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清水一行「苦い札束」読書感想文

清水一行の初期作品。
6つの短編が収められている。

『昭和の経済事件史』と改題してもいい。
50年以上が経った令和になっても、同じような事件がおきているのが考えさせられる。

※ 筆者註 ・・・ 以下、長めの要約となってます。もっと短くしようとあれこれしましたが無理でした。スキームを中心にした要約となってますが、本編ではもっと人間が書き込まれてます。清水一行作品に付き物の “ 女 ” も登場しますがカットしてあります。金額は当時のもので、現在に換算すると3倍から5倍に相当します。


ネタバレあらすじ

6編の題名と発表年、登場人物、モチーフとされている事件は以下となる。

【1】黒い社会(ブラックソサエティ) - 1967年発表
ゴルフ会員権乱発から端を発して、飲食店オーナーと金融屋と地面師が策を仕掛け合う。

新宿に建設された1億円のキャバレーは、最終的に誰のものになるのか経緯が描かれる。

【2】詐術集団 - 1971年発表
『エンサイクロペディア・B』社がモチーフとなっている。

同社はアメリカから日本に進出して、1セット25万の百科事典を売りまくり、欺瞞的商法として批判された。

フルコミッション(完全歩合制)の販売員が、あくどい会社に悩む様子が描かれる。

【3】仕事師 - 1967年発表
1968年(昭和43年)に、証券会社は免許制となる。

それを逆手にとり、株券担保金融グループが “ 1発屋 ” と呼ばれる株券詐取を仕掛ける。 

【4】9億円横領事件 - 初出不明
1971年の『滋賀銀行9億円横領事件』がモチーフとなる。
被害額を大きくさせたのは、役員の野心だったという視点。

女子行員が主犯となる巨額横領事件は、1975年の『足利銀行横領事件』、1981年の『三和銀行オンライン詐欺事件』と続いていく。

【5】裏街道の主役 - 1967年発表
1949年(昭和24年)の『光クラブ事件』が発端となる。
めずらしいことに、残党の三木仙也が、実名で主人公として描かれている。

三木は『光クラブ』の再現を求めるようにして、それから17年の間に次々と詐欺会社を興して人々から金を集める。

1985年の『豊田商事事件』へ続いていく兆しで終わる

【6】札束乱舞 - 1978年発表
大手製鉄会社の子会社が5億の手形のパクリにあう。

供託金が詰まれて、整理屋による債権者集会から開かれるが思わぬ失敗に終わる。

文庫本|1992年発刊|304ページ|集英社

■解説■
宗肖之介

【1】黒い社会

飲食店オーナーの大城

渋谷の『えび料理 奈留瀬』のオーナーの大城は、1口40万のゴルフ会員券を250口で1億円分を購入した。

500万の手形を20ヶ月に書き分けて切り、ゴルフ会員券は現金化して、月5分以上で回せれば収益となる。

そのように、発行元のニッポンカントリークラブの社長の友山に売り込まれてのことだった。

ところが、そのゴルフ会員券は乱発されていて、半年で20口しか売れない。
残り230口を担保に、3000万を金利月5歩で借り入れた。

貸したのは田茂。
本業は金融業。
キャバレーのオーナーでもある。

その田茂から、返済に窮する大城に案が示された。
貸金の担保で取得した土地が、新宿に200坪ある。
キャバレーをやるのだったら、この土地を貸してもいい。

条件としては、権利金が都合できないなら、地代を月200万と多めに払ってもらいたい。

キャバレーの建設費は、借り手の大城負担。
建物の保存登記は、田茂名義。

貸金の3000万も金利も、地代の月200万も、キャバレーが完成して営業をはじめてから収入で払ってくれればいい。

異存はない大城は『株式会社キャバレー奈留瀬』を設立。
施工を請負う『京北工務店』を手配した。

田茂、大城、京北工務店の社長、立会いの弁護士、これらで連帯署名をして、取り決めた条件を盛り込んで契約が行われた。

建設費は9500万のキャバレーが、5ヶ月の工期で建設されはじめた。

船越という地面師

が、着工から3ヶ月で、京北工務店は倒産。
大城は、新たな『練馬建設』と単独契約して工事を継続。

とすると建物が完成しても、京北工務店の倒産という不可抗力を盾にされたら、大城は施工完了書の引渡しを拒否できる。
田茂は、建物の保存登記ができなくなる。

すでに大城と練馬建設には、船越という地面師が策と資金を支援していたのだった。

その後の3者の計画としては、株式会社キャバレー奈留瀬を手形不渡りで倒産させる。

船越が債権者代表としてキャバレーを占有して営業するというもの。

が、一方では、船越はキャバレーの営業権を2億5000万で売り歩いていた。

大城と練馬建設との契約の際に、形式だけといわれて差し入れた『営業権利譲渡書」を売り抜こうとしている。

法的には無効にできる。
が、購入した相手が知らずに買ったと主張して、そこに大城も加われば裁判は長引く。

そうしている間にも、月200万の地代で営業権の実績ができてしまうと田茂にとっても不利益だ。

田茂は、船越に食われかけていると大城に知らせて、寝返らせた。

田茂の目論見

そうしてキャバレーは完成した。
船越の目論見に対抗するために、大城は練馬建設に9500万の代金を払う。

練馬建設としては最初の話とはちがうが、支払いには応じた。

が、支払いは全額手形。
練馬建設は渋るが、手形の裏書はニッポンカントリークラブの友山となっているし、銀行の当座にも9500万は確認できた。

株式会社キャバレー奈留瀬で6回の手形が切られて、練馬建設から施工完了書は渡された。

が、この手形は、1回目から不渡りとなり、株式会社キャバレー奈留瀬は倒産。

そのときには、株式会社キャバレー奈留瀬から、新会社の『奈留瀬キャバレー株式会社』へと経営権は移っていた。
社長は友山で、総支配人が大城となる。

練馬建設は、手形の裏書人の友山の元へ押しかけたが、ニッポンカントリークラブのゴルフ会員券を債権額分を譲渡することで債権は放棄された。

その後、キャバレーはオープンしたが、今度はニッポンカントリークラブが倒産。

多くのゴルフ会員券は、登録されてないために無効となる。
勝ち負けでいえば、田茂、大城、友山の3者は、船越に完勝したのだ。

キャバレーは、1ヶ月目からは赤字。
が、大城は、田茂から借入れ金の返済を求められる。

契約書には “ 収入 ” から最優先して、とある。
“ 利益 ” からではない。
黒字だろう赤字だろうが、1万でも収入があれば支払いに充当しなければならない。

「あなた、渋谷のえび料理奈留瀬につけた代物弁済承諾書をお金にすればいいじゃないの」

オネエ言葉の田茂はあっさりという。
大城は「あれは、おれの店だ!」とわめいたのだった。

【2】詐術集団

エンサイクロペディア・チャールズ社

エンサイクロペディア・チャールズは、アメリカの会社。
英語の百科辞典の1セット全24巻を、25万で販売している。

本文は英語で書かれているので、初心者にとっては実用性はないが、ブランドイメージはある百科辞典だった。

「高収保証!各種優遇!」という広告が打たれて、フルコミッション(完全出来高制)の販売員が募集されていた。

新人には1週間のセールス講習が行われた。
それが終わると、口々に「成功」を唱えるようになる類の講習だ。

それも3ヶ月経つと、販売員は3分の1しか残っていない。
大量に辞めていくが、会社は引き続き大量に採用している。

いくら採用しても、会社は損はしない。
入社希望者は講習代、テキスト代、身分証の発行代、セールス鞄の貸与代を払う。

百科辞典も、1000人採用すれば1000セット、10000人採用すれば10000セットは売れる。
多くの人を採用したほうが会社は収益となっていた。

販売の基本は、電話の使ったアポイント。
辞典の販売とは明かさずに “ チャールズ英語研究所 ” などと名乗り、英語についてのアンケートをとる。

相手に連続して「はい」と返事をさせて、最後に「チャールズはご存知ですか?」と持っていきアポイントを取り付けるとのマニュアルがあった。

マニュアルも、セールス講習も、フィラデルフィアの本社の大型コンピューターが計算したから間違いないと会社はいうばかりだった。

成績上位の柳川の販売方法

その日も販売員の高井は、オフィスで電話をかけてマニュアルに沿って営業をする。

120台の電話が並んでいる。
販売員は、1回10円の通話料金を会社に払っていた。

リストも1件8円で会社から購入するが、電話帳をまとめたものである。
通話料金もリストも、会社の収益になっていた。

「やつらのやり方は、有能な者は徹底に働かせようというものだ」

販売実績を上げている柳川は冷めている。
役職になる資格を得ながら、ノルマがあるからと辞退していた。

柳川は、販売方法を明かす。
1セット購入すると、外国人の人妻の写真も渡すのだ。
別料金で本人の紹介もする。

英語にコンプレックスを抱えている人は、外国人妻を抱くことで克服できると柳川はいうのだった。

まともにやっていては売れない、と高井は思い知る。

石川博美は悔しいといっていた

「奥さん、以前に三井生命の教育課にいた石川博美をご存知ですか?」

その日、高井は、セールスに出向いた先の奥さんに強く切り出した。

その石川博美も、チャールズ社の販売員だった。
「遊ばれた、くやしい」という相手の男の住所を聞きだして訪れていたのだ。

石川の婚約者だと偽ると、奥さんは細い両手で顔を覆った。
髪が微かに震えている。
知ってるのだ。

人妻を追い詰めていることに、残酷な喜びを感じた高井だった。

顔をあげて、夫は被害者だと信じてますと、はっきりと言ってきた奥さんだった。
石川によって、すでに家庭を壊された人もいるというのだ。

「貧乏したり苦労したりしながら家庭をつくっていくのも女の生き方ではないですか。それをあの人は、人様の家庭の夫に興味をお持ちになるのです」

一応の責任を果たさせていただきましたと、領収書も見せもしたが、無造作に100万円と記入してあった。

「しかし、夫にも落ち度があったのも確かです。高井様の気が済むのであれば買わさせていただきます」

高井は、その家を出た。
重心を失ったようにしてフラフラと歩いた。

今までに、会社をやめていった人たちを思い浮かべる。
脇にあった川に、セールス鞄を投げ捨てると、バシッと、川底からは黒い泥が飛び跳ねていた。

【3】仕事師

興信所代表の芝木

新宿の興信所の代表である芝木に、証券担保金融をしている銭村が30日で1億を稼いでみせるという。

無理だと冷やかす柴木には、御茶ノ水の『都商事』に席が用意された。
経理係として、帳簿を開いて仕事をするふりをして、そこで行われる “ 1発屋 ” の傍観者となったのだ。

都商事の社長は城中。
秘書役が1人。

高級な調度品の事務所には女子社員が2名いて、忙しそうに集金の電話を受けて、ハイヤーの集金もきたりする。
すべてがサクラだ。

そんな事務所には、証券会社の営業が訪れていた。
最初は、60円の株が3万株180万分が買われた。

翌日に株券は持参されるが、すぐに近くの喫茶店にいる別の証券会社の営業に渡されて、大引けで売られている。

4社の営業が毎日欠かさず訪れるが、それぞれは顔を合わせないように時間は指定する。

それぞれが自社だけと取引していて、株を買い込んでいる大口の顧客と思い込んでいる。

売り受けるほうも、処分売りをしている大口の顧客と思い込んでいる。

連日繰り返されて、注文する株数は日に日に増えていく。

4社と取引しているのは、1社で1億以上も引っかかったら死に物狂いで立ち向かってくるからだと芝木は聞いた。

御茶ノ水の都商事の一同が芝居を打つ

15日目に変化があった。
株取引は現金が原則だが、1部の支払いが小切手となったのだ。

急に客の融資の申し込みがあって、手元の現金が足りないという事務所をあげての芝居があった。

折りしも証券不況だった。
4社とも小切手には了承をした。

もちろん小切手は決済されて、その割合は少しずつ日に日に増えている。
4社の合計が1億円を超えるまでに26日が費やされた。

27日目には、城中は鎌倉に出張しているのでと、訪れた営業には注文はない。

28日目の3時過ぎには「今、鎌倉から戻ってきた」とオーバーを着たままの大城が事務所に姿を見せた。

待っていた営業には「鎌倉だったから銀行に間に合わなかった」と全額の小切手が支払われた。
柴木は心の中で「だまされるぞ」と叫ぶ。

29日目と30日目はヤマ場である。
新たな注文がされるころに、電話を受けていた女子社員が急を告げた。

「なに?鎌倉の客?今日中に1億を借りたいって?」

いま金庫にいくらある、銀行にどのくらいある、とやりとりが続いて、すぐに城中は鎌倉へ向かわなければならない。

すまんが全額を小切手にしてくれという申し出に、すぐさま小切手が切られて、それらの芝居は4社に行われた。

翌日の午前中に届けられた株券はすぐに売られて、4社の合計で1億3950万が銭村の元に集まった。

あとは都商事は倒産するだけとなるが、ここで第3者の『八重洲商事』が登場する。

都商事の経営不振を見越して、買った株はすべて八重洲商事の担保に入っていて、今まで売ったのも八重洲商事となっていると、芝木には説明された。

第3者の八重洲商事の轟が仕上げる

その日の3時すぎ。

小切手が落ちない都商事には、支払いがされてない株券を取り戻すべく、4社の部長やら支店長やらが押しかける。

証券取引所を通じて、事故株の記番号を追い、売主が八重洲商事と判明する。

すぐさま八重洲商事に押しかけて、株の売却代金を返還するように申し入れた。

が、社長の轟は応じない。
こっちには関係ない話、裁判してくださいと突っぱねる。

第3者を装ってはいるが、訴えられて捜査されれば詐欺罪が成立する。

しかし、証券会社は訴えることができない。
証券会社の免許制移行が目前に迫ってきている。

昭和43年の4月に、経営が適正な証券会社にだけ大蔵省から免許が下りることになっていた。

詐欺にやられたことが表面化すれば、免許が下りずに営業ができなくなる。

2日目、3日目になっても、引っかかったほうがわるいと轟は突っぱねる。

4日目は追い返した。
5日目に泣きつかれて、轟は譲歩する。

都商事から抑えた土地が福島に1万坪あると、それを回してもいいと、黒鉱がでるから坪1000円だと聞いていると仕上げにかかった。

ゼロよりは回収できればいいというお礼があり、3200万だったら3000坪だろという具合に譲られて、各社とも示談書に判を押した。

実のことろ、この福島の土地は坪15円で購入している。
つまり、3200万円を4万5000円で手打ちしたのだった。

銭村の言い分

すべてが完了して、御茶ノ水の事務所は解散した。
一同には、金一封が渡された。
城中には、新しい事務所が与えられた。

柴木はそこまで見届けて、めずらしく銭村から飲みに誘われたが断った。

確かに約束通りに、銭村は30日で1億を儲けてみせた。
しかしこれは、儲けた金といえるのだろうか。

明らかに掠め取った金である。
私は、認めることはできなかった。

「認めてくれる必要はありません。ただ、我々は、一生懸命に働く者だけが豊かになる社会に住んでいるわけじゃないんです。今の世の中で、よく働くのは地下鉄工事なんかの肉体労働者でしょう。では、彼らがいちばんに豊かでしょうか。必ずしもそうではない。彼らは貧しいという現実があります。知恵とアイデアがある者だけが、現に豊かに暮らしているじゃないですか」

銭村は、細い目に不気味な光をたたえて言ったのだった。

【4】9億円横領事件

近江銀行常務 上野秀治

近江銀行創業者の頭取の息子を “ ボン ” と呼ぶ私だった。
ボンのほうも「秀治、秀治」となついた。

よく手を引いて散歩したものだった。
引っ込み思案な上、泣き虫で、ひ弱なボンだった。

そのボンも成長して、京大から日銀に勤めて33歳になる。
戦後の混乱期も終わり、昭和30年に入っていた。

常務となっていた私に、ボンを呼び戻すと頭取はいう。
ついては、頭取が会長になると同時に人事を行う。

後継の頭取が、2期4年やったら、その次の頭取は私にするというのだ。

私の次の頭取をボンにしてくれないかと、先代のいいたいことはすぐにわかった。

次期頭取も合わせて3人で誓約書を交わして、それは履行されて、5年目からは私が頭取に就任。

12年間、私は頭取をした。
その間、ボンの競争相手を4人切った。

16年が経って、ついに先代意の遺志を継いで、ボンは頭取となった。
私は会長となる。

近江銀行洛東支店 定期預金係T

それから2年後。

洛東支店で、定期預金係のTによる横領が発覚した。
勤続25年になるベテラン女子行員だ。
支店長印の偽造という、手口としては古典的だった。

前任の支店長によると、預金証書の書き損じは目立った。
定期の解約も多かったが、書類は揃っているので通常の範囲だったという。

横領額は、現段階では2000万になる。
2000万は大金だが、5000億の預金量の近江銀行からすれば、たかが2000万でもある。
内々で処理すればいい額だ。

が、出席を求められた役員会でボンは、この件は公表しますと報告をはじめた。

そんな必要があるのかと問い糾すと、ボンは苦しそうに顔を伏せた。

そのときである。
ボンに白髪が混じっているのを発見した。
すでに51歳になるのだ。

不意に胸が詰まった。
いつまでも気弱なボンではないのだ。

自力で乗り越えなければならない試練だと、あとはなにもいわなかった。

それから日が経ってみると、この横領は様子がおかしい。
ちょっと調べただけで2000万と判明して、総額は2億は越すかもしれませんと、調査委員会の根本は報告する。

そんな計算が、横領にできるわけがない。
Tが横領しているのを知りながら放置したのではないか。

すでに週刊誌では『42歳の独身女子行員のつまみぐい』として書き立てられて連日の話題となっていた。

被害額が4億円を突破するころには、裏で指示していた男の存在も浮かび上がる。

現支店長からは、一種の減刑嘆願の報告もあった。
それによると、Tを移動させるように指示したのも、そのあとで取引を調べるように指示したのも根本だった。

おそらく前任の支店長も横領に気がついていた。
根本も知っていたのだが、ボンを追い落とす材料として時期を待っていたのだ。

頭取を12年やっていれば、それくらいはわかる。
こうなると、ボンにとっての試練だなどと、呑気なことも言ってられない。

ボンこと吉村寿男

私はボンを車に押し込んで、京都の祇園のお茶屋に向かう。
お座敷には、いつまで経っても慣れないボンだった。

1時間ほど騒いでから芸妓を下がらせた。

2人きりになると、私は「ボン」と呼ぶ。
ボンのほうは変わらず「会長」と呼ぶ。
「秀治」ではない。

「ボンは頭取をやめるなんて考えてはいけませんよ」

すでに横領額は7億円を超えており、やはりボンは、自身にも責任があると顔を引きつらせた。
こういう一本気な性格も心配していた。

「ボン、近江銀行のためです。野心ある者に銀行の経営をさせてはいけない。野心のために破滅する」

今度の総会で、私は会長を辞任する。
しかし、専務の小西も道連れにする。

そしたらボンは、根本を専務に抜擢しなさい。
そう今後を話した。

近江銀行は、合併する前の出身行の意識が、派閥を形成させている。

派閥の領袖の小西がいなくなれば、根本は今回の企ての目的を失う。
そうすれば、近代の合理性を持つボンが足元を固めれる。

ボンは、訝しげに首をかしげた。
人事の意図がわからないようだ。

それでいい。
これからの時代の頭取は、経営にひそむ醜態を直ちに洞察できる資質などいらなくなる。

最後になって、大学2年になるボンの息子は銀行に入れるのか聞いた。
途端にボンの表情が弾けた。

「秀治は2人いないからね、秀治は1人だ」

厳しい言い方だ。
がっくりと首を折ったが、不覚の涙が沸き上ってきた。

【5】裏街道の主役

『光クラブ』代表の山崎晃嗣

1949年(昭和24年)11月24日。
『光クラブ』代表の山崎晃嗣は自殺した。
当時26歳。

『すべては清算(青酸)借り(カリ)自殺』

劇的な青酸カリ自殺で、遺書にはそうも記してあった。

『光クラブ』は高配当で出資者を募り、中小企業に高利で貸し出す闇金融ではあったが、現役東大生が経営していると話題となっていた。

大衆から出資金は集まったが、自転車操業で2年で破綻。
多くの出資者が押しかける中での山崎の自殺だった。

『死体は焼却し、灰と骨は肥料として農家に売却すべし。そこから生えた木が、金の成る木か、金を吸う木なら結構である。』

遺書にはそうもあった。

それから17年後の1966年(昭和41年)11月24日。
『東京大証』という木が芽を吹き、大衆から金を吸い大きく成長していた。

社長の三木は、『光クラブ』の共同設立者。

手形割引を投資にするという新しい手法で、高配当を謳い資金を集めていたが、倒産が決定的になった。

社長は逃亡かと新聞にはあるが、銀座の喫茶店の奥の席にいた。
『東京大証』の幹部も集まっていた。

これからの混乱で、数十億円の手形がガラガラと動いて、1億か2億は転がり込んでくる。
集まった幹部は、どのようにするか画策していた。

三木は考えごとをしていた。
11月24日に意味を感じていた。
山崎が怒っている。

「人生は劇場だ」

そう言っていた山崎の17回忌に、食い散らかした残飯にかぶりつくわけにはいかない。

『光クラブ』が破綻してからの三木仙也

山崎の死後、三木は『東日本開発株式会社』を設立した。
皇族のK殿下を総裁につけた。
1ヶ月5万円の手当てだ。

有り金で広告を打ち、三木の文言が紙面に載る。

『月六分 安全確実 K殿下が指導する最高の投資』

大衆には皇族の名は効いた。
人々は会社を訪れて大金を置くと、預り証を押し頂いて帰っていく。

1億近い金を集めて、2ヶ月だけは配当を払い、あとは理由をつけて支払わない。

中小企業への融資もした。
が『東日本開発株式会社』は倒産した。

今度は『富士金庫』を設立した三木だった。
警視庁警部のAを社長とする。

有り金を広告に注いで、三木の文言が紙面に載る。

「山も富士、利殖もやっぱり富士金庫 警視庁幹部が安全運用」

3ヶ月で2000万、半年で5000万が集まる。
集めた資金は、今度は株に注ぎ込んだ。

が、1953年(昭和28年)のスターリン暴落で打撃を受け『富士金庫』は倒産。

類似の会社はいくつもあり、倒産は宿命のようだった。

「出資だから返還の義務はない」というこれらの業者の主張もあり、急遽、1954年(昭和29年)に出資法が成立する。
無許可で広く出資者を募ることが違法となった。

詐欺師 三木仙也

偽名で平穏に暮らしていたが三木だったが、新聞広告を頼りに小さな広告代理店に就職する。
入社して3ヶ月で “ ピンカール・サイン ” をヒットさせた。

美容室の店頭で見かけるグルグル回る看板である。
美容界の有力者の推薦を得て、三木は広告を制作した。

「いずれ世界中の美容院が、このシンボルサインを採用します」

“ ピンカール・サイン ” は急速に広まった。
大衆を説得して惹きつける能力が、三木には天与のものがあった。

急拡大の功労者となった三木は、社長の娘との縁談も出されたが、会社をやめて『東京経済研究所』を設立。

大衆に高配当の出資を呼びかける手法を裏返しにして、中小企業に低利で融資を呼びかける。

鍋底不況に巧みに乗り、借り手は殺到した。

が、融資は実行することなく、預け金、歩積み、金利前払い、と名目をつけて前払い金を集めるのだ。

契約不履行で訴えられて30件近い告訴を抱えるが、その間に証券担保金融の『大黒屋』を設立。

融資と出資の両面からの手法と変化して、一部は事件となり、逮捕と保釈を繰り返し『光クラブ』から17年が経った。

40歳を過ぎた三木は不満だった。
生前の山崎は言っていた。

「客、それは愚かな “ 置き役 ” だ」

もう大衆は利殖に踊らない。
大衆にアイデアを出しても空回りする。

大衆でなければ『光クラブ』ほどの強烈な快感がない。

客が階段を上がってくる音。
ドアが開く。

「金を預かってくれないだろうか」と客はいう。
目の前に現金が積み上げられる。
そのときの痺れるような快感。

それに比べたら。
今回の “ 手形割引投資 ” という新方式は物足りなかった。

たぶん山崎も。
不甲斐なさを憤っているに違いなかった。

叩き値で買い取られる手形

倒産する『東京大証』の債権者は、投資の対象として手形を持参している。

彼らは、手形の価値がわかってない。
紙クズとなる手形も多いが、その中には確実に決済できる会社の手形がある。

それらの会社の経理課をなりすまして、彼らの持つ手形を10万で買い叩く。
あとは手形屋に、額面の7掛けか8掛けで売る。

幹部たちの画策を、三木はほとんど聞かずに、まったく別のことを考えていた。
幹部の1人が、三木のつぶやきを耳にして訊きなおした。

「社長、月賦販売ですか?金の延べ棒でも売るんですか?」

次の新しいアイデアの主役は。
大衆の投資の主役は。
自分でなければと三木は決意したのだった。

【6】札束乱舞

明治製鉄顧問 竹俣文二郎

松一商店は、創業40年のスクラップ取扱い業者。
社員数250名で、大手の明治製鉄の子会社。

需要を見込んで、大量のスクラップを買い入れたが損失となって3億の資金繰りがつかない状況に陥る。

12月の半ばになっていた。
年内の融資は、どこも断られていた。

親会社の明治製鉄に泣きつこうとしていると、金融業者が現れた。
現金を1億円を持参していて、すぐに融資ができるという。

松一商店は、金利先付け分も合わせて、1億の現金と4億の小切手で計5億を借り入れて、500万円の手形を100枚切る。

しかし金融業者の4億の小切手は落ちることなく、そのまま倒産した。
松一商店の500枚の手形は、善意の第3者に流通する。

このままでは、決済できる目途がつかないまま、期日になれば銀行に手形を入れられて松一商店は倒産する。

対抗策としては、法務局に5億の供託金を積んで、裁判に持ち込むしかない。
とはいっても、手形法に則れば裁判では負ける。

が、2年でも3年でも対抗するという姿勢を見せることで、話し合いでの換金を急がせる目的がある。

しかし、供託する5億がどこにもない。
救済も求めた親会社の明治製鉄の社長は「今どき手形のパクリなど話にならない」と見切る態度をとっていた。

窮する松一商店に、明治製鉄顧問を名乗る竹俣が訪れる。
社長の従兄弟でもあるという。

すぐさま竹俣は、明治製鉄に交渉に向かい、全面救済を取り付けて戻ってきた。

松一商店の社長は涙を流して、約束の謝礼として500万が支払われた。

実は、竹俣はなにもしてない。
明治製鉄の総務部長の田辺と組んでのことだった。

明治製鉄の社長はああ言ったが、スクラップを確保するために松一商店を救済する方向でいた。

それを竹俣に教えて向かわせて、さも交渉したように見せかけただけだった。

謝礼は田辺と折半された。
こんな金儲けを2人は繰り返していた。

伝説となった債権者集会

松一商店の社長の信頼を得た竹俣は、5億の処理については先手必勝しかないと、その後も請け負う。

会社に問い合わせがあった5名の金融業者に供託すると告げて、債権者集会を呼びかけた。

債権者集会が開かれた。
松一商店の会議室には、予想外に20名が集まる。
進行役の松一商店の社長は、20名の怒声に動揺する。

これを、竹俣は見越していた。
整理屋としても実績がある竹俣だった。
進行役を交代して、社長には退席を願う。

パクリ屋の相場からいって、手形は額面の半値で買われている見当をつけていた竹俣だった。
現金を積んで、半値で即金での買取を提案する。

5枚10枚の大口の債権者は半値でドンピシャリのようだったが、1枚だけを持参している小口客は375万で買っていると声を荒げる。

半値の250万だと損をしてしまう、了承できない、手形を銀行に入れて破産をかけて社長の私財を押える、と場は荒れた。

竹俣は声をあげた。

「この私が必要ないなら、この金も必要ない!」

そのまま机の上の札束をわし掴みにして、封緘を切ると、窓の外に勢いよく放り投げた。

ばら撒かれた1万円札は、風に乗ってヒラヒラと舞い上がっていく。

駆け引きなしだと知らしめられた大口債権者が、まずは話し合いに応じた。

月5分の金利は付けてもらわないと泣くに泣けないと、1枚275万で話がついた。

場の流れを掴んだ竹俣には小口債権者も応じて、額面で2億8千万分の供託委任状がとれたのだ。

残り2億2千万分を供託。
手形が決済されないと知り押しかけた債権者からも1枚275万で買い取り、持参人が旅行中で解決がつかない3枚だけは満額にして、5億円分の供託委任状が揃った。

竹俣の目論見

竹俣は決して松一商店のためではなく、自身の利益のためにやっている。

伏線は打ってある。
全面救済の条件として、松一商店の役員には私財提供をさせていた。

松一商店を倒産させて財産整理をしてもいい。
供託委任状を明治製鉄に買い取ってもらってもいい。

が、愛人の投書で企ては失敗に終わる。
金で揉めた腹いせで、明治製鉄の社長に投書されたのだった。

社長の奥さんの旧姓が同じというだけで遠い親戚と名乗っていただけだった。

それでも10年以上も問題にされてなかったが、投書で調べられた結果、まったく無関係と判明したのだ。

竹俣としては、まとめあげた委任状は渡さないつもりだったが、明治製鉄の常務は「こちらでいかがでしょうか」と1億の小切手を提示した。

1億だったらわるくはない。
委任状を渡した竹俣は、もう明治製鉄にもこない、と言い捨てて常務室をあとにした。

しかし、あとになってよく見ると、1億に見えたのは1千万だったのだ。
1の横に0が8つに見えたが7つしかない。

老眼だ。
もう、この商売はやめたほうがいい。

酒を飲んだ竹俣は、よろけて倒れる。
ポリ容器をつかんだ拍子に、ゴミを頭からかぶって、わめき散らした。

その声は、数日前の、一瞬にして債権者を押えて鎮めた、あの張りのある声だった。

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