鉄道写真はいい

医療系の研究施設で働いている。仕事量は多くも少なくもない。残業はなく、退社は定時にきっかりだ。おかげで趣味に没頭できる。週末はフィルムで写真を撮りに行き、平日夜はスキャニングからの編集作業。いい生活を送らせてもらっている。

先日はお寺に行った。目当ては羅漢像。ポートレートに興味があったので、石像で疑似体験してみたかったのだ。僕の写真ジャンルは風景写真だろう。だが他ジャンルも気になる。人を被写体としたポートレートは競技人口も多い。きっと楽しいのだろう。それを探るための疑似体験だった。

結果から言うと、疑似体験にはならなかった。やはり生身の人と石像では勝手も違う。当たり前だが、楽しさの出所も違うだろう。けれども被写体としての『人』はとても魅力的とも思えた。僕の写真には表情や感情はいらないのかもしれない。故にポートレートとは違う写真になってしまうと思うが、将来的に撮ってみたいと思えた。だが難易度は高そう。今は石像が身の丈に合っているとも思えた。

競技人口でいうならば、『鉄道写真』もなかなかのものだ。以前に鉄道工場の一般開放にも参加したが、その人気はすごかった。惹かれる理由もわかった気がする。大きくて速いのだ。加えて、存在自体がおもしろい。生活に溶け込みすぎて、そこにあるのが当たり前だが、よくよく考えてみると、とてつもないシステムにも思える。

僕はとある駅を訪れた。そこは地方の少し大き目な駅だが、人影はまばら。とくに活気も無い。ホーム数は多いが閑散としている。だが、鉄道システム的には重要な駅となっている。故に停まっているディーゼル機関車は多かった。最高の撮影ポイントというわけだ。

実は新たなレンズを手に入れていた。すでに試し撮りは完了。この日の撮影は初運用の気持ちで臨んでいた。焦点距離は165mm。フルサイズ換算で80mm程の焦点距離。いわゆる”準望遠”と呼ばれているレンズだ。このレンズとカメラ本体の組み合わせは、多くの”撮り鉄”な人々も採用しているらしい。おそらく端から見れば僕も立派な”撮り鉄”に見えるだろう。

撮影は楽しかった。やはり鉄道は被写体としても魅力的だと思う。僕は車輪周りのディティールが好きだ。ホームからは見えない部分。鉄の機械が丸出しのところだ。”機能美”といってもいいだろう。自然とその部分を入れた写真が多くなった。

その内の1枚は最高だった。重量級の機関車の連結部分を写した1枚。縦構図にしたが、画角内のパーツ配置は比率的に完ぺきだった。歪みも無い。準望遠レンズの圧縮効果もすこし効いている。鉄道写真としてもいいと思える。人の営みの一部である鉄道システムの存在は、周りと比べれば複雑な人工物なのだが、それも自然現象の一部として見れれば、こんなにも美しく見えるわけだ。

やはり鉄道はいい。撮っていても楽しいし、写真になってもすばらしい感覚を与えてくれる。きっとこの先も撮り続けていくだろう。だが鉄道だけを撮ることはないと思う。そもそもそこらに明確な境界線は無いのだ。

『僕の思う最高の1枚』を追い求め続ければ、かならずそこに被写体として鉄道は入ってくるだろう。その日の写真は、おそらくこの日の写真を超えてくるはず。そうなるように鍛錬は続けていきたい。僕の写真は止まらないのである。


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