写真で行き詰まったら動物園
医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。現在、暮らしている場所は北海道。写真がライフワークになっている僕にとっては最高の異動だったわけだ。故に週末は撮りに出かけている。
登別の地獄谷で撮った写真は不思議だった。縮尺が分からなくなる。撮り方によってはこんな表現もできると知った。北大植物園にも行った。植物の葉を寄って撮った。これも不思議だった。被写体の『葉』を見ているはずなのに、なにか違う物を見ているようだった。
『僕の思う最高の一枚』。僕はこれを目標に撮っている。この不思議な体験も今後の参考になるだろう。被写体選びの基準も変わったと思う。奇をてらうつもりはないが、いいと思ったものは躊躇なく撮りに行けるようになった。
黒松内のスノーシェルターもそうだった。『なんかいい』を撮りに行った結果だ。とはいえ秩序の淡い部分を狙うスタンスは変わってはいない。直感とロジックの合せ技だ。だが将来的にはすべてをロジックで撮れるようにしたい。『僕の思う最高の一枚』に近づくためには必須と思っている。
新得町で撮った羊の写真もセオリーからは外れていた。顔にフォーカスしていないのである。もこもこの羊毛に合わせた。モエレ沼公園で撮ったお気に入りの1枚もただの壁だった。室蘭のイタンキ浜で撮った1枚も、曇り空にも関わらずいい写真になったと思っている。
あいかわらず鉄道関係も撮っている。北海道には鉄道パーク的な施設が多く点在しているので、それらを制覇する勢いでまわった。中でも『三菱大夕張鉄道跡』で撮った写真は最高だった。展示されている車両の内部で撮ったものだが、撮りたいものを撮れた気がする。
そして久しぶりに東京へ行ってきた。仕事の一環だ。会社の『本社会議』に出席してきたのである。交通費は出るのでおいしい旅行だ。さすがに宿泊費は出ないので、少し遠いが実家にも帰った。
もちろんカメラは持ってきた。僕のカメラは67中判フィルム機。空港でのX線査時がめんどくさいが、それも慣れたものである。東京では行きたいところがあった。上野動物園だ。動物園はいい。独りも慣れれば快適だ。周りに迷惑を掛けない撮り方はとにかく時間がかかる。独りの方が何かと都合がいいのである。
もちろん『僕の思う最高の一枚』を目指して撮った。けれども、それ以上に満たされるものが動物園にはある。正直、ここ最近は壁にぶつかっていた。ボツ写真を見れば迷走していたようにも思える。それを解消してくれるのが僕の中では動物園なのだ。
理由はわからない。けれども確かに何かを掴めるのだ。純粋に楽しめることが重要なのかも知れない。そこでは深く考えていない節もある。自分のスタンスという枠にはめていく。そんな撮り方をしていると、忘れていたものも気付けるというわけだ。
上野公園は楽しかった。そんな撮り方でもお気に入りの1枚は出来上がる。亀の写真がそうだった。やはり顔は映っていない。後姿で大きな甲羅から小さく出た足。地面にはもがいた跡も。なんかよかった。
北海道へ戻ってからも余韻が残る。何度も何度も動物園の撮影を思い返してみた。きっと次の撮影には、新しい何かが待っている。そう思えると来週末が楽しみで仕方ない。仕事に精を出してる場合ではない。僕の写真は止まらないのである。
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