【吉田松陰に学ぶ「人生の三大不幸」】
こんにちは。五十嵐(がらし)です。今回は生き方を高めるテーマで、僕の尊敬する吉田松陰さんからの学びです。才能を発揮することと才能に溺れることの違い。生き方を高めるとはどういうことか?というお話です。
人生の三大不幸
皆さんはなんだと思いますか?
僕だったらなんだろうなー。
「孤独」「貧困」「飢え」
とかですかねー。
あー、あと不健康な状態とかかなー。
などと考えました。
では、結論からいきましょう。
答えは
①話が上手い
②文章が上手い
③愛想がいい
の3つです。
「えっ、なぜ?」
って感じですよね笑
むしろ全部あった方がいいじゃん!って感じですよね笑
僕も今、3つとも高めたいスキルですよ笑
なぜなのか?なぜ松陰先生はそれを不幸と定義したのか?の理由について書いていきますね。
才能と器(人間力)
東洋思想の中で「小人」と「大人」という考え方があります。
「小人」というのは才能を殺す人生
「大人」というのは才能を活かす人生
のことです。
才能というのは、誰にでも与えられているものである。
と多くの成功哲学者は言いますよね。松陰先生も才能は誰しも天から与えられているものである。というお考えだったようです。
では、才能を「活かす」と「殺す」はどこで決まるのか?
それが、その人の「器(人間力)」で決まるのだそうです。
自分の器が大きいと才能を活かすことができるが、
自分の器が小さいと才能に振り回されることになる。
要は自分に与えられた才能を「なんのために活かすか?」という判断基準や価値観がないと、損得や目先の快楽に溺れてしまうリスクがあるということです。
人の素晴らしさは「才能」によって決まるのでなく、「器」によって決まるということです。
(どちらも大事に思えますが、才能の方が目を奪われがちですよね)
才能があるだけでは薄っぺらい人生
さて、ここまでの話を理解してもらうと、人生の三大不幸の本質が少し見えてきますね。
①話が上手い ②文章が上手い ③愛想がいい
これらは、器でしょうか?才能でしょうか?という話です。
これらは、すべて「才能」ですよね。ですから、松陰先生はこの3つの才能が与えられていることの危険な側面を訴えているのです。
①話が上手い=実践していなくても、腹のなかでは何を考えていても流暢に話すことができてしまう。
②文章が上手い=本当に思っていないことも、まるでそう思っているかのように伝えることができてしまう。
③愛想がいい=八方美人になって、全く正反対のことでも、まるで大賛成です、というように示すことができてしまう。
ということで、要は「嘘をついて生きる」ことになりやすいということです。才能だけが与えられていても、薄っぺらい人生になってしまうことは往々にしてありうるということですね。
まとめ=才能をどう活かすか
少し早めにまとめに入りますが、才能はあること自体が悪いわけではありません。
繰り返しになりますが、「どう活かすか?」「なんの目的のために才能を使うか?」という視点が重要という話です。
「才能さえあれば!!」と思うことは誰しもあると思います。
僕もこうやって書いていて「文才があれば!!」とよく思います(今も全然思ってしまいます笑)
それも、あること自体が悪いことではない。
ただ、「才能さえあれば全部うまくいく」とか「才能があったらそれを頼りに生きていけばいい」という自分自身の「生き方」や「考え方」が問題だと、才能も悪い方向へと変わっていってしまうよということですね。
「いかに生きるか?」
今回の学びをくださった吉田松陰さんのことを書かれた本「覚悟の磨き方」のメインのキャッチコピーですが、まさにこの視点ですよね。
どうせ才能を与えられているなら、なんのために?誰のために?その才能を生かしたいと思うのか?
なんのために天は私にこの才能を与えたのか?
そんな問いの繰り返しが、才能<器 という人生への歩みを進めてくれるような気がします。
器=人間力を磨くなんていうと、目に見えないことだしなかなか成長が感じづらいことではあると思いますが、定期的に自身のあり方や指針というのは見直していきたいなと思わされる今回のテーマですね。
ありがとうございました!
五十嵐(がらし)
さらなる価値を発信していけるように、 自分自身の知識に投資すること、見聞を広めること、 に還元させていただければと思います(^^) それによって、サポートをしてくれた方にも 「徳」を循環させたれたらと思います✨