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セミの抜け殻に入る

こんにちは。

7月も終わりに差し掛かり、夏本番、という暑さが続く。
高温多湿な日本ならではの気候だが、蒸し暑さはあまり得意ではない。
外にいるだけで身体の不快感が増していく感じ...。
お風呂に感謝する毎日だ。

夏の風物詩といえば、何を思い浮かべるだろうか。
花火、風鈴、海、スイカ、お祭り...他にもいろいろある。

僕が最近興味を惹かれているのは、セミだ。
ミンミン鳴くやつ、ジージー鳴くやつ、個性があって面白い。
僕は虫取りの趣味はないので、おしっこをかけられた経験もない。
「セミファイナル」なるものもくらったことはない。
唐揚げにして食べたことは、もちろんない。

僕がセミの何に惹かれているか、というと、「抜け殻」だ。

※ここから先、虫の画像が出てくるため注意!


セミ(抜ける前)

こちらの個体。
職場の前を頼りなさそうにウロウロしていた。
足取りが弱々しかったのを覚えている。

僕は少し感動していた。
セミがこの状態で動いているのを初めて見たからだ。
羽化に最適な場所を懸命に探しているのだろう。
小さくも、力強い生命力を感じた。

ところで、この状態のセミを、なんと呼ぶのだろうか。
殻は着ているが、幼虫と呼ぶのも違う気がする。
しかし羽化はしていないので、成虫でもない気がする。
人間に例えると、子どもと大人の中間だから...モラトリアムかな。
モラトリアム虫(=モラトリアム中)とか良いんじゃないか。
これでいこう。

気になるのは、このモラトリアム虫が、ちゃんと羽化できるかどうか、ということだ。
あまりにも弱々しい足取りだったので、職場の人たちと一緒に心配していた。
加えて、ここは街中なので、羽化に最適な場所とは思えない。
その日は夜も遅かったので、無事に巣立つことを願って帰宅した。


翌日...。

セミ(抜けた後)

羽化していた!
見事に「抜け殻」となって、職場前を転がっていた。
職場の人と見つけたときは、ホッとした。
「そうか、無事にいったんだな...」と、親の気持ちになっていた。

この、一連の体験。
幼虫が土から出てきて、地を這い回り、脱皮して成虫になること。
僕がその経過を観察できたこと。
初めての経験だったのもそうだが、何か、生命の躍動を見た気がした。

昔の人は、脱皮する生物に生命の神秘を感じたという。
何度も殻を脱いで、美しく、新しい状態になる生の在り方。
脱皮という現象に「死と再生」の儀礼を見出したというが、
この個体を観察することで、僕も少しだけそれが理解できた。
気がする。

セミの抜け殻に「終わった物体」を見出すのか、「飛び立った証」を見出すのか。
抜け殻を「死」と観るのか、「生」と観るのか。
それはどちらとも言えそうだ。

ちなみに、この抜け殻の中には、白い紐状のものがある。
これはモラトリアム虫だった時の、気管支の名残りだそうだ。
全ての生命は呼吸をする。
この名残は、セミが殻を着ながら「生きていた証」といえる。

セミの「生の在り方」を考えることは、セミの身になって考えることだ。
だからこそ、抜け殻の中に入る(ような思索をする)ことは、他者理解の一歩だと思っている。

近くの山から、セミの合唱が聞こえる季節だ。
今日は何体が羽化し、何体が土に還ったのだろうか。

さようなら!

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