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全身ジャーナリスト

師匠でもあり、一緒にお仕事をさせてもらっている田原総一朗さんが、90歳になった。

1934年生まれの昭和一桁世代。昨今話題を集めた『不適切にもほどがある!』の主人公が1935年生まれらしいので、いかに時代を超えて生き残り続けたかが分かる。私は平成5年生まれの30歳だが、その3倍も生きている。

先の大戦、高度経済成長、バブル崩壊、阪神淡路大震災、平成不況、東日本大震災と原発事故。90年の間に世の中は激しくうねり続けてきた。何が「適切」で何が「不適切」か、価値観の変遷もあっただろう。

その混沌の渦中で、田原さんは自分の目で見て、聞いて、語り、世の中に問いを投げかけ続けてきた。昭和、平成、令和と時代を超えてテレビの世界に生息してきたのである。

その田原さんが90代の節目に上梓したのが『全身ジャーナリスト』(集英社新書)である。

「全身」ジャーナリスト。頭の先からつま先まで、身体の全てが言論の自由のために闘う細胞で出来ているのだろう。弟子の私にも移植してほしい。

田原さんの自伝でもあるのだが、時系列で少年時代から人生を振り返った『塀の上を走れ』(講談社、2012)とはちがい、個別のテーマごとにまとめられている。

いちばん最初は安全保障。田原さんが今、いちばん問題意識があるテーマだと言ってもいい。戦争を経験した文化人は、次から次へと旅立たれている。

一つ一つの章は過去の記事や著書とも重なるところが多いのだが、それがとてもテンポよくまとめられていることで、90歳の田原さんが今、どんなことを考えているのかが畳み掛けるように伝わってくる。

その合間に、緩急をつけるように差し込まれているのが、田原さんを知る人たちが客観的に見た「田原総一朗評」のコラムである。

この本を中心になってまとめた倉重篤郎氏、朝生の常連の猪瀬直樹氏、かつて田原さんを激しく批判した佐高信氏、朝まで生テレビの進行役を務めた長野智子氏など、田原さんと仕事をしてきた人が語るエピソードが、田原さんの生き様をより説得力をもって体現している。

田原さんには時代によって見せてきた顔がある。ドキュメンタリーの作り手として権力の周縁にいたギラギラした人たちを撮ってきた青年時代。やがてフリーの物書きとして少しずつ権力に踏み込んでいく。

田原さんと政治をつないだ架け橋的な存在が田中角栄だったのだろう。そして「朝まで生テレビ!」と「サンデープロジェクト」で国民的なジャーナリストとしての地位を築いた。

私は田原さんを知ったのが10年ほど前であり、お仕事を一緒にするようになったのは2年前からである。田原さんが今の「田原総一朗」になるまでには、私が生まれるよりもはるか前からの長い長い道のりがあったのである。

田原さんの闘いはまだまだ続く。ご本人はこの本を「集大成」や「遺言」と表現しているが、まだ「過程」にすぎないはずだ。それが証拠に、最後の章は今の田原さんが力を入れている仕事で締められている。それが何かはぜひ本を読んで確かめてほしい。

田原さんは90歳になったのではなく、90代に突入したのある。いつ終わるか分からない人生に向かって、日々自分の全てをなげうっている。そろそろ国は天然記念物に認定し、珍獣・猛獣として保護してあげてほしい。

田原さん、お誕生日おめでとうございます。まだまだご一緒させてください。あと「朝生で生放送中に死にたい」といつも言っていますが、それはテレビ朝日が迷惑だと思うので、死ぬなら田原カフェにしましょう。



仲間内での誕生日会にて




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