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オーストラリアワーホリ半年が経ちました

こんにちは。2023年11月よりオーストラリアのパースに滞在しています。ちょうど折り返し地点を経過して暇が出てきたのでnoteを開設しました。初回は自己紹介としてザッと状況を記していきます。

〜インド洋に沈む夕陽を添えて〜

29歳女。「人生で一度は海外で生活してみたい」とふんわりと思っていたところ、コロナに突入し暫く足踏みをしていました。2023年コロナが落ち着いてきたこと、また5年ほど勤めた会社を辞めようかと思うきっかけが重なり一念発起し渡豪。西オーストラリア州の州都であるパースに住んでいます。セカンドビザは取らず、2024年10月末に帰国予定です。

大学まで卒業したし、英語はどこかに埋まっているはずと信じて語学学校は申し込まず。2泊分のホステルの予約だけを取りパースにやってきました。レジュメも作っておらず、行けばなんとかなるだろう、そして必要に迫られないと頑張れないとこがあるので、心許ない状況のままオーストラリアに入国しました。

住居状況

Flatmateというアプリでシェアハウスを見つけ、渡豪から2週間後にやっとこさ入居できました。

住んでいたシェアハウスはパース空港近くの一軒家。週200ドル、部屋にはエアコンなし、ベッドなし。家具にお金を使いたくなかったのでオーナーがくれた3人がけのソファの足元を伸ばし寝ていました。今考えると何故その家にしたのか?不思議ですが、当時は家探しを継続するのがしんどすぎて、バス停も近いし文面から伝わるオーナーのいい人感を信じて入居を決めました。ロシア人同い年のオーナーは本当にいい人だった...

職場の人がくれた細いマットレスに寝ていた

しかしシェアハウス経験のない私には予期せぬタイミングで会話が発生する状況(ちょっとキッチンに飲み物を取りに行って小話せざるを得ない状況、など)が地味にストレスで、疲れ始めていた時に職場のボスから一室貸してくれると話が出たため喜んでシェアハウスを退去ォ!今は週250ドル支払っています。

借りている職場の客室

お仕事状況

出会う人々が皆かっこいい英語のレジュメを持ってるので一文字も書いてない私は仰天し焦りに焦りホステルで泣きました。自分が悪い。気持ちを切り替え図書館にこもる日々。

日本で宿泊関連のサービスを扱う会社にいたこともあり、ホテル向けにレジュメを作成。Googleマップで見つけたホテルに片っ端からメールでアプライ。プラスseekやindeedでもアプライ。50件以上アプライした気がします。5、6個面接に行き今の職場(リノベして再オープンするホテル)にフロントスタッフで入ることになりました(週25時間パートタイムでの契約)。

初めの2週間はまだリノベ中だったため、フロントで使うシステムを触ったりしつつ、備品の設置や部屋の最終チェック、掃除掃除掃除!など、やれることは手を挙げてなんでもやりました。初めての豪ドル収入に興奮して、たくさんシフトに入りたかったので。

初期はハウスキーピング人員が不足していたためガッツリ1日客室清掃をした日も(あまりにも遅すぎて向いてないことに気づき、人が増えた今はやっていない)。この頃の貪欲さは結構受けがよかったみたいで、「頑張っているから38時間(豪のフルタイム就労時間)のシフトを確保する」とボスから約束してもらえました。今は安定して週5フロント勤務です。

そして5ヶ月目の4月中盤から、スーパーバイザーにポジションがアップ。働きが評価されること、信頼して権限をつけてくれること、それが異国の地そして異国の言葉で起きていること、嬉しいです。

スーパーバイザーとはなんぞ?とボスに確認したところ「スーパーバイズするんだよ!」とのこと。監督するって意味らしいです。フロントチームがうまく動けているのか監督してなんやかんやする、、そういうことです。緊急事態には他のスタッフから電話がかかってくる場合があり嫌ですが時給が3ドルあがったので頑張るのみです。

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