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言葉と仕事―仕事の輪にはいるには

仕事でのミーティングの場で、まわりの人が言ってることが理解しきれず、その輪のなかに入っていけない、そんな経験は誰にだってすくなからずあるのではないでしょうか。

そのとき、話がわからないのは単純に知識がないことだけが要因ではないはずです。
では、何が問題で、どうしたらミーティングの話の輪に入ることができ、ひいては、仕事の輪に入ることができるのか?ということについて考えみようと思います。

言葉の意味はググればわかる

話されてる言葉の意味がわからないということが話がわからない理由ではないことは、次のようなことからわかるのではないでしょうか。

というのも、いまのようにzoomなどのツールを使ってのミーティングであれば、話のなかでわからない言葉がでてきたら、自分でこっそりググることができます(それ、やってます?)。それで相手が使っている言葉がどういうことなのか概要くらいは知ることができます。

でも、そうやってググって言葉の意味することはなんとなくはわかってもなお、話についていけないという人もすくなくからずいると思います。
ようは言葉の意味を知らないというのは、ミーティングでの会話を理解できない主要な要因ではないということなのでしょう。

話の文脈を意識する

多くの場合、ミーティングでの会話の輪のなかに入っていけないのは、そもそもまわりが話している話の文脈を読みとれないからだと思います。

ここで文脈と言っているのは、ミーティングの場で、
・何が話題になっているのか、論点になっているのか
・そして何故それが話題や論点にされているのか
・その背景にあるものが何で、何が目指されているのか
・会話のなかで、誰と誰の意見が同じあるいは類似しているか
・逆に誰と誰の意見が食い違っていたり相反しているのか
・具体的にそれはどういう類似や相違なのか
といった話の関係性のことです。

文脈もまた知識だといえば、それまでなのですが、文脈の場合は個々の言葉の意味とは違って、もともと文脈そのものは知らなくても相手の話を聞きながらその場で聞き手側が頭のなかで構成してみることができるものです。
その意味では事前に知識を持っているかどうかだけが問題にはなりません。
むしろ、問題は事前に知らなかった文脈を、話を聞きながら構成してみることができるかです。

みなさんは話の文脈を意識してミーティングに参加できているでしょうか?

文脈を読みとろうとする姿勢

何故、ミーティング中の話の輪に入っていけないのか?
多くの場合、それはミーティングに参加する前に、文脈を読みとる準備ができていないことが原因でしょう。

ミーティングは仕事の一部であるはずですから、言い換えればそれは仕事をする準備を怠っているということにもなります。それでまわりの話の輪に入れず、ミーティング中に一言も発せずに平気でいたら、それは仕事の輪に参加していない、仕事をサボっているということと同義になると思います。あるいは、見方を変えると仕事ができていないと。

ミーティング中の話の文脈を読みとろうとせず、結果、話の輪に入っていけないことばかりが続いているなら、それは仕事の姿勢を見直す必要があります

みんなが作業しているなかで自分だけ作業できていなかったら、おそらく多くの人が自分だけ仕事に参加できていなくて申し訳ないと感じると思うのですが、それと同じはずのミーティングで発言しないことを同じように申し訳なく感じないのはおかしなことです。

ミーティングの場で話の輪に参加しないことも、作業の場で作業に参加しないのと何も変わりません。それは仕事ができていないということ以外のなにものでもないはずです。

とはいえ、もちろんその場で発言しなくても、ちゃんとミーティングに参加できている場合もあります
たとえば、会話の文脈はすべて理解し、議事録などに落とし込むことができていたり、ミーティング後にそこで得たものに沿って仕事を新たに組み立てることなどができるのであれば、それはミーティングに参加していることになりますし、ちゃんと仕事をしていることになります。

なので、本当のポイントはミーティング中に発言できるかどうかではなく、ミーティング中の話の文脈が理解できそれを仕事(自分のタスクだけでなく、ミーティングが視野に入れていた仕事全体の視点で)に活かせるかどうかです。ミーティングに参加するということは、仕事に参加することにほかなりません

なので、あらためて、ミーティングの文脈が理解できていないということは、仕事ができていないということになるということを意識してみるといいと思います。
仕事ができていないのだから、どうしたら仕事ができるようになるかを考えて行動を変えることは、仕事をする人としては当然のことでしょう。

だからこそ、話の文脈を理解し話の輪に入って、ミーティングにちゃんと参加できるよう、つねに準備をしておくことが必要なのです。

文脈を理解するための準備

自分で普段から考えていないと、外からの情報をちゃんとインプットすることはできません。

この普段から考えておくというのが準備そのものです。

では、考えるとはどういうことか? 
ここでの話の文脈での「考える」は、自分が関わっている仕事のなかでのミーティングでの会話の輪に入っていけるようにするための準備としての「考える」であるわけですから、それは「自分が関わっている仕事」について考えておくということになります。

では、「自分が関わっている仕事」について考える、準備しておくということは、具体的には、どういうことをしておけば良いのでしょうか?

基本的には、考えるためには、
・考えるためのインプットを得る
・考えたことをアウトプットする
・そのインプットとアウトプットのあいだで「考える」に値するインプット情報の整理、統合、アウトプットに向けてのジャンプをするプロセスをまわす
といった基本的なプロセスを踏むことになります。

基本はそうなのですが、もうすこし具体的なイメージがほしいところだと思います。
ただ、いろんな仕事があるし仕事ごとに必要な準備がは異なるため、ここで網羅的に例をあげるのは不可能なので、イメージするためのヒントを列挙します。
インプット/プロセス/アウトプットがセットで「考える」なので、略語としてこれをIPOと呼んでおきます(新規上場株を指す語と同じでちょっとややこしいですけど)。
また、ひとりひとりの仕事全般というよりも、いま関わっている仕事ということで、ルーティンの業務というより、目的や期間、スコープなどが限定、特定されたプロジェクト的な仕事をイメージした場合で考えてみたいと思います。

・いまのプロジェクトは自分の所属する組織(企業全体、部門)のなかでどんな意味をもつのか。背景、目的、期待するアウトプット、リソース、関係者などのIPO。
・いまのプロジェクトはその受益者(ユーザー、顧客など)にとってどんな意味をもつのか。受益者の特定、受益者の現状、受益者の期待や要求などのIPO。
・いまのプロジェクトは社会的にどんな文脈のなかに位置づけられているのか。社会において何が課題か(温暖化ガスの削減、水質保全、地方の機能不全など)、その課題の背景や現状は、どのような形で課題解決が行われることが望ましいか、などのIPO。
・いまのプロジェクトに類似する活動として、ほかではどんなことが行われているか、誰が行なっているか、成果は、どうやって行われたか、などのIPO。
・いまのプロジェクトを進めるにあたり、どんなリソースが必要か、そのリソースはどこから入手できそうか、どうやって入手できそうか、入手するにあたってのコストなどのIPO。

ほかにもいろいろ知っておくこと、調べて理解しておくこと、IPOする必要があることがあると思いますが、基本的なところではこんなところではないでしょうか。

社会的な位置づけと、誰とやるか

僕の場合、3番目の社会における位置付けと、5番目のリソースでも特にどういう人とプロジェクトを進めるとよいかというあたりが特に大事で、ちゃんと準備しておくとよいと思ってます。

ここ数年で、仕事というものがますます企業が利益をあげることや金融的価値を得るためのものであるという側面よりも、それが社会的にどんな影響をもたらすのか(良い効果として何をもたらすのかも当然ながら、自然や気候、人権や他国や他の地方の暮らしに悪い影響をもたらしていないかも含めて)という観点が重視されるようになっていて、ますますその傾向は強まっていくと思われます。
だからこそ、そのなかで、ひとりひとりが自分が関わるプロジェクトが社会に対してどのような関係をもとうとしているかに関しては、ちゃんと考えられるよう準備しておくことがとても大事になってきていると思います。ようするに、自分がどんなかたちで社会に貢献するのかを考えるための準備が必要で、それがなくては社会に対するコミットができないということです。

もうひとつ、誰とやるかが大事だと思うのは、そもそも僕がこれからの社会はより自治的なものとなっていく必要があり、だからこそ、いっしょに自治的に仕事を進める人を選ぶことがとても重要だろうと思っているからです。

社会的にどんな意味をもつ仕事か、その仕事を誰と進めていくのかという視点の両方とも、
・これからの社会における価値創造、価値の流通、そして、その価値創造&流通システムの維持がますます社会的に公平かつ公正であること
・社会全体の持続可能性にとってもよい効果をもたらすこと
・そして、その実現は国家や企業に任せっきりになるのではなく、個々の市民が積極的にその創造と運用、維持に関わっていくことが必要になってくる―― そして、その方が豊かで楽しい社会になるはず――だ
と考えたとき、重要になる2つの視点になると思います。

であればこそ、これまで以上に、仕事をするための準備、個々のミーティングに向かうにあたっての準備は、ひとりひとりが、より積極的に、かつ楽しんで重要できるようになることが、これからの仕事のスタイルになるのかなとも思うんです。

このあたりの思いは、最近以下でまとめてみたので、気になった方はこちらも読んでいただけると嬉しいです。

インプット、どうやるの?

では、具体的にはどうやって準備すれば、良いのでしょう?
準備の起点となるのはインプットなので、ここではインプットについて書いていきます。

とはいえ、インプットの仕方も人それぞれだと思います。耳で聞くのが得意な人も、動画を見て情報を得るのが得意な人も、文章からのインプットを得意とする人もそれぞれいるでしょう。
なので、ここでは僕のやっていることを書くことにします。

僕の場合は、インプットは、
・本
・インターネット上のテクスト
・そして最近はclubhouse
が中心です。

セミナー、YouTubeなどの動画、テレビなどはほとんど利用していません。

本とインターネット上のテクスト情報の組み合わせで、視野の広さと深さを確保しています。どちらが広さでどちらが深さと決まっているわけではありません。ときにはインターネットのほうが広さの確保に向いているときもありますし、逆に本で視野を広げられる場合もあります。

ポイントになるのは、いま知りたいことをすぐ調べることと、いつか役に立つであろうことを調べるのを常に続けておくことの両方をやっておくことです。
調べることは雑多でよい。いつか役に立つことを調べるのだから、調べる対象を選ぶ基準は役に立つかどうかではありません。
むしろ、自分の専門に関することだけしか調べていないから、仕事に参加する糸口を見つけるのが下手になってしまうのだと思います。

もっといろんなことに関心をもって、社会との接点を増やしておくことが必要です。
いろんなことに興味をもち、いろんなことを知っているから、いろんな形で社会とつながれて、いろんな人との仕事が可能になります
自分の目の前の損得だけで、知識を増やすかどうか、調べごとをするかどうかを判断していたら、とってもつまらないかたちでしか、社会や仕事に関わらなくなってしまうと思います。

本とインターネット、どちらをベースに調べていっても、書かれた文章のなかにさらに知りたいことが出てきます。出てきたらとりあえず検索したり、そのことに書かれた本を探して買っておいたりします。
ある文章を読みながら、わからないことがあれば調べる、調べようと興味をもつ、そんな風に「知ろうとする」ことに積極的になり、身軽に実行できるようになることが必要だと思います。
わからないことをそのままにしておかない。興味をもったのに調べずにいるなんてもったいないことをしない。とりあえず検索だけでもしてみればよいのだと思います。

知りたいことは、とあるテーマであることもあれば、人である場合もある。
人というのは僕の場合、本を書いている人である場合が多いです。気になったらあまり考えずにまずは買ってみるというスタンスです。とにかく読んでみて知ろうとしなければ何もはじまらないと思っています。

基本的に「知る」ということに貪欲であるべきです。
そして、その貪欲さを具体的な行動に変えて、情報に触れてインプットを増やすことです。

それが仕事に、社会の営みに参加することの第一歩だと思っています。

文脈を組み立てるために輪に飛びこむ

インプットするだけではダメです。それだと、文脈を組み立てる力はつきません。インプットと同時に、複数のインプットから自分なりの文脈を組み立ててみることを癖づけておきたいところです。

いろんな本や、たくさんのインターネット上の情報に触れながら、ただ個々の情報の書かれたそのままの文脈を理解するだけでなく、複数の情報のあいだから社会的な潮流や社会における課題がどういう流れのなかにあり、どこに向かう可能性があるのかとか、どうしたらよさそうなのかということを読みとってみる、そういう思考の組み立て、文脈の構成をいつもつねにしているような状態をつくっておけるとよいでしょう。それが仕事の準備、ミーティングの輪に入っていくための準備であると思います。

では、どうすれば、そんな文脈の構成、思考の組み立てができるようになるのでしょう。

ここでは2つだけ、その方法を紹介しておきます。

1つめはミーティングのなかで、積極的にコメントしたり質問をしたりと発言することで、会話の輪のなかに実際に入ってみることです。
コメントや質問というかたちで、自分のなかの仮説としてある文脈とミーティング中で交わされている話の文脈が交差する。その交差で明らかになるギャップをもとに、自身の仮説としての文脈と全体の会話の文脈の距離がわかり、自分の仮説を修正する手立てがわかるようになります。

ミーティングのファシリテーター役をかってでる、というのもより攻めた方法でしょう。ファシリテーションしようと思えば、嫌でも文脈を理解しなくてはならない。いわば自分を無理矢理、会話の輪のなかに叩きいれる荒療治です。

いずれにせよ会話の輪に入らないのは、実際に入らないからだともいえます。であれば、つべこべ言わず入ってみることです。コメントするのであれ、質問するのであれ、ファシリテーターになってみるのであれ、自分を会話の輪に飛び込ませてみるのです。

文脈をつくってみる

最後に、もうひとつ文脈を構成するのに慣れる方法を紹介しておきます。

それは自分で文脈をアウトプットとしてつくってみることを繰り返しやってみることです。

アウトプットの方法はちゃんと組み立てて構成するものであれば、なんでもよいと思います。あと条件とすれば言葉を使ったアウトプットかな。
こんな風に、noteを書くのもよいし、YouTubeのコンテンツをつくるもよし、clubhouseでモデレーターをやってみるのもよいかもしれません。

大事なのは形式というよりも頻度だと思います。
場数を踏むこと、いろんなパターンを試してみること、瞬発力を高めていくこと、どんな観点から考えても、文章をつくる力をつけていくためには量が必要です。

インプットしたものを素材にどんな文脈を仕立てあげるか。それが何かしらの論として成り立ち、他者が受け止めてくれるようなものになっているか。そんなことを試していくためには、アウトプットの実践とそこから得られるフィードバックの頻度をなるべく多くもったほうがよいわけです。

そのことでいろんなミーティングの場面、仕事の場面で、その場の文脈を理解することが自然にできるようになるし、自分がどう振る舞えば文脈の理解ができるかとか、文脈にどう介入していけばよいかがわかるようになります。

つまり、仕事に参加できるようになる。

仕事というより、本当の意味での社会参加なのかな。社会を良くしたいというひとが多くなっているけど、やりたいという気持ちに加えて、本当の意味で活動への参加=貢献ができて、社会をよくしていく輪のなかに入っていけるようにするためにも、ここで書いたような文脈を構成する力を身につけることって大事なんじゃないかなと思ってます。

と、長々と書いてきましたが、今回のところはこのへんで。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

基本的にnoteは無料で提供していきたいなと思っていますが、サポートいただけると励みになります。応援の気持ちを期待してます。