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最終的には素直に酒飲めよって話(知的好奇心と知的探究心)

30歳にして完全に酒好きの女となってしまった私。
正確には別にお酒が好きな訳ではない。
お酒を飲む場が好き。もっと言えばお酒を飲む場に来る人たちと話すのが好き。

年齢を重ねていくにつれて、どんどん同郷の友達との縁は途切れていく。いわゆる旧友となってしまうのかな。社会人になると、決まったコミュニティの中で過ごすことが多くなっていくし、中には結婚して子どもを産んでともなると一気に既婚者と独身者との繋がりも薄れていくものだ。みんな自分の人生の輪郭をシャープにしていくんだなぁ。私も何とか生活できているので、何かしらの輪郭はできているんだろう。大体このくらいの年齢になれば、みんな人生の色と形がある程度できてくる。

こうも人間関係が一新されてくると、やはり寂しいと思えてくるはずなのだけれども、私はTHE一人っ子なので、あんまり寂しいという気持ちは抱かないというか、「他人は他人、自分は自分」というマインドが強いので、去るもの追わず来るものは場合によって拒むという省エネ設計で出来上がっている。まぁ一新されたと言っても、全然いないということはなくて、何だかんだで定期的に会ってくれる人たちがいるから、大切にしていきたいなぁと思っている。

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前置きが長くなったけれども、20代も後半を過ぎると急に刺激が欲しくなった。特にすることもないし、仕事は時に忙しいけれどプライベートが全くない訳ではない。な〜んか、人と話したいなぁと思って始めたのが飲み屋通い。バーとか居酒屋での出会いって、私にとってちょうどいい。老若男女が会すること、一期一会を体現できること、自分次第で親交を深めることができること。これらがとてもちょうどよくて都合がいい。学生の時はこの3つは真逆にあったなと思っている。甲本ヒロトが言っていた言葉がまさにそのもの。

友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。
ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。

出典不明だけど甲本ヒロトの「学校に居場所がない子に言ってあげられることはありますか?」
という質問への回答

さすがに山手線に3年とか6年とかいるのは、私にとっては苦痛だったなぁ。でも「山手線に乗車した、ランダムに選ばれた人たちと一緒に宴会してください」って神からの命令が下ったら、私はすすんで「ぜひ!」と言うと思う。
友達というには微妙だけれど、知り合いというならまぁそうかなって感じの距離感の人たちが集うのが飲み屋だ。行った日に集まったランダムな人たち。言っちゃ悪いが、当たり外れはある。けれど、そういう日もあっていい。私は刺激が欲しいだけだから。

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実はここまでも前置きなんだけど、本題はここから。閑話休題。

いきなりだけれど、ここ最近の飲みエピソードを踏まえて思ったこと。

「知的好奇心と知的探究心の違いとはなんだろう?」

●知的好奇心
物事に興味や関心を抱いたうえで「もっと深く知識を身につけたい」と思う気持ち

●知的探究心
物事に関して新たな知識を得よう、またはその原因を突き止めようとする気持ち

これが私の中で似て非なるどころか、全く別の気持ちだなと思っている。
私なりの解釈。

●知的好奇心
質より数。ミクロをマクロに捉える。定期テストの点数はいいけど模試はひどい。興味の幅が広い。ジャンルレス。憶測から根拠を探す。マーケター気質。

●知的探究心
数より質。マクロをミクロに捉える。テスト自体に興味はないけど、得意な教科がある。興味の幅が狭い。特定のジャンル。根拠から憶測を立てる。学者気質。

誰かと話している時に、これのどちらかの傾向が強い人と出会った時、今日は来て良かったなと心底思う。

飲み屋で出会う中でわかってきたけれど、圧倒的に多いのは知的探究心が強い人だと思う。
この記事を読んでいる人の中には、いやいや私は全然…と思う人もいるかもしれないんだけれども、あるトピックを話し始めると止まらない人はこちらだと思う。
まじで何でもいい。テレビ、YouTuber、ゲーム、漫画、音楽、映画、料理とか。
知ってる?マシンガンズっていうコンビの1人はゴミ出しのプロなんだよ?ゴミ出しに興味があるって何だよって思うよね。元清掃員だったかららしいけど。一度で良いから話を聞いてみたい。
https://x.com/takizawa0914

私は圧倒的に知的好奇心が強い人間。深く知るよりも広くたくさん知りたいタイプ。でも、広くたくさん知るために、ある程度の形がわかってきたら、そこで興味の糸は切れる。ちょっともったいない。それでも良い意味でミーハーだから、今従事している編集者という仕事においては、プラスに転じることが多いので開き直っている。

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ここから二段階、話が膨らむ。
もし「それでは人間は、知的好奇心と知的探究心、どちらかしか持っていないってこと?」って考える人がいたらかなり頭が堅い。両方持ち合わせている人もいる。本当に叶う気がしない。ここ最近はそういう人たちにたくさん出会うものだから、頭の中ってどうなってるんだろうなと思う。

一度、私なりの解釈で図にしてみた。

知的好奇心と知的探究心の図。感覚的な思考のイメージ。

多分、時間の使い方に無駄がないんじゃないかなぁと思う。スポーツマンがほぼ毎日、常に体を動かしているのと同じように、頭の筋力みたいなものがあるのだと思う。知るための筋力を無駄なく使えるってすごいよなぁ。私は土日は寝てたら昼で、猫の動画見てまた寝るみたいな怠惰な生活しているから、参っちゃうよ。もしかしたら、そういうこともしているんだろうけどね。

そういえば、先月はテレビのリサーチャーの方に会ったことがあったけれども、その人もこのタイプだったなぁ。リサーチャーなだけあって、マス受けの情報を得ることも得意。マス受けを狙うために、コアな情報もしっかり知っているから、裏取りも抜かりない感じ。マーケターであり、学者であるというのはこういうことだろうな。

多分だけどね、こういうタイプの人は「好きこそものの上手なれ」を具現化したような人なんだと思うんだ。ある種の義務感もあるんだろうね。特に文化というものは奥が深い。受け売りだけれども、歴史があるので、そこから掘っていける人はもうそのジャンルが好きすぎて堪らないんだろう。で、さらに他のジャンルにおいても同じ考え方なんだろう。

なぜ、こういう思考を持てるのかも考えてみた。「出自」だと思っている。大体において、親の影響が強い気がする。親の好きだったものが今の自分を形成しているというか、例えば音楽なら、車の中で聴いていた曲の影響を多分に受けていると思う。で、それを語るのが好きな親だったとしたら、より一層思考の癖や幅に影響が出るだろうなと思った。

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で、もう一段階あって、「探求心」が強い人というのがある。

●探求心
物事を探し求めることが目的。どこにあるかわからないものを手に入れようとする気持ち

これができるのは、仮説立てられる、いわば0→1の人間だと思う。知的好奇心も知的探究心もあって、さらにその上。超人。
例えるならば、ビッグデータを用いた今の世間に溢れるなんちゃってAIが、知的好奇心・探究心だとしたら、思考して糸口を見出すようになる正しいAIの形が探求心だと思う。

『預言者ピッピ』っていう未完のマンガがあって、まさにAI時代の先取りをしているというか、AIが思考を持つことの怖さをSFチックに描いている作品なんだけれど、まぁそういうことかなと思う。ピッコマを貼っておきますね。
https://piccoma.com/web/product/1187?etype=episode

アインシュタインとかエジソンとかもこういう思考だったんじゃないかなぁってふと思った。小さい頃お母さんに「空が青いのは何でだと思う?」って問われたみたいな偉人って誰だったっけ。なんかそんな感じ。根拠と憶測と仮説から思考のトライ&エラーを繰り返していくというような、そういう感じ。
さすがにドンピシャで出会ったことはないけれど、こういう思考っぽい人には出会ったことがあるなぁ。

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話は長くなったけれども、こんなことばかり考えてないで、私も素直に酒飲めよって思ったわ。お前こんなこと考えて飲んでんのかよとか思われたらやだし笑

今これ書いて思ったけど、私は人間の思考を考えるということについては、知的探究心が強いのかもしれないね。今更ながら哲学を専攻すべきだったかなと思った。哲学面白そうなんだよな。倫理の授業とか面白かったし。でも学ぶとさ、縛られそうじゃん?考え方の幅が狭まらないかなと思ったんだけど。とか言ってるのはダサいかな〜。

気が向いたら図書館でも行こう。

(写真:noteのライブラリから)

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