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ブリとミカンの極楽浄土


5月、田原総一朗さんと山形へ行った。地方視察の仕事である。



7月は、「ブリとミカンの島」へ行った。


ブリとミカンの島は、鹿児島県にある。長島町という。鹿児島と熊本の県境付近にあり、空港から車で2時間ほどかかる。



今回は、ジャーナリストのたかまつななさんも一緒だった。


「時事YouTuber」として、政治や社会問題を幅広く取り上げて発信している論客であり、昨年の11月には田原カフェにも登壇してくれた。


初日は鹿児島市内を観光し、翌日、長島町の役場の方々が用意してくれたハイエースに乗り、鹿児島市から北へ向かった。


途中何度かトイレ休憩をした。駐車場に車を停めて、道の駅のトイレに田原さんと向かうと、すれ違う人がほぼ全員二度見した。


「あ、生テレビだ!朝までやってる人!」


とすれ違いざまに聞こえた。「生テレビ」を「朝までやってる人」で本州の南端の地まで顔が覚えられている田原さんに恐れ入った。


出発してから一時間ほど走ると、左手に海が見えてきた。東シナ海である。


天気がいいと、ものすごく綺麗に見えるらしいが、この日は水面が灰色に淀み、灰色が空まで続いて一体化していた。


「黒之瀬戸大橋」を渡り、長島町に上陸した。



長島町の面積は山手線の内側とほぼ同じで、島にしては大きい。「長島大陸」という愛称が、島の観光政策などで定着している。


しばらく山道を走ると、ファミリーマートの看板が見えた。この町にはコンビニが2つしかない。スーパーは4つある。



車が到着したのは「長島大陸市場」という、島の漁港の傍らにある市場だった。


案内されて食堂に入ると、店員さんが運んできたのはブリの定食だった。ブリの刺身に煮つけ、あら汁、さらにはブリのふりかけまであった。


田原さんは運ばれてきた定食を見て「おお、ブリばっかりだ」と笑っていた。魚が好きなので、全部きれいに平らげる勢いで食べていた。


私も食べてみたが、身が締まっていて、噛めば噛むほど口の中に脂が広がる。煮物は骨までやわらかくて、ふだんなら捨ててしまうであろう部位も食べつくした。


とにもかくにも、こんなに美味いブリは初めてだった。



「長島町はブリの生産量が年間約1万2千トン、日本一なんです。日本だけでなく、世界にも輸出されています」と同行してくれた役場のHさんが教えてくれた。


長島町が位置するのは、八代海の下側で潮の流れが急なところである。この急な潮流のおかげで、ブリを養殖するのに適した環境を保てるらしい。


「ブリ」を堪能したあとは「みかん」へ。


温州みかんの由来と長島の繋がり

元台北帝大教授の田中長三郎博士は綿密な古書の探索と広範な実地調査から、次のような根拠により我が国における温州みかんの栽培が長島に発したと推理されました。神田玄泉の著書に「大仲島-名唐密柑、支那より肥後仲島輸入せるによりこの名ある」と記してあること、九州地方において温州みかんを仲島みかんと呼ぶこと、中国各地を実地調査したが温州みかんが存在しなかったこと、仲島は今の長島で遣唐使の通行に関係があったこと、これらのことから、田中博士は「温州みかんは中国黄岩県から天台宗の僧が長島にもたらした早キツ、マンキツからの偶発実生と思われる」と述べています。また、幕末に長崎に来たシーボルトも温州みかんの葉っぱの標本に「NAGASHIMA」と記しており、事実九州地方では温州みかんを長島みかんと呼んでいました。

このような田中博士の所説をさらに証明づけたのは、昭和11年垂水果樹試験場の岡田康男氏の発見による古木でした。樹齢300年と推定したこの木は鷹巣の山崎氏の宅地内にあり樹周180センチ、樹高7メートル、樹幅27メートルの巨木であったが太平洋戦争中に枯死しました。現在地の温州みかんは原木から採穂して接木した3代目の原木で樹齢3年です。

NHKテレビ番組「面白ゼミナール」で鈴木健二氏が温州みかんの発祥の地は「鹿児島県の長島の鷹巣である」と紹介しています。

長島町のホームページより


長島町は「温州みかん発祥の地」でもある。


一つの島に「日本一」と「日本初」の食べ物があるとは、どれだけ食に恵まれた場所なのだろう。きっと島の人は、ブリとミカンを年中食べて幸せで、島で生まれ育ってずっと暮らしていると思っていた。


ところが、長島町も地方特有の課題を抱えている。


「長島町は島に高校がないんです。なので高校進学と同時に島の外へ出て、そのまま就職や大学進学で島を離れて、帰ってこない人が多い」



人口はおよそ約9700人で、少子化、高齢化、島外への流出により年々減り続けている。


決して、子どもがいないわけではない。合計特殊出生率は2.06。2022年度の日本全体の割合が1.26であり、はるかに上回っている。小学校が7校、中学校が5校ある。


だが、高校がない。そのことが、人口流出だけでなく、高等教育に触れる機会が少ないことヵら、子どもたちの将来の進路の選択やモチベーションの差にもつながってくるというのだ。


そうした課題を解決するカギが、ミカンにあった。


日本マンダリンセンターのホームページより


長島大陸市場から車に乗ってしばらくすると、ミカンのような建物が見えた。


「日本マンダリンセンター」は、遣唐使の時代からつづくミカンの歴史を後世に伝えている施設である。


かつて、元軍人の町長さんが町の命運を懸けてつくったらしいが、年月が経つにつれて寂れてしまい、昭和の残り香が漂う「箱物」になっていた。


近年、その4階と5階を改装し、コワーキングスペース「長島大陸マンダリンBASE」として生まれ変わった。


入口でみかんたちがお出迎え


窓からは海が見えて、手前の方にはミカンの木が広がっている。この日は天気が悪かったが、晴天の日には絶景を見ることができる。


すでに利用者もいて、東京の大学を卒業して、新卒で働いている方もいた。東京からの移住者や二拠点生活をしている人と、地元の人たちとの交流の拠点としても活用されている。


ちょうどおやつ時。田原さんを囲んで楽しく談笑が始まるかと思いきや、その場に利用者さんや施設の方に議論をふっかけて、いつの間にか白熱していた。


「宮澤喜一って知ってる!?」
「自衛隊と憲法は大矛盾してる!」
「僕は総理大臣を3人失脚させた!」


おいおい、せっかく東京から4時間かけて長島町まで来て、過去の総理大臣と安全保障の話かよ、とツッコミそうになった。どんな場所でも、仕切って、煽って、生テレビ的な議論をしたくてたまらないのだろう。


これも田原さんなりのサービスで、一緒に議論した人たちはみんな「朝まで生テレビを生で体感できた」と興奮していた。



最後は町の役場へ赴き、町長に会いに行った。


川添健町長は就任して約18年。愛嬌のあるキャラクターで町民から慕われている。



町長は役場の職員に四つの約束を守るように徹底している。


一、笑顔とスピードで対応します
一、出来ない理由ではなく出来る方法を考えます
一、全力で知恵を出します
  知恵がなければ汗を出します
一、町長のつもりで夢を描きます
  実現に挑戦します


職員の方が持ってきてくれたファイルの山には、島に暮らす人の様々な声が詰まっていた。


町長自身も「みずから町民の声を聞く」ことをモットーにしている。コミュニケーションを大事にしており、困っている人、孤立している人にも声をかける。そのおかげか、長島町は鹿児島県内での生活保護受給率が少ない方らしい。


「町民の心の豊かさ、幸福度を上げたい。そのためにはトップの愛情が必要。この島を極楽浄土みたいな場所にしたい」


突然出てきた「極楽浄土」につい笑いが起こった。大らかな人柄は、長島町の行政のトップというより、「おらが村の庄屋さん」のようである。


田原さんも「これだけたくさんの人から相談がくるのも町長の人徳だね、○○(某政治家)のところには相談なんて誰も来ないよ」と、周囲の人間がどう反応していいのか困惑する毒を吐きつつ、感心されていた。



そんな町長が頭を抱えているのが、やはり人口の流出だった。


すでに書いたように、長島町は出生率は高いが、高校卒業を機に外に出てしまい、そのまま帰ってこない人が多い。


地方と都会の情報格差はオンラインのおかげで縮めることができたかもしれないが、都会でしか得られない体験や刺激もあるだろう。


そこで長島町は、「ぶり奨学金」という制度をつくった。卒業後、島の外に出て、10年以内に戻ってきた場合は、その居住期間に応じて補填してもらえる制度である。


こうした制度や「マンダリンベース」のような施設を十二分に活かせば、島で生まれ育った子どもたちが視野を広げよう、いろんな経験をしようと、一時的に島の外に出るけど、将来的には島に戻ってくる、そんな流れをつくれるのではないか。


長島町の本気を感じた。




今回の視察も山形と同様、田原さんのご親類で旅行会社にお勤めのMさんのおかげで実現した。いつも貴重な機会をくださり、ありがとうございます。


日本には1718の市町村がある。それぞれ課題もあれば強みもあるのだが、それを活かすのもダメにするのも、そこにいる人の存在なのだと思った。


私自身、岡山県の出身で上京している。長島町の課題である人口の流出という点では、私も外に出た人間の一人でもあり、都会と地方の教育格差についていえば、運よく恵まれた教育環境を享受している立場でもある。


田原さんから「ジャーナリストとして軸を持ちなさい」と度々教えられる。


田原さんは「二度と戦争をさせない」「言論の自由を守る」「野党を強くする」が、つねに行動と発信の指針になっている。


それでいえば私は「地方をおもしろくする」を一つの軸としたい。


まだまだできることがたくさんある。


田原さん、たかまつななさんと




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