お~いお茶を飲むVtuber

 Vruberの何がすごいかって?そう、彼らは「お~いお茶」を飲むんだ、「お~いお茶」を。

 それだけじゃない。遊ぶのはSwitchにPS4にAPEXで、歌うのはYOASOBIにKingに紅蓮華、目指すのは武道館で進出するのは地上波だ。

 彼らは一見、架空のキャラクターだ。アニメ、漫画、ゲーム、小説、ドラマと同じ、誰かの創作物。「お~いお茶」ではなく「そ~れお茶」を飲む彼らと同じに見える。

でもそうじゃない

 彼らは自分自身をコンテンツにし、そして作品を作り出す活動者であって、誰かの作品ではない。お~いお茶しか飲めない我々と交流し、平然とお~いお茶を飲む。現実に生きているのだから当然だ。

 だがキャラクターでもある。ゲームに登場してもアニメに登場しても違和感はない。我々からすればファンタジーな経歴を持つ者もいる。バーチャル世界ではその混沌さが日常だ。
 お~いお茶もそ~れお茶も両方飲める、それがVtuberなのだ。

 彼らは現実を生きながらも、誰かの作品の登場人物になることができる(もちろん自分の作品でも)。
 架空と現実の間を地続きで行き来できる存在がいかに革新的だったか、その衝撃はいまも忘れられない。個人的には初音ミクを知ったとき以上の衝撃を受けた。
 様々な「物語性」を持つコンテンツがひっくり返る日がいつか来るだろう。にじさんじを見ていると特にそう思う。 

 これは今だけかもしれないし、これからもそうかもしれない。一部の人しかできなくなるかもしれないし、バーチャルならだれでもそうかもしれない。それはわからない。わからないが注目しておきたい。

 Vtuberの持つ物語性と現実性によってどんなコンテンツが作れるか?今後も実験的コンテンツ制作、思考実験に励みたい。



コメント欄に余談あり〼。

 

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