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リストに嫌悪感を示す人たち

プッシュ型のマーケティングをするには『リスト』が欠かせません。

リストというのは顧客情報のこと。名前、住所、年齢、家族構成、勤め先、電話番号などといった、個人の情報のことを総じてリストといったりします。

で、メルマガを送ってマーケティングするのであれば、メールアドレスが顧客リストになりますし、もっと密なコミュニケーションを取るならば住所情報からダイレクトメールを送ったり、電話番号情報から直接テレアポすることもできます。

って、なんでこんな話をしているのか?というと、ちょっと面白い論争を目にしたからなんですね。

どんなものかというと、『メルマガを送るといっても相手は人。なので「リストに送る」といった人らしさを無視した表現はするべきではない』というもの。

つまり、『人間をリストといったモノで表現するな』というものだったんですね。

「へぇ〜そういう見方もあるんだ」と思わず言ってしまう内容だったんですが、、、最初に言っておきます。

ぼくの結論は「どうでもいい」です。

というのも、『リスト』という表現は、すでにビジネスの場面で共通言語として定着しているからです。なので、いまさらリストという言葉は人として見ていないなんて議論はしても意味が全くないんです。

そもそも、『リスト=人間性を無視してる』という意見を主張する人というのは、いままでビジネスをしたことがない人がメイン層です。つまり、副業かなんかで自分でビジネスを始めてみたけど、どうも『リスト』という言葉が気にくわない。

そんな感じの人たちなんです。

もちろん、そんなにリストという表現が嫌ならば、ご自身なりの言い方というのを作ればいいです。ですが、それを他の人に共有したり、言語として浸透させることに時間をつかうんなら、もっと他にすることはたくさんあるハズです。

独立も副業もいいことなんですが、「何に時間を使うべきか?」は、しっかり見定めないといけません。

ですが、もちろん言葉の選定に気を配らなければならない時というのもあります。

例えば、東日本大震災の時に物議を醸した『ガレキ』とかです。

広島県に住んでいるぼくなんかが、東日本大震災の話をするのは失礼にもほどがあることを承知しています。

ですが先日、サンドウィッチマンの東北魂というポッドキャストを聞いて、改めて思うことがあったんで、少しだけお話しさせていただきたいんですね。

震災後、被災地には辺り一面のガレキが散らばっていました。そして復興を急いでたんですが、そのガレキが多すぎて撤去に時間がかかっていたんですね。そういう状況だったので「ガレキがジャマでうまく作業がすすまない」と、いろんな業者さんが言っていました。

ですが、被災地に住まわれてた方にとっては、そんなガレキもついさっきまで住んでいた家だったり、通っていた学校だったり、つとめていた会社だったりするんですね。

しかも、そのガレキの山は自ら望んで作ったものじゃありません。

なので、自ら望んで解体したものであれば『ガレキ』といってもいいんでしょうが、震災被害によって生まれた建物の残骸も『ガレキ』と表現するのは、間違ってるんじゃないか?という声があがってたんですね。

このような状況の場合は、言葉の選定に気を配るべきなんです。

なぜなら、やはり言葉には強い力があるからです。

『ガレキ』という言葉一つでも、震災・津波の悪夢を目の当たりにした人にとっては、絶対に許しがたい表現であることは間違いないからです。

住む場所も失い、場合によっては家族も失い、生活基盤も崩壊して絶望のどん底にいる状況の中で、ついさっきまで住んでいた街の象徴を急に廃棄物扱いのような『ガレキ呼ばわり』されると、怒りの声が上がっても仕方ないんです。

でも、『リスト』は違います。

これはすでに、ビジネスの場面に浸透している名称ですし、トラウマを呼び起こすような要素もありません。

「飼っている犬のことをペットと呼ぶな」と言ってるようなものなんです。

たしかに、言葉の選定は重要です。ですが、本当に選定が必要なのかどうかも考えていかなければなりません。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。