商品開発物語

(この物語はフィクションです。実在する人物や会社とは関係ありません)

chapter1

「セクシーに売れ…かあ」

一樹は、背もたれに上体を預けて天井を見上げた。

「そんな売り方ができるんだったら、やってみたいもんだね」

ウェブサイトに載っていたセクシーな画像を思い出してニンマリと相好を崩す一樹の背後から、いつの間にか近づいてきた田中麗奈が一樹の顔を覗き込んだ。

「何をニヤニヤしてるんですか?沢村さん」

見上げる無機質なオフィスの天井が、麗奈の顔に変わった。可憐でありながらも意志の強そうな凛とした顔立ちを微笑ませつつ麗奈は、

「また何か、いやらしいこと考えてたんでしょう?」


と、疑いの眼差しを向けた。一樹はあわてて、

「んっ?いやっ、な、なんでもない。どうしたんだ?田中。残業か?」

「残業ですよ。明日の会議の資料が間に合わなくて」

「あ、そう」

「あ、そうって、沢村さんがプレゼンするために使う資料を作っているんですよ?」

「あ?ああ!そうだったっけ、ネ。ごめん、ごめん。あとでメシでもおごるワ」
と、拝むように手を合わせた。

沢村一樹はマーケティング部の課長級プロダクトマネージャー。勤続12年39歳。


田中麗奈は一樹の部下で25歳。マーケティング系の仕事に就きたくて転職してきたばかりの新人である。

一樹と麗奈が勤める株式会社He&Sheは、71年前に小さな下着工場として創業。今や売上523億円、従業員数2,800人の上場メーカーに成長した。

しかし、内実は下着工場のまま。古い工場体質のままであった。

そこで、昨年、父親から譲り受けた三代目が社長に就任してから、急速に経営の改革を進め、その一環としてマーケティング部を創設し、マーケティングの強化に努めていた。


「沢村さん。さっき、廊下で、野村取締役とすれちがったんですけど」

「ん?」

「沢村が残っているようなら呼んでくれって」

「野村重役が?」

一樹は重役室へと急いだ。

chapter2

取締役室の前で一樹はコホンと軽く咳払いしてからドアをノックして開けた。

「失礼します」

取締役マーケティング部長の野村将希は、机の上の書類に目を落としたまま、

「夜遅くまでご苦労さんだな、沢村。ま、座ってくれ」

と、執務机の前の椅子へ座るよう右手を差し出した。

一樹が座ると、引き出しの中から紙袋を取り出し、

「ここに一千万円ある」

と、机の上にドンと載せた。


「明日から出社しなくていい。この一千万円で新商品を作れ」

「は?」

「二度も言わせるな。新商品ができるまで出てくるな。密かに作れ。このことは社内の誰にも言うんじゃないぞ?」

「どういうことですか?」

野村は、日本を代表する巨大メーカーのマーケティング部長であった。しかし、次期社長を巡る派閥抗争に巻き込まれ、破れて島流しにされたうえ、子会社が損失した九億円の冤罪を着せられ、依願退職とはいえ解雇同然で退職せざるをえなかった過去がある。


その野村を引っ張ってきたのが三代目社長の三浦友和であった。野村とは同い年の57歳。

顔も声も所作も端正な三代目の三浦とは対照的に、野村は、忍者か演歌歌手が似合いそうな風貌で、一見、怖そうといえば、怖そう。

野村によれば、新製品を開発できないマーケティング部など、マーケティング部ではなく、業績を伸ばすには、新商品の開発が必要不可欠である。

しかし、この会社を一年間みてきて、新製品を開発できる体質ではないことがわかった。

新商品やマーケティングへ対する理解に乏しいどころか、旧態依然とした体質を守ろうとする保守派が牛耳っており、新しい試みを毛嫌いする風潮にある。


さもありなん。前社長時代の大番頭だった専務や常務たちは健在で、その息のかかった部下が管理職のほとんどを占めていた。一樹のようにニュートラルな管理職は珍しい。

そこで野村は考えた。

「正面きって新製品を作ろうとすれば必ず潰される。こういう場合は、誰にも知らせないまま水面下で新製品を作り、ある程度の実績を作った上で、論より証拠を引っさげ、取締役会に諮るしかない」

そうして一樹に白羽の矢が立った。

chapter3

「社内的には長期研修ということにしておく。軍資金は一千万。期限は一年。どうだ?やれそうか?」

「ひとつ質問しても?」

「なんだ?」

「これって、リストラですか?」

「売れる新商品ができなかったら、そうなるかもしれん。お前の首がかかっているだけの話じゃない。マーケティング部の存続に関わるかもしれん」

「ど、どうして私に白羽の矢が立ったんですか?」

「プロダクト・マネージャーだからだ。一口にマーケティングといってもダな、デザイン専門もいれば、広報専門もいる」


「はい」

「彼らは、マーケティング部に所属しているといっても、新商品など作れない。作れるのは、製品開発担当のお前だけだ」

「しかし」

「しかしもカカシもない。製品を開発できない製品開発担当に出す給料はない。イヤなら別の部署へ異動するか?」

一樹は思わずムッとした。

「いえ、わかりました。やります。新商品を作ってきて見せます」

「よし。ならば一人、社外のプロを紹介しよう。インターアクティブという会社の代表でマーケティング・コンサルタントの小笠原さんを訪ねてみろ。彼ならば相談に乗ってくれるはずだ」


「小笠原さんですね?で、野村重役への連絡や報告は、どうしましょう?」

「俺の携帯に連絡してくれ。あと、社内に蓄積された情報を引き出すのに味方がいるだろうから、信頼できそうな部下を一人だけ選んでおけ」

「わかりました」

「いいか?一人だけだぞ?他の社員には一人も漏らすなよ?」
翌日の会議に一樹の姿はなかった。ふくれっつらの田中麗奈が、

「ん、もう、沢村さんったら、頭きちゃう!夜遅くまで残業して資料を作ったのに、急に研修だなんて、昨日のうちに教えてくれればよかったのに!」

とブツブツ一人で文句を言っていた。

そのころ一樹は、東京九段にある小笠原のオフィスにいた。

続く

新商品開発物語/スピンアウト前編
https://note.com/tanaka4040/n/n802554b1f5e4

新商品開発物語/スピンアウト後編
https://note.com/tanaka4040/n/n2edd2c4dfe90

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