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いいないいな、オタクっていいな


お‐たく【▽御宅】
【一】[名](1〜4省略)
5 ある事に過度に熱中し、詳しい知識をもっていること。また、そのような人。「アニメお宅」
[補説] 5は1980年代半ばから使われ始めた言葉で、当初はやや軽視する言い方だった。仲間内で相手に対して「おたく」と呼びかけたところからという。多く「オタク」と書き、また近年は「ヲタク」と書くこともある。

私はオタクが好きだ。
何に対してもどんなジャンルでも、自分の好きなもの(こと)について語れる人は素敵だなあと思う。

最近では昔に比べると「オタク」という言葉自体、蔑称というより自分の好きな事柄や興味のある分野に、極端に傾倒する人を指す呼称としてのイメージの方が強くなってきているように感じる。
単純にアニメ・ゲーム・漫画など、嗜好性の強い趣味や玩具の愛好者のみを指す言葉ではなく、ジャンルを問わず「好き」を貫き掲げている人の勲章のようにさえ思わせる言葉となっているのだ。
簡単に言えばマイナスよりプラスの意味で使われることが多くなってきたよね、という話である。

では、どれ程の熱量があれば「オタク」と名乗って良いのだろうか。
きっとこの不毛な問いに真面目に解答を考える人はそもそもオタクではないだろう。
「好き」に熱量もクソもないのだから。
もちろん、その熱量の"量"に比重を置いて考えているタイプも存在するので「こんなことも知らないのに〇〇オタクって名乗るなよw」と上から目線で新規、新参を煽って同じ仲間から煙たがられるという一連の流れを飽きずに繰り返している。

しかし私は何かを好きだと思う気持ちや、それに関する話をキラキラとした表情で話す人が大好きだし尊いと思うので、「自分はこれが好きだ!」と認識した時点で名乗りたければ名乗って良いと思うのだ。
自分って何だろう……とか、私は誰からも愛されない……みたいなちょっと心が落ち込んだ時こそ「私は〇〇が大好きな人間です!」って自分を"好き"の括りに入れてみるとなんだか少し心が軽くなったりもする。

布教とは (フキョウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
・オタクによる布教
本来は、信仰・宗教の教えを広く行きわたらせることだが、オタクによる布教とは、自身の趣味や気に入った作品を周りの人達に広めることをいう。
オタクは気に入った作品ができたとき、その一つにのめりこむ習性がある。
時間を忘れて狭く深くそのジャンルに熱を注ぎ、やがて「信者」になる。
信者はファンを増やしたい、己がハマっている分野に他人を引き込み語らいたいなどの思惑により、周囲の人間からネット上に至るまで、己の気に入った作品を勧めていこうと必死になる。
より多くの人間に布教したい場合は、布教用として同じ作品をもう一部買い、押し付けてくることもある。まさに宗教である。

私自身アニメや漫画が好きな雑食オタク(ヘッダー写真は自分のオタクライフ)なので周りの友人も似たような人種が多いのだが、友人が新しくハマったジャンルについて布教してくるパワーは本当にすごい。
会社のプレゼン資料よりも気合の入ったパワーポイントを作成してレンタル会議室を借りてきた時は流石に笑ってしまった。
この布教と呼ばれる行為の何が楽しいかというと、決して好きになれと押し付けてくるのではなく自分がただ語りたいから語っているのであり、合法的に他人の狂った姿を見られるのだ。(私はこれを公開自慰行為と呼んでいる)
人が「好き」を楽しそうに話すのを聞くのが好きな私にとっては最高の場なのである。


年齢性別社会的立場etc、そんなものを全て取っ払って「好き」の共通点だけで交流できる楽しい人種"オタク"。
そんなオタクを愛する私はもはや「オタク"オタク"」なのかもしれない。

コミックマーケット99が無事開催されることを祈るばかりだ。



3/8 追記
開催延期…………………。

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