方言が厳しかった

医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今は5ヶ所目の事業所でお世話になっている。ここは実家から遠い。文化もすこし違う。なにより方言があるのだ。かなり濃い。おそらく僕とお話するときは標準語にしてくれているのだろう。けれども地元民同士の会話は全く聞き取れない。日本語にすら聞こえないのだ。

誰もが標準語で話しかけてくれるわけではない。フルスロットルの方言で喋りかけてくる人もいる。仕事場のパートタイマーな方達だ。平均年齢は高めのお姉様たち。おそらく還暦は迎えていないだろう。彼女らは遠慮なしに方言で話しかけてくれる。正直、困る。そんな僕を見て、楽しそうにキャッキャしているお姉様たちであった。

彼女らの持場は洗浄室だ。そこのすべてを任されている。人数は4人だが足りないことはないだろう。だがしかし、人としても丸い丸部長は、そこにも予防線を張るのだ。僕を補充要因として就かせたのである。研修だ。期間は2週間。短い期間だが仕事を覚えてお姉様方のバックアップ要員になることが僕の使命。方言でつまづいている場合ではないのである。

意外にも1対1のコミュニケーションはとれた。やはり僕を困らせてた楽しんでいただけなのだろう。僕も恨みの類は無い。方言に触れさせてもらって、すこし楽しかったからだ。

仕事は楽に覚えることができた。細かい数字も扱うが、覚える必要も無かった。すべては壁に貼られたメモに書いてあるからだ。ただ、そのメモの劣化は激しい。おそらく長く張られているのだろう。濡れては乾きの繰り返しを垣間見ることができた。

僕はそのメモを更新することにした。いつ破れてもおかしくないからだ。聞けば何度か落ちてもいるらしい。その度に拾っては貼り続けているそう。それくらい大切なメモなのだ。更新のついでに文字を大きくしておいた。見やすくするためにデザインも少しだけ変えた。濡れてもいいようにラミネート加工も行った。これで向こう10年は安泰であろう。

お姉様たちには好評だった。聞けば昔から何度もお願いしていたらしい。それでも社員さんは対応してくれなかったそうだ。それを僕は勝手にやってしまったというわけだ。各方面からのヘイトを心配したが問題はなかった。むしろ社員とパートタイマーであるお姉様たちとの緩衝役に任命されてしまったのである。

「タモツ君の言うことは聞いてくれるみたいだ」。丸部長曰く、指示をしても素直に動いてはくれなかったらしい。大変恐縮する。これくらいのことでお役に立てれば本望だ。

その後もお姉様たちとのコミュニケーションは良好だ。僕が料理をしていることも好印象だったらしい。彼女らはベテランの主婦だ。教わることも大いにある。そんな関係性が功を奏したのだろう。

僕の評価は、派遣社員の中のリーダーが行うことになっている。いつもお昼ご飯は食べない兄さんがその役を担っていた。そんな断食兄さんの中では僕の評価も高かった。おかげでボーナスも以前より高くなっていた。本当にいいのだろうかと思うくらいに。

正直に言うと、今までの事業所の中で一番頑張っていない。体力的にも、知力的にもだ。物足りなさすら覚える。おかげで趣味は好調だ。故に僕に付けられた高評価を手放しに喜ぶことは出来なかった。

もちろん断食兄さんを責めているわけではない。経験も豊富な人だ。過去に人事評価もたくさんこなしている。それで問題になったことは一度もない。営業部の部長も信頼をよせている。だからこそ、僕は悩んでしまったのである。

過去に配属された事業所では、そのときどきの役割があった。けれども、ここでは無い。ただただ時間が流れていく気がした。それには恐怖も覚える。なにかしらの目標となる任務が欲しいのだ。

考えてもみれば、今までは任務を与えられていた。自分で設定する必要はなかった。そう考えれば、ここでの任務は自分で設定する必要があるのかもしれない。

僕もいい年齢だ。30にもなってしまった。そろそろ自分で仕事を作る頃合いなのかもしれない。僕に出来ることはなんだろう。周りは僕に何を期待しているのだろう。まずはそこを考えることからはじめてみたいと思う。


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