ジョグジャカルタの旅
2泊5日の弾丸旅行でインドネシア・ジョグジャカルタに行ってきた。
ジャカルタから飛行機で1時間20分くらい、ジャワ島中部に位置するジョグジャカルタ地域は、古来、マタラムと呼ばれてインドネシア文化の中心的な役割を担っていた。日本でいえば、京都だろうか。9世紀頃の遺跡で、世界遺産にも登録されているボロブドゥール寺院、プランバナン寺院があることで知られている。
今回の旅もその2つの歴史的建造物を観に行くことが目的だった。
プランバナン寺院群
そのジョグジャカルタあたりで8世紀から9世紀にかけて栄えたヒンドゥー教の王朝が古マタラム王国と呼ばれ、16世紀以降に栄えたイスラム教王朝であるマタラム王国と区別されている。
その古マタラム王国のバリトゥン王(在位898~910年)によって建立されたとされるのが、プランバナン寺院である。
世界遺産への登録は、同時期に建立された周辺の寺院群とともになされているが、その中心となっているのが、プランバナン寺院で、ジョグジャカルタの空港から車で10分ほどのところにある。
巨大な石造建築は、創造神ブラフマー、破壊神シヴァ、維持神ヴィシュヌをそれぞれ祀った3つの塔とそれぞれの神の乗り物である白鳥、牛、ガルーダを祀った塔を中心に、それらよりすこし小さな塔がいくつか遺跡として残っている。中央のもっとも高いシヴァ聖堂は高さ47メートルもある巨大な石の建物だ。
それ以外の敷地は基盤こそなんとなく残ってはいるものの塔の姿はもはやなく瓦礫の山となっている。
元は全部で200を超える塔で構成されていたようだが、1549年の地震でそのほとんどが崩壊したそう。
1937年から修復作業が行われ、1991年に世界遺産に登録されたが、2006年のジャワ島中部地震によってまたもや甚大な被害を受けた。
現在も修復作業が続けられており、こうした形で再建作業中の塔も見られた。
プランバナン寺院以外にも、いくつか周辺の遺跡群をみてまわった。
仏教寺院であるプラオサン寺院。
あとで紹介するもうひとつの世界遺産であるボロブドゥール寺院をつくった、仏教王朝であるシャイレンドラ朝の王が、マタラム朝の王へ嫁いだ娘プラモダワルダーニ姫のために建てたとされるのが、この寺院。
このほかにも丘の上にあるヒンドゥーの寺院(名前は失念)や、
1996年に発掘されたサンビサリ寺院など、プランバナン周辺の遺跡をいくつか訪れた。
ボロブドゥール寺院群
プランバナン寺院のあるところから車で1時間半ほど、ジョグジャカルタからは40kmほど離れた、ジャワ半島中部に位置するケドゥ盆地にあるのが、プランバナンよりさらに古い、780年頃から造営が開始され、792年には完了したとされる、仏教寺院であるボロブドゥール寺院だ。
近くにあるメラピ山の大噴火で1000年以上も火山灰の下に埋もれて忘れられていたが、1814年イギリスのラッフルズに発見されたのをきっかけに発掘と修復が行われた。こちらもプランバナン同様、1991年に世界文化遺産に登録されている。
10段の階段状のピラミッド型の構造物で、下の回廊部には、釈迦の誕生からの物語や、財前童子の旅の物語のレリーフが彫られ、その上の段には、ストゥーパと呼ばれる釣鐘型の仏塔が並んでいる。
ストゥーパの中には仏像が収められている。中を覗くことができる。
ボロブドゥール寺院は夜明けに訪れることが推奨されていて、僕も夜明け前の4時半過ぎに訪れて、だんだんと空が明るくなっていくのをみた。
プランバナンもそうだが、8世紀、9世紀という時代にこのような巨大かつ、繊細なレリーフに飾られた石像建築が作られていたことに驚く。
いまでも1年に1度の祭りで、ともに世界遺産に登録されている、ボロブドゥールとは一直線に並ぶよう配置されたムンドゥ寺院、パオン寺院のあいだを僧侶たちが練り歩くなど、用いられていたりもするそうだ。
祭りのスタート地点でもあるムンドゥ寺院の建物のそばには巨大なマングローブの木がある。
あいだにあるパオン寺院は小さな建物だ。
パオン寺院の裏にある影絵の人形づくりをしている工房で人形をお土産に買った。
ジョグジャカルタの王宮
ジョグジャカルタは特別州に定められ、いまもスルタン(王様)がいて、政治的な力ももっている都市。1950年にジョグジャカルタを特別州とする法律ができたのと同時に、現在のスルタン、ハメンクブウォノ10世が市の知事も兼ねることとなった。
1619年にオランダの第4代東インド総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーンが、いまのジャカルタ、当時のバタヴィアに、オランダ東インド会社(VOC)のアジアにおける拠点をおいて以来、1945年に独立宣言をするまでオランダの植民地であったインドネシアにおいて、ジョグジャカルタを中心地とするイスラム教王朝のマタラム王国は、独立を譲らず、オランダと対抗し続けた。ジョグジャカルタが特別州とされるのは、そのことに由来している。
もともと米の三毛作も可能な肥沃な土地である。北部の港もおさえたから貿易による利益も得ていた。マタラム王国が力をもった背景にはそうした経済的な優位性もあったものと思われる。
そして、そのことがアジア内貿易の面でVOCとの対立を生んだし、対抗する理由ともなったのだろう。そんなことが実際の土地を訪れてみると想像しやすくなる。
そんな王朝の現スルタンも用いている王宮(クラトン)がジョグジャカルタの街の中にあり、一部を自由に見学できる。
内部には王宮の歴史を飾った品々や、インドネシアの伝統的なバティックなどを展示したミュージアムになっている。
近くには、離宮である、水の宮殿(タマンサリ)もあり、こちらは暑いインドネシアの気候を反映した水辺の離宮となっている。
日中は35度近くまで気温が上がるが、日蔭に入って風など吹けば、東京の夏などに比べれば遥かに過ごしやすい。
しかも朝夕は気温も下がって、いまの時期なら20度をすこし超えたくらいにまで気温が下がるので熱帯夜のような息苦しさもない。
ほかのアジアの街と同様、道路は混み、大量のバイクが走っている。どこにでも大量のバイクが止まっていて道をふさいでいる。特に屋台のまわりなどは客のバイクが数多く止まっている。
ムスリムの人が多いので、女性はヒジャブで髪を隠している人が半分以上。
とうぜん、豚料理は出てこなくて、肉は鶏か牛、そしてチャーターした車のガイドさんが教えてくれたがジョグジャカルタの人は山羊が好きなんだそうだ。山羊料理の店に連れて行ってももらえた。
正味3日間の弾丸旅行だったが、ジョグジャカルタの雰囲気を楽しむことはできた。あまりアジア旅行はしないが、たまには面白いなと思った。アジアの歴史を振り返る機会にもなるし。
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