一人で会社を作るまで その1
さて始めたはいいものの何を書こうか悩みまくって時間だけが経ってしまっていた矢先、今の新型コロナウイルス感染症対策での緊急事態宣言。。
自分の会社も御多分に漏れず影響大です。。
そんなある程度の年内計画を立てた今、時間だけはたっぷりある状態ですので自分の会社の状況を棚卸ししてみようと過去を振り返る機会があったのでそれをだらだらと書いてみます。
まあ過去日記みたいなものです。
前の会社での経験
元々自分は大手メーカーの百貨店の美容部員を経て、ヘアメイクに転向。
その後フリーで活動するもなかなか安定せず、とある中小企業(商社)が新規事業として新設するヘアメイク事務所のオープンニングスタッフのような形で入社。そこでヘアメイク兼マネージャーみたいな形で働いておりました。
そこでの仕事は楽しく、次々に新しいチャンスをいただき、徐々に管理職へ。気がつけば6年以上経ってました。
フォトスタジオ、美容室の運営、ヘアメイクの派遣、輸入化粧品の卸売の3つの事業を行う事業部のGMになっておりました。
売上高は年商で2億程度。
それは本体と切り離された独立採算の一つの小さな子会社のような形でした。
雲行きが怪しくなってきた。。
そんな中、本体会社の方針が役員達の中で大きく変わることになり、自分の事業部の事業縮小or廃止が決まりました。
単年では赤字ではなくとも、利益率の悪いビジネスモデルになってしまっていたのでしょうがない決定だったと思います。(設備投資の償却期間の考え方の違いは後からわかりましたが、、)
自分が選ぶ道は3つ。
・事業を限りなく縮小して今までと全く違う形で1から作り直す
・事業部を廃止し、本体の商社の中で置いてもらえる部署でやり直す
・事業部を廃止し、退職
事業部社員が事業部に残れないこと、自分としては1からであることは変わりない。
と考えた僕は退職する道を選びました。
そこまで育ててくれた上司、当時の社長や役員の方々への申し訳なさ。そして既にバランスを欠いた事業部にもかかわらず残ってくれている社員への責任。いろいろな感情が渦巻きましたが最後は自分が決めるしかないと思いました。
2014年12月でした。
退職決定
廃止&退職を決めたら、社長に伝え、そのための道を作っていきます。
(社長には本当にがっかりさせてしまったと思います。。)
とはいえ、「自分は辞めます。あとはお願いします」
とはいかないと思っていたので退職までの期間を半年おき、半年での事業廃止の道を作っていきます。
ただ廃止にすると言っても様々な方法があります。そのための努力期間です。
収益が最大になる1月〜3月は売り上げを拾いながら事業部社員の本体の部署への異動を進めていきます。
同時に4月以降、事業を買い取ってくれる会社に営業をかけます。
あわよくばそのままの形で引き継いでくれる経営母体を探したのです。
ノーチャンスではなく、手をあげてくれる会社もありましたが時間制約もある中で、もちろんそんな都合のいい形は実現せず、4月からは売れる設備を売っていく形になりました。
異動せず最後まで残ってくれた社員の退職を5月で見送り、自分は6月に退職しました。
元々ヘアメイクで入社し、管理職になり、社長はじめとした役員陣に離れなさい、捨てなさいと言われても続けてきたヘアメイクの現場、ヘアメイクアップアーティストであるというプライドが自分に唯一残ったものでした。
ヘアメイク派遣事業のクライアントへの退職後の連絡は許可してもらいたいと交渉し、様々な条件はありましたがヘアメイク派遣事業(営業権)を譲渡してもらい退職となりました。
これが今の会社につながります。
ここからが本題ですが、それは次のお話で。