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失語症のお父さんのために研究開発を始めた高校生から感じた、生き方としての”グラデーション”

最近は週1~2の頻度でX(旧ツイッター)のスペースをしています。

知り合いを誘って対談形式でやっており、リスナーのみなさんからもコメントや質問をリアルタイムでいただきます。コメントを読み上げる瞬間がラジオっぽくていつもウキウキします。

先日は私の地元である岡山県にお住いの高校生・藤原咲歩さんにご登場いただきました。

藤原さんはお父さんが失語症者で、お父さんとコミュニケーションをするためのチャットツールを自身で研究・開発されています。

藤原さんと面識は全くありませんでした。

山陽新聞に掲載されていた記事を読んで号泣し、そのままDMして「ぜひスペースでお話をうかがいたい」とお願いしたら、快諾してくださったのです。

私のミスでアーカイブを保存できなかったので、今回はnoteで当日うかがったことをまとめます。

・・・

お父さんが失語症になってしまったのは、藤原さんが小学校6年生の時でした。県外で仕事中に脳卒中で倒れてしまいます。

お父さんは営業マンとして全国を飛び回り、明るく社交的な人。藤原さんはパパっ子で、お父さんを愛し、尊敬していました。

「集中治療室で横になっている父を見て『生きていてほしい』『早く治ってほしい』と祈るしかなかったです」

倒れた当時は中学入試の直前。それでも悲痛な出来事を乗り越えて、見事に藤原さんは合格を果たし、お父さんも最悪の事態は免れました。

しかし、お父さんは後遺症から話せなくなり、全身麻痺も残り車椅子生活になってしまいます。

「生きててくれるのはうれしい。だけど話せないことにイライラしてしまい、そんな時期がしばらく続きました」

転機になったのは中学2年生の時。「未来航路」という総合学習の時間で、身近なテーマを題材に研究発表する機会がありました。

中学1年生の時は「ウイルス」をテーマに研究しようと思ったものの、あまり身が入らなかったのです。

「本当に自分の”身近”で熱中できそうなテーマといえば、やっぱり失語症だなと思って」

そこで、会話ができなくなった父親とのコミュニケーションをするためのツールをつくりたいと思い至ったのです。

しかし、研究テーマの計画書を提出する段階で、周りの大人たちから「無理だよ」「コミュニケーションツールなんて作れない」と端から否定されます。

そんな中、ただ話を聞いてくれたのが「白衣のおじいちゃん先生」でした。

他学年の白衣のおじいちゃん先生が、
クシャクシャにした私の紙を取って
「辛かったね。これ、やろうよ。」

この人の「辛かったね」 は他の大人の1000倍くらい優しいトーンで、その一言に何故か重みがあり、私に絶望への同調以外の希望を見せてくれた。

藤原さんのnoteより

白衣のおじいちゃん先生は、藤原さんの話をただ聞いてくれて、一緒に出来る方法を考えてくれる大人でした。

先生は「自助具をつくってみたらどうか」と提案します。「自助具」は障がいのある方が可能な限り自身で暮らしの動作を行えるようにする道具のことです。

白衣の先生からヒントをもらった藤原さんは、放課後の理科室でディスカッションを繰り返しながら、ツール開発を進めたのでした。

お父さんと同じく、一度「これをやる」と決めたら最後まで手を抜かない藤原さん。約4年の歳月をかけて完成したのが「チット」というツールでした。藤原さんは高校生になります。


藤原さんが開発した「チット」
セトフラより)

マウス型の機械で、指先のスイッチを押すと5W1Hで「どうだった」「いつ」「なんで」「どこで」と音声が流れます。お父さんは左手の指なら動かせるので、それに合わせた形をしています。

どうして5W1Hか。お父さんはかろうじて一言二言なら話せますが、オウム返しになってしまったり(「ただいま」に対して「ただいま」と返す)、長く話そうとして混乱してしまうそうで、会話の「きっかけ」が起きないし、続きませんでした。

そこで、会話のきっかけや返しをするツールとして、5W1Hでやり取りをすることにしたのです。


藤原さんの自宅の部屋の研究室
セトフラより)

完成したチットをもっと発展させるには、まだまだ乗り越えないといけない壁があります。技術力もそうですが、お金もかかってしまいます。

当初はお母さんからも研究にかかるお金を支援してもらっていたそうです。当初は学校の勉強の費用だと思っていましたが、日に日に規模が大きくなり、次から次へと家に届く電子機器を見たお母さんは「自分のプロジェクトだから、自分でお金を集めてみたらどうか」と提案します。

そこで、地元・岡山市のビジネスコンテスト「OKAYAMA STARTUP AWARD 2024」に応募。研究資金を調達することに挑戦します。

人前でピッチをするにあたり、色んな起業家たちに自ら助言を求めて、当日までプレゼンを練りに練ります。

そして、今年の3月に開催されたその大会で総合グランプリを獲得し、20万円の賞金を手にしたのでした。

藤原さんがやりたいことは研究だけではありません。失語症のことも世の中にもっと知ってほしいと発信を続けています。

失語症者は日本に現在30万人から50万人いるそうで、話せないことから自信を失って引きこもってしまう人も少なくないそうです。

失語症者の中には、ぱっと見た感じは健常者と変わらない人もいて、ふつうに外を出歩いているそうです。

とはいえ、緊急事態が起きた時、とっさにコミュニケーションが出来ない場合もありえます。気付いてもらいにくい症状でもあるのです。

藤原さんは失語症のことをもっと知ってほしいし、いつどんな形で失語症になってしまうか分からないので、日ごろから健康管理に気をつけてほしいと訴えます。

そして、日常のささいな言葉のやり取りがいかに大切か。藤原さんは家族との対話を大事にしてほしいとも語ります。

お父さんは失語症になって日常生活でもできることは限られていますが、お父さんも一緒に藤原さんの研究に「参加」していることが、自信を取り戻すきっかけになったそうです。

失語症によって失われた家族の会話を、研究と開発で取り戻す。同じように言葉を失われた人たちにとっても、それは希望になるはずです。

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藤原さんは今は高校生2年生。再来年には大学受験も控えています。

将来進みたい道は研究者もあれば起業家もあれば、まさに多彩で「グラデーション」のようだと語ります。

「"物づくりで誰かの笑顔をデザインする"という旗を立てて、どの色にも染まらない生き方をしたい」

「旗を立てる」という表現が、まさに「藤原咲歩」という生き方を自分でつくっていく意志を表していると思いました。

15歳くらい離れている藤原さんと私ですが、地元の岡山に、こんなにも鮮やかに自分の人生を語り、やりたいことを形にしようとする若い人がいることに衝撃を受けました。

「感動」なんて言葉が陳腐に思えるほど。

藤原さん、ありがとうございました。



▽瀬戸内エリアのスタートアップやアトツギベンチャーについて発信する「セトフラ」より



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