持ち主は、台湾の朴一族の支援を受けることもできる。

“ 割符 ” によって地下銀行から金を引き出した徐鋭は、飲食店やマッサージ店を経営する実業家となる。

風林会館の銃撃事件がおきてからは、格方面から首謀者として命を狙われるが逃げ切る。

楊偉民(ヤン・ウェイミン)

台湾人。
歌舞伎町で薬局を営んでいる。
長い間 “ 割符 ” の所持者でもあり、歌舞伎町の中国人社会の実力者として存在を示していたが、劉健一に命を狙われる。

横浜の親戚の家に身を寄せたが、追ってきた徐鋭に撃たれて、理不尽なままに死亡したのであった。

“ 割符 ” は奪われる。

麗美

楊偉民の親戚の孫。
共に撃たれて死亡した。
とばっちりである。

郭昌信

横浜中華街の飲食店店主。
麗美の兄。

妹を失う発端となった劉健一に、恨みを持ち続けていた。
店に訪れた武基裕から、劉健一の隠れ家を知らされる。

怒りに燃える郭昌信は、妹の報復のために仲間を集めて、横浜から歌舞伎町へ直行。
劉健一の隠れ家となっているラブホテルを襲撃する。

武基裕

本名が李基(リー・ジー)で、愛称が阿基。
中国黒龍省の寒村の出身。
残留孤児2世を偽装して来日。
日本人となって15年が経つ。

歌舞伎町の不良外国人の下働きをしていたが、劉健一が後継者として目をつけていた。

ある日、風林会館の銃撃事件が発生。
たまたま現場に居合わせたことから、巻き込まれるような格好で犯人探しで動く羽目となる。

が、すべては劉健一の謀策であった。

村上

歌舞伎町の暴力団、東声会会長。
合成ドラッグの卸売を手がけている。

風林会館の銃撃事件がおきて立場が不利になり、武基裕に金を出して犯人探しをさせる。

が、武基裕から連絡を絶たれて激怒。
武基裕は、探されて追われることにもなる。

韓蒙(ハン・ヤオ)

中国福建省からの密入国者。
歌舞伎町を拠点に、合成ドラッグの密売をしている。
が、風林会館の喫茶店で銃撃されて死亡。

王華(ワン・ファ)

韓蒙の死亡後、グループの後継者として犯人探しをする。
が、グループのまとまりはなく難航する。
同じく犯人を探している武基裕と行動を共にする。

藍文慈(ラン・ウェンズー)

愛称は小文、小慈とも。
武基裕の幼馴染。
日本に渡ったまま、連絡がない武基裕を恨んでいる。

来日してからは、偶然に武基裕に出会う。
が、これは偶然を装った劉健一の謀策だった。

劉健一には、愛情を超えて心酔している。
命を受けて、徐鋭の愛人にもなっていた。

忠実に動くのだが、劉健一には「つかえない」と殺されかけるが、心酔は変わることがない。
劉健一の後継者になることを拒んだ武基裕を撃つに到る。

ラスト10ページのネタバレあらすじ - 武基裕のつぶやき風

※ 筆者註 ・・・ ちょっと脈絡がないような印象もしますが、全体の雰囲気はそんな感じです。わーわーと騒いでいるうちに人が死んでいって唐突に終わるという、日本であって大陸を思わせる流れです。

劉健一の死

「その顔つきからすると、お前もみるんだな、黒い夢を。やっぱり俺の勘は外れではなかった。お前は俺の同類だ」

撃たれて倒れた劉健一は、そう言って動かなくなった。

撃ったのは俺だ。
歌舞伎町のラブホテルの一室だった。
劉健一の隠れ家となっていた部屋だった。

特別仕様となっている部屋で、何台ものノートパソコンに、無数の携帯電話が置かれている。
劉健一は、この部屋で情報を集めて、俺を差配をしていたのだった。

ここに到るまでの俺は、歌舞伎町でおこった銃撃事件の現場に居合わせたことから、半ば無理やりに犯人探しに動いていた。

情報屋だという劉健一と、連絡を取りながら動いていたのだけど、これらも俺を後継者とするために、すべて仕組まれていたのだった。

郭昌信の襲撃

一緒にいた藍文慈と、いくつか話していると、部屋に続く廊下が騒がしい。
郭昌信の一団が、なだれ込んできていたのだ。

怒声と共にドアは強引に押し開けられた。
劉健一への報復だった。

が、劉健一は、血を流して床に転がっている。
死んでいるのは一目でわかる。

俺が撃ったと知った郭昌信は、報復を果たした恩人だと、お礼をしたいという。
俺と藍文慈は、横浜に招かれたのだった。

ラスト10ページほど

部屋をあとにした。
郭昌信に促されて、その車に乗る。
藍文慈が、そっと話しかけてきた。

「阿基は、健一になるの?」
「いや、小文もいったじゃないか。阿基は阿基だって」
「・・・」
「おれはこのままでいるよ」
「・・・」
「だれかの代わりにならないし、なれない」
「だめよ、健一は逝っちゃったもの」
「・・・」

お互いに囁くような声の会話だった。
乗った車のエンジンがかかる。

「誰か代わりをしないと。健一を殺した阿基がならないと」
「無理だよ、小文。誰もあいつの代わりにはなれないんだ」
「だめよ、阿基。阿基が代わりを務めなきゃ」
「わかってくれ、小文。おれには無理なんだ」

すると、動きはじめた車が突然止まった。
俺を探していた、東声会の組員だった。
駆けつけた多数の組員に、あっという間に囲まれたのだ。

「阿基ができないなら、わたしがやるわ」
「お前にも無理だ、劉健一に殺されかけたんだぞ?」

車のドアを開けろと、囲んだ組員は怒鳴っている。
郭昌信もわけがわからないまま、怒鳴り返している。
車は揺すられて蹴られた。

「いいの」
「まだわからんのか?お前は失格だと詰められたんだぞ!」
「それでもいいの!」
「小文・・・」

怒声が飛び交うなか、俺たちは話を続ける。
それどころじゃないのに。

「健一はね、この世でただ1人愛していた人を、自分の手で殺したんだって!」
「・・・」

藍文慈の話し方に、熱がこもってきている。
取り出された銃は、俺に向けられた。

「その女は健一とそっくりだったんだって!」
「小文・・・」
「さよなら、阿基」
「・・・」

銃声が、すべてをかき消した。
胸に衝動を感じて、そこから冷気が広がった。

目を閉じたままでいた。
劉健一が、笑い続けている。
劉健一は、正しいのかもしれない。

俺には、なにもわからない。
俺には、なにもかもがどうでもよかった。

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