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驚きのススメ。自戒を込めて。

 寝返りができた。つかまり立ちをした。マンマの声をあげた。その度に、手をたたき、声をあげ、やんやの大喜びをしたのではなかったか、わたくしよ。
 ひらがなが読めた。自分の名前を書けた。おせんべい3枚に1枚を足したら4枚になるとわかった。大喜びで、「あなたはてんさいよ」と言ったのではなかったか。わたくしよ。
 今、息子たちは、はるかに困難な技をやってのけているではないか。
 一人の部屋に住まい、時間が来たらなんとか目覚めて、着替えて降りてくるし、概ね忘れ物をすることなく、学校の重たいカバンを背負って登校する。持たせた弁当を完食するし、月に一回体操服や上靴を持ち帰ってくる。学ぶ内容もチンプンカンプンな高度なことをしている。
 大したものである。生まれてまだ15年やら17年なのに。
 なんで誉めなくなった、わたくしよ。

 小姑のように意地悪く、「それくらいできて当然よ」とうそぶく、ケチな母親になってしまった。
 褒めるどころか、「宿題はやったの」「試験勉強進んでいるの」「ちょっと見せなさいな」とか先回りし、とどめに「そんなことでつまづいていては、この先心配ねえ」などと言い放つのである。あの頃よりも、うんとすごいことが出来るようになっているのに。無反応の寂しさ。手応えのなさ。うっわ。そりゃやる気を失って当然だ…
 次男は特に「誉められたり認められたりして、それが励みになるタイプ」であった。なんでそんな大事な大前提を忘れちゃってたんだろうか。なんであの嬉しそうな顔、忘れちゃっていたんだろう。本当にごめん!
 先日わたしの犯した大失態。
 彼はスマホでLineニュースを読んでは「こんなことあったらしいよ」と教えてくれる。ところがわたしもそこそこネットニュースに触れているし、毎朝新聞も読んでいるもので、何も考えずについ、「ああ、そうねえ。わたしも読んだよそれ」と言ってしまった。
 「おかーさんはなんでも知ってるなぁあ」としょげた声を出させてしまった。大失策だ!無論「そうなんだ!驚いちゃうねえ」とか「わたしも読んだけど、君も気になっていたのか。それって〜だよねえ」が待たれていたはずなのに。さぞ寂しかっただろう。
 次男に限らずとも、長男だって学校の話を賑やかに話してくれる、わたしの表情が動くのを待ちながら。夫だって、帰宅するとひとしきり、1日にあった出来事を語り尽くす(彼の話題は、際どい情報がみっちりのため、そろそろその筋から「お前は、多くを知りすぎた」の声と共に消されてしまう恐れがある)。わたしもそうだ、他愛無い話ばかりだけれど、何かしらの反応が欲しいと思って家族に話している。「ふーん」で終わられると、残念至極、家族せっかく一緒なのにこれでは一人でいるより悪いじゃ無いの、と憤慨する勢いだ。
 今時の中高生が習う内容は、我々親世代のそれとずいぶん濃く深くなり、教科書を開くと驚くことばかりだ。頼りなくなってきたわたしの脳細胞では到底太刀打ちできないそれらと、日夜向き合っている彼らはすごい!驚き、リスペクトし、褒め称えないでどうする!
 わたしよ、もっと我が子に驚こう。

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