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夕方の散歩でなんとなく考えたこと

こんばんは。今日も暑かったですね。お疲れ様です。今日は夕方の散歩でなんとなく考えたことを書きたいと思います。

今日は18時前に散歩へ行きました。外に出ると、西陽が厳しくまだ暑さを感じました。それでも昼間よりかは随分日陰も増えて、歩くことは楽でした。

歩いていると相変わらずのセミの鳴き声。「朝から夕方まで本当にご苦労様」と思いながら、なんとなくセミのことを考えました。

セミは全力で鳴いて、数日間で命が尽きてしまうと言われています。鳴くのはオスだけで、メスは鳴きません。つまり鳴くセミは全てオスで、メスに対しての全力アピール大会だと言えます。

なんであんなに全力で、人間も驚くような大きな音が出せるのでしょう?本当に不思議ですね。それよりも不思議に思うことは、セミがなぜこんな進化を遂げてきたのか?ということです。

もしかしたらセミは鳴かない虫だったけれど、突然変異で鳴くオスが生まれて、そのオスがメスにモテモテになったから、他のオスたちも真似をするようになったのだろうか?それとも、鳴くオスがメスに人気になって、その子孫だけが残っていったのだろうか?そんなどっちでもいいだろうと思うようなことを歩きながら考えていました。

時々こういったことを考えてしまうのですが、このどっちでもいいような想像というか空想というか、そんな感じがぼくは好きです。

セミから想像できる、ぼくなりのセミのストーリーが、なんだか面白かったんです。そんなことを考えながら歩いていると、足元で何か触れた感じがしました。

下に目線を落とすと、セミの亡骸。ご苦労様と思いながら、家に向かって歩いていると、結構な数のセミの亡骸が転がっていました。ちょっと切ないセミたち。でもきっと自分の精一杯を出し切っての死だったのだろうと、ぼくは勝手に思いました。

生き物には寿命がある。それはぼくたち人間も同じです。でも、ぼくたちは生き物の死を目の当たりにしても、なかなか自分の死を想像することはないですよね。

毎年セミが死んでいるのをみても、死んじゃったんだとしか思わない。それが当たり前になっているから。そう思うと命は儚いなと感じます。

生きることは何か目的があって生きていると言いますが、生き物のほとんどの目的は子孫を残すことです。だからぼくたち人間は無理な目標をたてず、もっと自由にのびのびと生きることを考えてもいいんじゃないかと思いました。

そんな夕方の散歩でした。今日も読んでくれて、ありがとう。

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