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故あって台湾 三

 台湾編が三回目にわたってしまった。恐ろしいことに初日が終了していない。さすがに次回くらいで終わらせたい。

 龍山寺に着いた頃には日も暮れ、あたりは暗い。寺はライトアップがほどこされ、けばけばしく力強かった。この辺りの通りは急に雰囲気が変わる。道で太ったおっさんがそのまま寝っ転がっている。あまりふらふらしないほうが良さそうだ。
 夕飯時でもあったので、近場の適当な店で食事をする。「餅」というと、あの柔らかい餅をどうしても想像してしまうが、台湾の餅はお焼きのような形をしており、中には具材と肉汁がたっぷり入っている。熱くてなんともいえずに美味い。言葉は英語でも全く伝わらなかったが、まあ正直なんとかなった。
 そのまま台北の街を歩いてホテルに戻り、ようやく一日目が終わる。

 初日の蒸し暑さを鑑み、二日目では持ってきた衣類のうち寝巻に使うつもりだった半そでシャツを使う。いよいよ台湾に来た目的の淡水紅毛城に向かう。この日は雨であった。
 淡水駅までは乗り継ぎも含めて一時間ほどだったろうか。それでも早く着きすぎて、歴史地区をふらふらと歩き見て回る。中でも印象的だったのは「小白宮」だ。もとは清朝時代の淡水関税長官邸である。いかにもやる気の無さそうなスタッフからチケットを買い、開館直後でほぼ誰もいない瀟洒な洋館を独り占めする。雨と蒸し暑さは相変わらずだが、川沿いでほのかに風を感じる。スパニッシュコロニアルの建築様式も合わせて、心地良い。道で行きあった中学生くらいの現地の男子4人組がはしゃぎながら見学しているさまも、また趣がある。

 淡水紅毛城は、淡水川の河口に位置し、大変な坂の上であった。まったき要害である。少なくとも近代まで城塞として利用されていたのも納得できる。城は名のとおり紅く、思っていたよりも小さい。日本の城郭を想像するとかなり拍子抜けする。すぐ隣にある旧英国領事館の赤レンガと合わせ、この一帯だけ妙な明治時代らしさを感じる。長崎の人が訪れたら、妙な親近感を覚えるかもしれない。ちなみに1980年に至るまで租借地であったそうだ。
 生憎、この一帯は団体客も多く、のんびりと見て回る余裕は無かった。ここのために台湾に来たが、拍子抜けというか、あっさりと過ごしてしまった。ガイドに台湾人に間違わられ、台湾のどこから来たかのアンケートをされたのを覚えている。
 紅毛城のミュージアムショップには、清仏戦争の簡単な本や、紅毛城の木製キットなどが売られており、興味がある人には良いかもしれない。

 紅毛城の敷地もそこまで大きくなく、時間は二時間は絶対にかからない。そこで近代に興味がある人には滬尾砲台こびほうだいという1886年に造られた要塞も近くにある。ここが何といってもおススメである。こちらにも歩いて行ったが、やはり長い坂の上にある。紅毛城から向かうと20分かからないくらいだろう。体力を温存したいのなら、タクシーを使った方が良いかもしれないが、なに、兵隊の気分になって歩くのもまた楽しかろう。
 
 紅毛城が欧米の象徴とすれば、滬尾砲台は清の意地とでも言おうか。日本では滅多に見ることができない、近代要塞である。分厚いベトンの擁壁に、薄暗い通路を抜けると、大砲のレプリカが一基据え付けられている。
 紅毛城を見に台湾に来たのだが、むしろこの滬尾砲台が極めて印象的だった。外の蒸し暑さから一転、冷たく湿気のこもった閉塞感に満ちた屋内通路が忘れられない。いざことが起きると、こういったところを伝令が走ったのだろう。『坂の上の雲』で旅順要塞の要塞側の気分をウン万分の一でも味わえる。紅毛城と比べると、人も少なく、のんびりと物思いにふけりながらうろつくには十分な場所だった。

滬尾砲台の砲座に向かう

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