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考えすぎることは本当に良くないことなのか

地元の友人と旅行に行ったと想像して欲しい。お酒も飲んで馬鹿騒ぎもできる。でも自分だけ少し浮いている気がする。馴染めてない気がする。自分の素を出せていない気がする。そのようなことに心当たりがある人にこそ読んでほしい。

おそらく今心当たりを感じた人はよく「考えすぎ」と言われることがあると思う。

「考えすぎ」は些細な事でも大きなストレスに変えてしまうことが大半だ。人一倍繊細だ。

でも本当に悪いことしかないのだろうか。私は良い面もあると思っている。

確かに考えすぎることは苦しい

人間は考える葦であると言う言葉があるように考えることは人間が与えられた特権であり今の繁栄がある。人間は考えることにより歩みを進めてきた。なのに考えることは悪いと言う決めつけは矛盾があると思う。我々も考えることで一歩を踏み出す権利はある。

確かに人生は短い。深く考えすぎて人生を惨めに過ごすより、深く考えずに目先のことを楽しむことのほうがいいのかもしれない。

だが考え抜き、時に心を蝕みながら成長する人だっていてもいいと思う。

深く考えてしまう性格であるのに人生を楽しむことに重きを起きすぎて辛さを感じるよりも、自分に素直になり考えに耽ることも一つの生き方だと思う。

実は冒頭の旅行の例はこれを書いている今現在も私の立場だ。地元の友人と2泊3日の旅行の一番盛り上がる夜に1人抜け出し、湯河原の川に身を委ねている。

しかし胸がとても軽い。考えすぎと言われる性格に素直に従い、輪を自ら外れて孤独になっても気分は軽やかだ。

明日の10時のチェックアウトでまた悩み苦しんでいるかもしれない。考えすぎはやはり毒なのかもしれない。

ただ私はこれを書いている現在の胸の透明感を感じた証にこの文章を書いた

とりあえず急にいなくなり心配をかけた友人たちに謝罪することは心に留めて宿に戻ろうと思う。

チョキピース

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