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三遊亭遊雀師匠・遊かりさん「師弟」の落語を観てきた

仲良しの噺家さん・三遊亭遊かりさんのご案内で新宿末廣亭へ行ってきました。

遊かりさんとは共通の知り合いの方との飲み会で知り合いました。落語を観に行ったり、ランチをご一緒したり、交流を持たせていただいています。

遊かりさんが面白かったのは言うまでもないのですが、圧倒されたのが師匠である三遊亭遊雀師匠でした。

登場人物たちと目の前で会っているかのような対話感といいますか、本当にすごい話芸に触れました。理屈だけじゃない伝統芸の世界は本当に奥深いです。

私は小学校の頃から落語が好きで、落語がおもしろいから好きでもあり、最近は落語家という生き方に興味があるからハマり続けています。

落語家さんの世界は「弟子入り」をしなければ、その世界に足を踏み入れることはできません。勝手に「落語家」を名乗って活動できるわけではないのです。

そこから師匠の下で厳しい「前座」修行を4年ほど経て、寄席の楽屋で下働きを重ねて、やっと「二つ目」という自立した噺家としての位に。その二つ目としてのキャリアを10年ほど積み重ねた後に、晴れて「真打」として一人前の噺家になれるというわけです。

15年しないと一人前として認められないうえに、真打になっても実力勝負な世界であり、厳しい世界です。引っ張りだこな人と仕事が無い人、分かりやすいくらい差が出るわけです。


寄席の出番を知らせる看板。「遊雀」「遊かり」の師弟が並ぶ。


遊かりさんとお話しする時に「師弟」の話になります。厳しい世界ですが、自分が「この人に付いていきたい」と思える人の傍で修行をさせてもらえる、というのはある意味ではとても幸せなことです。厳しい世界ですが、面倒を見てくれて、真剣に弟子と向き合ってくれるわけですから。

私も田原総一朗さんという師匠のような存在がいます。噺家さんの世界ほど厳格ではありませんし、甘えてばかりですが、憧れの方の傍でお仕事をさせていただけることは本当に幸せです。

自分が知らない世界を見せてくれたり、目をかけて色んな機会をいただいたり、偉大な存在であるからこその苦労や葛藤が見えたり、近い距離で真剣に接しているからこそ伝わるものがあります。

何より田原さんのジャーナリストとして取材するやり方、人との接し方は本当に勉強になります。そうやって若い私にも「こういうところを見ておけよ」と後ろ姿から言われているような気がします。

ただ悲しいかな、師匠が発するものを受け取るセンサーが自分に完全に備わっているか、こぼさずに受け取れているかというと、まだまだ鈍感な気がしています。予備校の授業と違って「ここが覚えるべき大事なポイント」と分かりやすく提示してくれることばかりではありませんから。

落語の世界、もっというと伝統芸能の世界では、全員に共通する指導マニュアル的なものは無いのだと思います。噺は師匠や他の師匠方から教えもらえますが、一言一句完璧に覚えたらいいというものではない気もします。

落語は噺家の生き方そのものが噺にも現れると思いますし、それは師匠から理論・理屈で教わるものでもないのかもしれません。

昨日も遊かりさんの後に上がった遊雀師匠の高座を観ると、要所要所で遊かりさんにも受け継がれているなと思う芸の瞬間がありました。似るのか似てしまうのか分かりませんが、これが「継承」ということなのかなと感じた次第です。

ただ師匠の真似(意図的ではなくても)だけをしていてもいけない世界でもあり、最後は師匠から離れて自分の型を確立してこそ一人前なのかもしれません。

昨日は遊かりさんから誕生日プレゼントに手拭いを頂戴しました。噺家さんの大事な商売道具です。

そこに描かれていたのが「ユーカリ」の葉に集まり散じていく「雀」。伝統芸の「守破離」を描いています。これはどんな世界でも通じる教えなのかもしれませんね。大事に使いたいと思います。


手拭いをいただきました。ありがとうございます。


遊雀師匠、遊かりさんが出られている新宿末廣亭9月下席(夜の部)は30日までです。







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