父の最期を思って、香水を買った日。
マスク生活が長くなって、以前よりも香りに敏感になったように思う。
「香り」と書けば美しいけど、はっきりいって敏感になったのは「におい」、それも「くさい」と一緒の漢字のほうのやつだ。飲食店を出た後の衣類についた油臭さとか、満員電車で隣になった人のタバコのにおいとか、この間は友人が飲み会に香水をつけてきて、今までは気にならなかったはずなのに、イタリアンのガーリックとオリーブオイルの香りと合わさることに鼻が追いつかなくて、「ごめん」と謝り倒して、離れた席に代わってもらった。
自分自身も以前より香水をつける機会が減った。他人の香りでもその調子なので、自分もレストランなどに行く時にはめったない限り香水をつけるのを辞めてしまったから。
でも同時にどこか、香りというものへのプライオリティが以前よりも上がった感覚が到来している。そう、なんかプライオリティって言葉がしっくりくる。前よりも、「人生のお供としての香り」を軽視しなくなったのだ。
アロマっぽい香りなんかは昔から好きで、アロマオイルをやみくもに集めていた時期がある。「あ、好き!」「あ、苦手!」ぐらいの解像度で気に入ったものはぽんぽんと買っていた。「ベストじゃないけど嫌いじゃない」ぐらいのものも、身につけていた。
でも、今は、「香りを楽しむ時間」が以前よりも減ったから、そのぶん「本当に好きな香り」だけを大事にしたいと思ってる。
朝、シャワーを浴びる前に浴室の床に数滴垂らすレモンユーカリのアロマオイルの香りは自分の中で明確に「朝」を意味し、
同様に夜寝る前にベッドサイドに噴射するアスレティアのルームフレグランスは、いつ嗅いでも良い香りで好きだけど、「夜にだけ薫るもの」と位置づけることで、身体を確実に眠りにいざなうスイッチの役割となった。嗅覚の成長が頼もしい。
「学生時代につけていた8×4の匂い」や「ドンキに売ってたダウニーの香り」が、”あの頃”を思い出させるという経験は誰にでもあると思う。嗅覚は特にそういう「無意識」への作用が強い五感だというのは皆が知っていること。
そういった「においと記憶の関係」を逆に利用してみようと、昨年買った香水がトム・フォードの「ソレイユ ネージュ」だ。
それは去年の梅雨のことで、その年の桜が散るころに、父親のガンがいよいよ持たないかもしれないと宣告されてから少し経った時のことだった。
自分にできることがまるでなくて、だけどもう、ただ一緒にいても思い出をつくることもできない状態で、ぽこっと空いた穴を埋めるような日々を過ごしていたように思う。
それで、「あぁ、この時のことを忘れないために香水を買おう」と決めて、百貨店のトム・フォードのブースへと出向いた。
トム・フォードの香水はどれも、自分がそれまでつけてきたものより重たい印象というか、格式高い気がしていて、やみくもには手を出さないようにしたいと決めてきたものだった。お値段だって安くないしね。
だからこそ今だ、と思って、気になるものをいくつか試した時に、しっくりきたのがこの香水だった。
”雪を照らし輝く冬の太陽”をイメージして作られたというが、それが私にとっては、湿気を含んだ梅雨の部屋の中から、爽やかな次の季節へと誘ってくれるような感覚と重なり、気に入った。
「デートの時につけたい」みたいな感じで、明確に他人、とかく異性を意識して香水を買うこともあった。あるいは、どこまでも自分本位に、どストライクな香りを選ぶこともあった。
“私っぽいにおい”を見つけようと、自由が丘の香水屋さんで店員さんと膝を突き合わせ何十本もの香水瓶から1本を選んだこともある(これは大変気に入っていて、今でも名刺代わりの香水だ)。
でも、今回買うトム・フォードは、それらとは意図が違う。「思い出に、匂いをつけよう」と意識して買った香水。匂いから景色が蘇るあの感覚でもって、父が生きていた日々をこの中に閉じ込めようと、強い気持ちで選んだもの。
香りを部屋に持ち帰って、左腕にそれを乗せ、深く息を吸い込む。
2022年の7月、私はこれを選んだ。
父が生きていた時に私が選んだ最後の香りはこれだよ。
自分に言い聞かせるように、自分の脳に焼き付けるように、香りを感じた。
その数日後に父はこの世界から旅立ち、ほんとうに慌ただしく日々は過ぎ。
先日実家に帰るともう、1周忌の準備をはじめなければならないという。
あの香水を買った日から、もうすぐ1年なのか。そう思ってあの時のことを思い出してみるのだけど、
鼻の奥で香るのは、数ヶ月自宅で療養し最期を迎えた父の部屋の、点滴や薬の匂いだ。
人間はすごいね。自分で何かをコントロールしようとしたって無駄なんだな。
でも、香水を付ける時には必ず父を思い出すことができるので、やっぱり買ってよかったとは思ってる。
父が亡くなってたったの1年なので、私はまだ、この香りを呼び出しても深く悲しくなったりすることは少ない。実感がないというのが本音だ。
でもいつか、もっともっと長い年月が経った時、ソレイユ ネージュを振ってみたら父のことをーーいや、あの日あの時、強がって、突っ張って、何もできないなんて言い訳を言いながら、ただただ香水を買うことしかできなかった、ただ香水を買うことしかできなかったことにしていた無力な自分を、きっと何度でも思い出すのだろう。
そして多分、父の表情が痛烈に蘇る匂いは、タバコの染み込んだ部屋の壁紙の香りとか、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚の埃と古い紙の匂い、そして、点滴や薬の匂いなのだろう。
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