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「疑いの度合い」問題

損したくない。騙されたくない。

この気持ちを持つことは非常に大切なことです。なぜなら、何でもかんでも信じまくって、誰それ構わずついていってしまうと、それこそあっという間に経済面でも肉体面でも破産してしまうからです。

当たり前ですよね。なにも疑わない、すべてを信じるとなると、完全に詐欺師のカモと言っても過言ではありませんw

なんですが、一方として『損したくない。騙されたくない。』という気持ちが強すぎるのも、実は問題だったりするんです。

ぼくは普段、プレイングマネージャーのサポートのつもりでメッセージを書いてるんですが、今日の話に限ってはどんな人にとっても大切な話になってくると思ってます。

たしかに、人は防衛本能として『最初は疑う』ようにできています。この疑う、避けるという本能のおかげで、ぼくたちは昨日と同じ今日を過ごすことができていますし、生命の維持をすることもできているんです。

なので、ここは大前提として共有したいのですが、「損したくない。騙されたくない。」という考え自体は、べつに悪いことってワケじゃないんです。

でも、そうなんですよ。

問題は、『その度合い』なんですよね。

『損したくない。騙されたくない。』という気持ちが強すぎちゃうと、実は自分にとって有益なことでも簡単に手放してしまうことが起こってしまうんです。

まあ、当たり前の話ですよね。なんに対してもNOの姿勢を取ってるわけですから、そりゃ〜プラスになる話に対してもNOとなるってもんですよ。

でも、そこまでならまだマシな方です。

最悪なのが、どんな人にでも存在する「誰かを信じたい」という気持ちが誤った方向に働いてしまう可能性があるということです。

先程、人は防衛本能として『疑いの心がある』という話をしました。その反面で、コミュニティを築いて生存率を高めるために『仲間になりたい』という本能もあるんです。

で、疑いの気持ちが強すぎる人ってのは、だいたいは身内や長い期間の親友を大切にする傾向があります。逆に言えば、疑いの気持ちが強すぎる人ほど、近い人の言葉には無条件で承認してしまうという事です。

ということは、その身内や親友がもし「誰かに騙されていた」場合であれば、間接的に自分自身もあっさり騙されてしまうということです。

例えば、ひさびさに親友にあって話をしたとします。疑い深い性格なので、その親友も数少ない友達のひとりです。なので、話ができることもとても楽しみになってると思います。

お気に入りのカフェで話をしていると、親友が急に投資の話をしてきました。「最近、知り合いから投資の話をきいてさ〜、実はよく聞いたらメッチャ良さげなんよ〜。だから、自分も話に乗ることにしたんだよね。」って感じで。

もちろん、最初は疑うでしょう。「え?大丈夫?」みたいに。

ですが、疑い深い人といっても本能として『仲間になりたい』というものがあります。普段から人や物を拒絶しているものですから、自分を受け入れてくれる人ってのはなかなかいません。

なので、その親友の話も最初は疑うんですが、続きになる弁明の話を『信じる前提』で聞くようになってしまうんですね。

どんな話も、「絶対に信じる」という気持ちで聞いてしまうといい話に聞こえてしまうものです。

なので、結果として投資話がいいものに聞こえてしまい、自分もそれに乗っかってしまう、、、というのが、最悪のパターンなんですね。要は、信頼できる人がいると自分で考えることをやめてしまうんです。

もちろん、その投資話が本当に整合性があるものだったら、それでいいんです。でも、相手からやってくる投資話ってのは基本的にいいものじゃないことがほとんどです。

「うまくいってんなら、なんで投資しろって言うんだ?投資してもらわないと回らないビジネスモデルになってんだろ?」ってのがオチですw

それに、ベンチャーキャピタルでも株式投資した方が数倍マシですし、スタートアップ企業への投資に関しても『エンジェル投資』という言葉があるように、ある程度お金に余裕がある時じゃないと、やるべきじゃありません。

だから、すべての物を頭から否定するのではなくて、ある程度受け止めて自分で良し悪しを判断する習慣を持つことが、選択スキルとして重要になってきます。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。