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顧客起点のようで顧客起点じゃない

顧客起点の思考をしよう。

マーケティングを学んでいると、かならずこの言葉に出会います。それはデータ分析型だろうが、ブランディング型だろうがダイレクトレスポンス型だろうが関係ありません。

よく、考えの違うマーケッター同士が衝突する場面に出会いますが、どんなマーケティング手法の流派でも、『顧客起点の思考をする』という部分は共通します。

なので、

・誰が買ってくれそうなのか
・どのような方法で買いたいのか
・彼らのニーズ・ウォンツはなんなのか
・何をすれば相手は満足してくれるのか

といったことを深く考える必要があるんです。この顧客起点の思考が出来なかったら、どれだけ枝葉のテクニックや価格設定論や広告手法を学んでも、効果的なマーケティングを作ることはできません。

なので顧客起点の思考をするというのは、基礎であり重要項目のひとつなんですね。

ですが、だからといって「人は何に悩んでるんだろうか」という視点で考えるのも、安易すぎです。

なぜなら、そもそも人は悩みすら持ってないことがほとんどだからです。いや、具体的にいうと、モヤモヤをもってるけど自覚できてないということがほとんどだからです。

例えば、さっきいった顧客起点の例の中に誰が買ってくれるのか?というものがありました。ですがこれは、「この世の中のどこかに買ってくれる人が存在している」ということを前提にした思考になります。

その思考には「こうあってほしい」という希望的観測が混在しています。となると、誰が買ってくれるのか?というレベルの思考だと、顧客起点のフリをした自分主体の欲望になってしまいます。

なので、「何かについて悩んでいる」という前提でマーケティングを組んでしまうと、それはそれで大火傷してしまうんですね。

ぼくがお世話になっている人で、「世の中にあるもののほとんどは不用品なんだよ」が口グセとなってる人がいます。6社ほど事業を抱えていて、全て黒字でまわされてる方なんですが、まぁそれがすごいかどうかは今回は置いておきます。

ですが、この人のマーケティングの中心にはかならず「世の中にあるほとんどのものは不用品」という考えがあります。もちろんこれは、「自分の扱ってる商品はくだらない」という自己卑下をしているんじゃありません。

そうじゃなくて、「どんな商品・サービスをつくっても、まず見向きもされないことを前提にマーケティングに取り組もう」という、徹底的な謙虚さ・慎重さを表したものなんですね。

そんな絶望的な状況から、いかに商品に興味をもってもらうか?

どんなマーケティングをするにしろ、この精神を根底にもってないとはっきりと明暗が分かれてきます。もちろん、ぼくのようにマーケティング自体を売ってる人もです。

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。