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山崎豊子「約束の海」読書感想文

こんな小説は、はじめてだった。
未完なのだ。

しかも、1章を書き上げてから、これからの熱意を巻末で記してからの死去。

山崎豊子の秘書の追記があって、突然に死去が知らされる。
続きは断念したように書かれている。

すると、次のページからは、別の方が引き継ぐのだ。
【山崎プロジェクト編集室】として一応は完結する。

もちろん、未完の部分は大まかな内容。
ひとつの案として続きです、と何度も念を押しているのだけど、それですらグッとくる。


オレのバカ!

いつかは読みたいと思っていた山崎豊子。
はじめての山崎豊子の本だった。

もちろん「白い巨塔」「沈まぬ太陽」「華麗なる一族」という著作があるのは知っている。

でも、最初に「約束の海」と選んでしまった。
知らずに選んだとはいえ「オレのバカ!」といいたい。

山崎豊子は好きそうなテイストだし、かといって最初から長編はなんだから「この辺りだろう」と安直に選んでしまった。

この本は、いちばん最後に読むべきだった!
脇が甘かった!

未完のため、読者の想像に任せるという結末になっているのだけど、山崎豊子を知らないがために想像が膨らまないのが残念な読書に陥ってしまった。

単行本|2014年発刊|378ページ|新潮社

感想

すぐに「ああ、これはいい」と感じた。
文体が硬質。

前半は、潜水艦の作戦行動について描かれる。
こんなにも、潜水艦がおもしろいとは思わなかった。
“ 潜水艦小説 ” というジャンルがあるのかわからないが、潜水艦が登場する他の小説も読みたくなってくるほど。

コンクリート壁の3畳の独居房で読むから、なおさら潜水艦が沁みるのかもしれない。

檻の中よりも潜水艦は過酷だ。
潜水艦乗りというのは、神経が太くなければ務まらないと作中にあったが、だったら繊細な自分は性格的に無理だなと、今さらながら勝手に思えた。

後半は、衝突事故になる。
1988年の「なだしお事件」がモチーフとなっている。

登場人物

花巻朔太郎

海上自衛隊員。
28歳。
潜水艦「くにしお」の乗員。
ステレオでの音楽鑑賞が趣味。
クラシックにも詳しい。

遊漁船との衝突事故のあと、海上自衛隊を辞めようとするが説得される。
のち、ハワイへの米軍合同訓練に向かう。

花巻和成

花巻朔太郎の父親。
71歳。
ブラジル・アイチ自動車勤務。

元大日本帝国海軍の少尉。
真珠湾攻撃で捕虜となる。
そのため戦争の話を一切することがない。

著者の山崎豊子は、モデルとなる実在の人物を挙げている。
真珠湾攻撃で “ 日本軍第1号の捕虜 ” となった人物となる。

あまり知られてはないが、真珠湾攻撃では、5艇の小型潜水艇が魚雷攻撃をしている。
10名のうちの1名が捕虜となっている。
残り9名は戦死して “ 九軍神 ” として讃えられて国葬されたが、彼だけは記録から抹消されている。

山崎豊子は、30年の間、彼が気になっていた。
彼は1人だけで、武器を使わない戦争をした。
彼を書きたかった、と巻末で明かしている。

※ 筆者註 ・・・ 本書ではモデルの名前は明かされませんが、他書によってモデルは酒巻和男と知りました。

筧勇次

潜水艦「くにしお」艦長。
遊魚船と衝突して、死者行方不明者30名の惨事となる。
事故後の海難審判では、過失はないと主張する。

安藤茂

遊魚船の第1大和丸船長。
「くにしお」を非難する。

田坂了一

実力ある海事弁護士。
53歳。
海難審判の補佐人(弁護人)を引き受ける。

海運会社で労働争議の指導もしていた。
自衛隊に一太刀浴びせてやる、という意気がある。

泉谷

潜水隊群司令官。
救助作業を指揮。

辞意を伝えた花巻を説得する。
思い留ませた上で、ハワイでの派米訓練の人員に推薦する。

再発防止策を講じてから辞職する。

小沢頼子

26歳。
東洋フィルハーモニーの楽団員。
フルート奏者。

花巻と知り合ったのは上野駅のホーム。
人身事故で電車が止まった縁だった。

親切にされたお礼として、演奏会のチケットを送る。
当日は、花巻とお茶をするに至る。
周囲にいないタイプの花巻に好感を持ち、清い交際を重ねる。

潜水艦事故には、当初は報道によって失望するが、理解を示すようになる。
事実を知りたいと海難審判も傍聴する。

サキ

20歳。
横須賀海軍基地の前にある定食屋の看板娘。
花巻への好意を隠さない。

潜水艦乗りには独身者が多い。
留守ばかりして、多くを秘密としなければだからだ。
ディーゼルの臭い匂いも、体に染みこんでいる。

それをサキは十分に承知の上で、潜水艦乗りの嫁には適任だ、と自負する。

ネタバレあらすじ

潜水艦「くにしお」は東京湾を出た

潜水艦「くにしお」は洋上航行で沖合いに出た。
艦長は発する。

「潜航せよ!」
「特例事項の合戦準備をおこないます!」

乗員は数千に及ぶ弁やスイッチの点検に入る。
完全密閉状態の艦は海中に潜っていく。

「深さ100に入れ!」
「近距離目標なし、深さ100につきます!」

今回の作戦行動は4週間。
狭い艦内で、任務も生活もする。
魚雷の隣りにもベッドがあるほどだった。

太平洋を北上する

74名の乗組員は3交代制で当直につく。
艦長と副長は2交代のようにして、24時間で指揮をとる。

花巻が、指令所の当直になったときだった。

「発令所、ソーナー、魚雷音、80度」

突然にソーナー室からの連絡が入ったのだ。
潜水艦の戦いは先手有利。

「デコイ発射、いそげ!」

囮の魚雷を発射。
現在の魚雷は自動追尾するので、そのための囮の魚雷だ。

「魚雷方向変わらず!」

ソーナーからは連絡がはいる。
花巻は、どうすることもできない。

が、これは艦長による訓練だった。
発令所に姿を見せた艦長はいう。

教育と実戦はちがう。
デコイ発射のあとに魚雷発射をすれば、2発目はこなかった。
魚雷発射は、正当防衛で認められている。

深い海域に艦が沈んだら、原因不明のままとなる可能性は大きい。

それがあるから、乗組員の74名は、出航のときには遺書を司令部に預けているのだった。

ソ連の原子力潜水艦

津軽海峡を抜けた。
航路は日本海に入る。

また突然に、ソーナーから連絡が入った。

「不明音探知、22度感ヒト、これは新目標S140とする」

サンプルと照らし合わせて、音紋解析をする。
結果が追って伝えられた。

「発令所、ソーナー、S140、ソ連原潜の可能性あり」

ただちにスクリューは減速する。
当直も非番も、全ての乗組員が会話を止める。
マイクスピーカーは止めて、無電地の電話に切り替える。

トイレも使わない。
通風機も止める。
足音はたてない。

相手も減速している。
給水ポンプも動かした気配もある。
ソ連原潜に間違いない。

が、相手は、こちらを認識することなく航行をはじめた。
気が付かれないように追跡をして、不審な行動があれば、すぐさま警告する。
こちらの能力を知らしめるのだ。

海上にアンテナを出して、本部にデータも飛ばした。
解析の結果は、ウラジオストックから来ているソ連原潜。
こちらよりも6倍大きい。

半日の追跡があった。
航空機がきてからは、牽制用のブイを投下。
ソ連原潜は去っていった。

潜水艦衝突事故

「くにしお」は衝突事故をおこした。
三浦半島沖で、遊魚船とだ。

潜水艦には、救難という概念が元々ない。
脱出用ゴムボートしかなかった。
死者行方不明者30名の、最大最悪の事故となる。

テレビや新聞の報道はすさまじかった。
世論は、潜水艦への非難が集中する。

乗組員は見ているだけで救助しなかった、周辺の船に救助の要請もしてない、海上保安庁に事故の通報があったのは20分後、という状況があったからだった。

海上保安庁の捜査で、艦長は供述する。

ことが起これば、まずは上層部に連絡する習性が身についていた、そこから先は命令を待つという柔軟性のない考えに捕らわれていた。

多大な犠牲者が出たのは遺憾だが、操縦はまちがってなかったとも供述する。

遊魚船が引き上げられた。
そこには20名の遺体があった。
テレビや新聞の報道はエスカレートしていく。

海上自衛隊への非難は高まる

「くにしお」は係留されたまま。
乗組員は、艦の中で機器や装備のメンテナンスの日々。
幹部は艦内に留まり、海上保安庁からの連日の事情聴取を受けている。

海上保安庁の当たりはきつい。
普段から対抗意識を持っているので、ここぞとばかりに責め立てるのだった。

報道は、ますますエスカレートする。
花巻は『いったい自衛隊とは何なのだろう』とむなしくなってくる。

鬱屈した怒りもある。
自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣だ。
とはいえ、その総理以下の政治家も官僚も、保身に汲々として、隊員を犯罪人呼ばわりする。

花巻は上官と共に、遺族の元へ訪れる。
罵声を覚悟していたのに、冷静に対応されたことで、やりきれなくなってきた。

海難審判はじまる

海難審判がはじまった。
双方の主張は真っ向から対立する。
審理は長引くことが予想された。

事故のとき哨戒長付けだった花巻も出廷する。
傍聴席には、小沢頼子の姿もあった。

花巻は、自衛隊を辞めるつもりでいた。
が、辞意は保留されていた。

群司令官に説得されて、ハワイの米軍に派遣されることにもなる。
そこで米軍の原子力潜水艦に乗船して、最新鋭の装備に触れるのだ。

花巻は、気持ちが揺らぐまま部隊に戻る。
すると、隊庶務から郵便物を渡される。

小沢頼子からだ。
彼女が訪れている、西ドイツからの絵ハガキだった。
昨日、ベルリンの壁が打ち砕かれました、とあった。

ともかく任務を全うしよう。
それから、どんな決断ができるのかはわからないが。

彼女からの絵ハガキは、今後の道しるべのように思えた。

1章の完成のあとに著者が死去する

巻末には「執筆にあたって」という著者あとがきがある。
この1冊で1章が終わったのだ。

5年前から構想作り。
3年前から取材。
2年前からあらすじ。
1年前から執筆したという。

潜水艦の取材は難しいと明かす。
今までの小説の比ではないと、愚痴のようでもある。

それと30年前から気になっていた人物をモデルにして、本作に登場させているとも。

主人公のモデルはいない。
が、28歳なので、その分、どう成長していくのか考える喜びがある、とも記されて終わっている。

この日付けが、2013年7月。

すると、そのあとには、小文字での追記がある。
追記は秘書によるもの。
日付けは、2013年12月。

いきなりだ。
山崎豊子の死去が知らされるのだ。

「執筆にあたって」の直後、山崎豊子は死去した。
89歳没。

「約束の海」は未完になった。
これからというときに。

山崎豊子はどんなに心残りだったのか、と秘書は記す。
関係者に感謝の念を伝えて終わる。

「約束の海」その後

全体の大まかな構想は出来上がっていた

これで終わりかと思ったら、そうではなかった。
秘書とは異なる【山崎プロジェクト編集室】が「約束の海」を引き継ぐ。

経緯と状況は以下である。

全体の大まかな構想は出来上がっていた。
取材も完了している部分も多い。

2章については、2畳分の巨大年表も書かれていた。
3部では、日時表も作成されていた。

展開には、いくつかの案があった。
そのひとつの “ 案 ” として掲載する。
くれぐれも、ひとつの “ 案 ” である。
最終的には読者の想像にお任せとなる。

そのように【山崎プロジェクト編集室】は念を押しながら、結末まで大まかに、2章と3章を進めていく。

ひとつの案としての「約束の海 2章」

1989年12月。
花巻は、ハワイの米軍に赴任。
原子力潜水艦にゲスト・ライダーとして乗船する。

世界のハイレベルの技術があった。
次第に、意欲を持ちはじめていることに気がつく。

「日本軍第1号」の捕虜となった父親を知る人物にも会う。
決して話すことがなかった父親の過去を知る。

帰国してからの花巻は、海上自衛隊の幹部学校へ進む。
ハワイでの父の追体験をするうちに、戦争のもうひとつの本質を知ったのだ。

それは文明の衝突だ。
では、戦争をしない軍隊は、そのためになにができるのか?

愛媛県の三机の海で

長引いていた海難審判の裁決も、ついに出る。
双方に過失があったとの判示だ。

小沢頼子とは再会する。
花巻は、横須賀軍港を案内する。
彼女は驚く。

彼女は、アメリカのオーケストラからオファーがきている。
このあと「結ばれる」か「愛ある別れ」か、また別の展開なのかは不明である。

2章の終わりには、花巻親子は旅行にいく。
愛媛県の三机の海だった。
ここの海で、父親は特殊潜航艇の訓練をした。

「海を再び戦場にしてはいけない。それが2人だけの約束にならないように信念を貫きとおせ」

親子は海を見ながら、そう約束したのだった。

大まかな案のひとつの「約束の海 3章」

終章となる3章は、数年後からはじまる。

花巻の父親は死去している。

結婚もしている。
が、相手は小沢頼子なのか、サキなのか、それとも別の誰なのかは不明となる。

潜水艦の艦長にも就任している花巻は出動している。
舞台は、2004年の東シナ海。
相手は、中国の原子力潜水艦。
一食触発の事態となる。

危機を回避した花巻だったが、一部の政治家に疎まれる。
艦長の任は解かれた。

その事件から、歳月は経つ。
花巻は辞令を受け取る。
北京の、日本大使館付防衛駐在官だ。

赴任を決意したのは、父親と交わした、三机の海での約束があったからだった。

数日後。
北京国際空港には、降り立った花巻の姿があった。


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