新商品開発物語/スピンアウト前編

本稿は、創作物語を通し、新商品開発を分かりやすく紐解きます

chapter1

麗奈の携帯が鳴った。一年間の長期研修と称して、長らく出社していない沢村からだった。

「モニターの募集広告を出してくれ」

と沢村は告げた。

大学卒業後、大手の広告代理店を経て、下着メーカーHe&Sheへ転職してきた麗奈にとっては、お安い御用であった。

雑誌広告年鑑から目ぼしい媒体をピックアップし、発行数や対象や範囲や費用を比較検討し「月刊マネーの虎」に決めた。発行部数は5万部。

数万部の媒体は広告代理店を介さない。媒体元である出版社へ依頼することになる。


麗奈が出版社へ連絡したその日のうちに「月刊マネーの虎」の広告営業マンはやってきた。

「営業の斉藤祥太と申します。宜しくお願いします」

斉藤の年恰好をみて麗奈は思った。

(私と同い年くらいかしら)

麗奈は25歳。おそらく斉藤も20代中盤に違いない。

chapter2

打ち合わせの結果「月刊マネーの虎」再来月号のモノクロ1/3ページに出稿が決まった。締め切りまで、あまり時間は残されていない。

斉藤は言った。「締め切り日までに、メールでイラストレーター形式の原稿を送ってもらえますか」

出版社にもよるが、締め切り日を過ぎても一週間程度の余裕があることを広告代理店出身の麗奈は知っている。が、それは今は関係ない。伏せておいた。

「わかりました。でも、私、イラレが使えないんです。紙でイイですか?」

斉藤はギョッとした顔で「え?紙の原稿ですか?うーん、ドーかなあ」と首をかしげた。


それを聞いた麗奈は確信した。『この人は素人だ…』

営業マンの不用意な一言一言が積み重なって、怪しまれたり、不安がられたり、信用されなくなるのは何処の業界も一緒。

試しに尋ねてみた。「斉藤さんは、この業界、長いんですか?」

「去年、大学を卒業して就職しましたから、まだ一年ちょっとです」

「じゃあ、23~4歳ですか?」

「いえ、一浪一留しましたから、25歳です」

「あら!それじゃ私と同い年だ」

「え?本当?そう聞くと、なんか親近感が沸くなあ」

と斉藤は、ちょっと気を許したように笑った。歳を知ってナメたともいえる。


その雰囲気を察した麗奈は、ピシャリと言った。麗奈の顔立ちが物語るように、可愛らしいが、気は強い。

「じゃあ、斉藤さん。同い年ということで、ぶっちゃけ言わせてもらいますと、写真やアミ点がなければ、紙の入稿で大丈夫なハズです」

アミ点という用語を聞いて斉藤は『こいつ、素人じゃないな』と思ったらしく、

「わかりました。印刷所に聞いてみます」

といって帰っていった。

chapter2

翌日、斉藤から電話が入った。

「印刷所に確認しましたところ、清(きよ)刷りなら、紙で大丈夫だそうです」

『当たり前よ』と麗奈は思ったが、口には出さず、

「そうですか。では、締め切り前までに原稿を郵送します」

と言った。てっきり「郵送しなくても、こちらから受け取りに行きます」との答えが返ってくるものとばかり思っていたが、斉藤の答えは、

「宜しくお願いします」

だけだった。麗奈は、

『きっと、モノクロ1/3ページで10万円という安い枠だからに違いない。これが数千万円の仕事だったら、原稿を受け取りに飛んでくるだろう』


原稿どころの話ではない。大手のクライアントが「東京ドームのバックネット裏で巨人戦を観たいな」といえば、チケットを届けに飛んでいく広告代理店もある。

ドームの巨人戦のバックネット裏といえば、プラチナもプラチナ。「観たい」「ハイそうですか」で取れるものではない。

だからこそ、野球や大相撲のチケットは、観ようと観まいと、企業が定期的に買っているのである。接待や必要悪という見方もあるし、潤滑油という見方もある。


麗奈が在籍していた広告代理店も、そうだった。ナショナル・クライアントは腫れ物を触るかのごとく丁重に扱う。

ところが、一度や二度、10万や100万そこそこの媒体を買う程度のクライアントは歯牙にもかけない。

金額によって顧客を分ける考え方は間違っていないにしても、人には口があるため、その顧客対応が口コミに乗って伝わる危険性があることだけは確か。

顧客満足の観点からいえば、この場合の斉藤は、たとえ10万円の小さな仕事であっても「受け取りに行く」と答えるのが正解であろう。

一円を笑うものは一円に泣く。それと同じように、10万円を笑うものに一億円の仕事は入ってこない。

chapter3

その数日後、麗奈のパソコンに一通のメールが届いた。

「広告の進行管理を担当させて頂きます上野なつひと申します」

そこには、進行スケジュールと共に、

・原稿はイラストレーターで入稿すること

・締め切りが守られない場合は、出稿できなくなること

などの規則が一方的に宣言されてあった。

『何よ?これ』

営業の斉藤が窓口であるはずなのに、その斉藤から連絡もないまま、担当者が替わるという。


しかも、斉藤と打ち合わせ済みだった紙の入稿が、イラストレーターになっている。

さらに、一方的な通告。打ち合わせも会話もヘッたくれもない。これでは機械相手に仕事するようなものである。顧客を人間あつかいしているとは思えない。

『バカバカしくて、こんなの、覚える気にもならない』

と麗奈は、あきれ返ってメールを閉じた。


進行管理の上野が、自分の仕事に忠実なのは分かる。しかし、自分の都合だけを押し付けて、それに顧客を従わせるのが仕事の正しい進め方であろうか?

誰のために仕事しているのか?

給料を稼ぐためか?社内で認められて出世するためか?

『お客さんのために仕事をしているという基本を忘れちゃならない反面教師ね』
と麗奈は溜息をついた。

chapter4

麗奈は忙しい。

上司の沢村が長期にわたって留守の今、マーケティング部の中で、たった一人の製品開発課員である。

その日も、昼食を採る時間さえないまま、半ばパニック状態に陥りながら仕事していると、仕事を邪魔するかのように外線電話が入った。

「月刊マネーの虎の広告を担当させてもらってます、上野なつひです」

「はい」

「メールは届きましたでしょうか?」

「メールって、あの、締め切りがドーとかコーとか書かれたメールですか?」

「はい」


「一週間くらい前に、届いてますよ」

「そうですか。だったらイーんです」

「は?」

「ご連絡がなかったので、もしかしたら、お読みになっていないのではないかと思いまして」

「はあ?」

空腹と多忙で、疲労の極限に達していた麗奈はキレた。


「連絡がなかったとおっしゃいますが、メールを読んだら、読みましたと報告しなければならないんですか?」

「いえ、報告しなければならないというか、読んだかどうか心配だったもので」

「どうして、こちらから報告しなければならないんですか?」

「……」

「そんなに心配だったら、メールを送ったから読むようにと、そちらから連絡してくるのが普通じゃありませんか?一週間も前のことですよ?」

「……」

「ついでに申し上げておきますが、原稿はイラストレーターではなく、紙です。営業の斉藤さんから聞いていないんですか?」

「え?いいえ、初めて聞きました」


「御社では、営業さんと進行さんのリレーションは一体どうなっているんですか?」

「……」

「ちゃんとお願いしますよ?大丈夫ですか?」

「は、はい」

麗奈は受話器を置きながら『プロの名刺をもった素人と仕事するのは、キツイ』と思った。

しかし、これは、相次ぐトラブルの、ほんの手始めに過ぎなかったのである。

いったい何が起こるというのか?
後編へ続く

新商品開発物語/スピンアウト後編
https://note.com/tanaka4040/n/n2edd2c4dfe90

商品開発物語
https://note.com/tanaka4040/n/n8cff20133961


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