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陳舜臣「秘本 三国志 3巻」読書感想文

ネタバレはよくない。
が、歴史小説ではアリではないのか?

史実というネタバレがすでにある。
まったく史実も知らない上での読書だと、意味がわからないので、軽くネタバレがあったほうが理解しやすい。

あと、知らないジャンルの長編小説の読書も、ネタバレで結末を知ってからのほうが、以外とおもしろいときもある。

それと昭和の小説は、いくら名著だといわれても、慣れてないうちは読みづらいものもある。

ネタバレを読んでからの読書も、少なくとも中卒にとってはアリとなる。

ミステリーのネタバレはよくないかも。

最新刊もネタバレもどうだろう?


『秘本三国志』人物相関図

3巻のネタバレを思いきりしたいのだけど、この小説はネタバレですら非常にやりずらい。
まずは、人物の行動が複雑である。

が、陳舜臣は、複雑だけど読ませる。
この小説で、ペンとメモを使いながらの読書もあると知った。

以下が、3巻の人物相関図である。

※ 筆者註 ・・・ 本当は手直しして洗練された相関図にしたかったのですが、獄中の読書録をそのまま撮ってUPに至りました。日付けをみると、どうやら正月に書いていたようです。3日間は白米食となって、みかんとお菓子が給与されて嬉しかったのですが、今はなんだか悲しい気持ちがするのです。

画面左側が、関中の漢帝国の支配地域。

右が、中原と河北と江南の独立地域。
反党卓軍として連合はしているが、それぞれが牽制をしたり対立したりとなっている。

西暦193年、漢帝国の情勢

情勢としては最悪。
定番の帝国末期である。

宮廷での李傕郭汜の主導権争いが激しくなったのだ。
天子派と公卿派の対立である。

以下の部分である。

帝都の長安では、小競り合い、放火、略奪が横行する。
もう、外部との戦いどころではないのだ。

この少し前に、軍部の実力者である呂布は、敵側の連合軍に逃げている。
亡命しているでもいいだろう。

まず呂布は、袁術の元へ逃れるが冷遇。
そして袁紹の元へ。

任された戦いで実績を上げるが、かえって危険人物として暗殺されかける。

のち、呂布は異次元の動きとなるので目が離せない。

西暦194年、五斗米道の状況

本編の主人公である五斗米道の本拠地は、漢帝国の支配地域である “ 益州 ”に位置する。

益州の首長は劉焉である。
五斗米道と協力関係にしたのは少容だ。

乱世での劉焉の出かたとしては、中立を保ちながら独立の機をうかがっていた。

が、劉焉は、長安の主流派を叩く策謀を進めて、漢帝国の第3勢力に支援をした。

これがバレて、息子を殺される。
のちに劉焉も病死する。

軍閥の状況

中国の歴史には “ 軍閥 ” という存在が度々登場する。
民兵組織といったところか。

権力には抵抗するし、武力を背景に独立はするのだけど、主義主張もとくになく、野心もなく、政治工作もせずといった、侵さず侵されずの集団が治める地域。
大陸ならではの存在だ。

漢帝国側の韓遂が軍閥といえる。
第3勢力となっている。

このタイミングで宮廷を攻めれば、帝国の息の根を止めることができそうなのに、そこまでは考えてないという状態。

少容の模索と行動

主人公の少容である。
優しい心を持つ女性が主人公なのが、この三国志を秘本にさせている。

陳潜と共に旅を続けて、情報収集を続ける。
行く先で依頼を受けて、長安から徐州へ人を送り届けたりもする。

白馬寺にも滞在して、仏教の影響も少なからず受ける。

以下が少容の動きである。

五斗米道は、世俗との関わりが深い。
少容は、戦乱よりも食料をと実際的でもあった。

天下統一を模索しているが、戦乱で苦しむ人々を救うためのものである。

曹操、38歳、勢力を広げる

漢帝国が弱体したことで、各地の実力者が、各自勝手に州や郡の首長を任命。

当然にして帝国側と並立する事態となり、相手を排除するための戦いがおきる。

実力行使で首長が決まっていく。
各陣営がそれぞれを支援をして、代理戦争の様相ともなる。

その流れで、新たな勢力となったのが、袞州の首長となった曹操だ。

少容の仲介で、青州の黄巾党の30万を配下とする。

兵は弱い勢力を去り、強い勢力につく。
勢力が大きくなるには、食料と兵が必要だった。

このあと曹操は、屯田兵制の創設もする。

劉備、32歳、策略で嵌める

このとき、劉備も、小さな軍団の長となっている。
北の平原のほうで。

曹操とは敵対していた。
が、正面からぶつかっては勝ち目がない。
劉備は策略を仕掛ける。

徐州の陶謙の軍を名乗り、移動中の曹操の家族を襲って惨殺したのだ。

怒りに燃えた曹操は、陶謙に復讐戦をする。
このとき、陶謙は61歳。

乱世には中立の立場だったが、知らないところで巻き込まれてしまったのだ。

戦いの準備をする陶謙は、劉備に救援を求めて同盟を結ぶ。
劉備の策略が嵌ったのだ。

攻める曹操軍は、陶謙軍の主力を破る。
徐州の住民は、数十万人が殺戮された。

このことで曹操のイメージはわるい。
が、犯人は劉備である。

このあと、陶謙は病死する。
その際には、徐州の首長の職は、劉備に譲られた。

おそるべし劉備である。

が “ 徐州の殺戮 ” で、曹操の陣営の一角が崩れた。
部下が、徐州の殺戮に疑問を抱いたためだった。
軍師の陳宮と、将軍の張邈だ。

曹操から離脱した彼らは、呂布と連合もして、徐州の首長となった劉備の元へ参ずる。
厚遇されて城郭を与えられる。

このあと劉備は、曹操と戦う。
凶作のため、勝負はつかないままに一時が過ぎた。

西暦197年の人物相関図

3年ほどで勢力図は変わる。
以下である。

※ 筆者註 ・・・ 位置関係は、最初の相関図よりも若干は正確になってます。中立や友好は少なくなって、敵対が多くなってきてるのです。

まずは、劉備の転落と、呂布の復権だ。

呂布、実力行使で徐州の首長に

劉備は、袁紹からの出兵の要請を断った。
これは敵となることを意味する。
徐州から打って出た劉備軍だったが、袁紹軍に敗れる。

戦っている間に、居城では内紛も起きた。
劉備は、内紛の首謀者の呂布に投降する。
徐州の首長の職も譲ったのだ。

呂布は武勇で知られる。
その元には、雑軍が集まって新たな勢力となる。

そして劉備の一同は逃げる。
袁紹も呂布も、脅威となったからだ。

逃げた先は、曹操の陣営。
変わり身の早い劉備である。

しかも、信頼もされて、豫州の首長を任命されたのだった。

西暦196年、漢帝国の皇帝も逃げる

漢帝国の献帝は困っていた。
宮廷の主導権争いが激化してきて、命も危ないのだ。

そこで、長安から洛陽に戻ることを決意。
元々は、洛陽が帝都だったのだ。
董卓によって、無理やり長安に移っただけなのだ。

皇帝の一行は、秘かに長安を出る。
逃げたのであったが、これを “ 東行 ” とか “ 東帰 ” と仰々しくもいう。

なんにしても、曹操が皇帝一行を迎え入れた。
曹操は、ちょっとした権威を手に入れたのだ。

孫策の独立

曹操におもしろくないのは、江南の雄・孫策である。

着々と勢力を広げていて実力もある。
が、中央の政治からは遠ざけられている感がある。

孫策は、江南の独立を宣言した。
それまで臣従していた袁術と戦いになる。

この戦いで孫策軍の諸葛玄が戦死する。
諸葛亮孔明の叔父だ。

ここで、やっと諸葛亮の名が登場する。
とはいっても、まだ15歳だ。

西暦197年、袁術が皇帝を名乗る

漢帝国の皇帝の東行によって、権威が失墜したことは想像に難くない。

ついには袁術が皇帝を名乗ったのだ。

袁術は、即位の式を挙げる。

さらに混乱は深まる状況となって、この『秘本三国志』の3巻は終わる。

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