文化のにほひ
10年以上前、まだ独身の頃、当時勤めていた会社の上司のススメもあり、健康増進の一環でマラソンをやっていた時期がある。
先日クローゼットを整理してたら『京都木津川マラソン大会』の参加賞でもらった小さめのショルダーバッグが出てきた。あまり使った形跡もなく、状態はとても良かった。
ちょうど手頃なバッグが必要だった小一の息子に「コレどう?」と聞くと、「いる!」と即答。近頃『キャラクターもの』を一切排除した『無地もの』にハマり中の、デザインに若干うるさい年頃の息子だったが、すんなりとお気に召した様子。
夏休みはもっぱらこのバッグでお出かけしている。
完全に忘れていた遠い記憶のバッグ。
それがまさか小学一年生の我が子のお気に入りになるなんて、木津川のほとりでクタクタに走り終えた後、スタッフから参加賞を受け取った時には想像だにしていなかったことだ。
あの頃当たり前だった日常生活は、いつの間にかうっすらと消え、どこからともなく始まった今の日常生活。
そんな中で起こった何気ないこの出来事は、うまく表現できないが、これまで私が過ごしてきた時間・空間・物質…それらがとても丁寧に醸成された事象のように思えた。もちろんそれは当時からすれば、間違いなく「予期せぬ出来事」だっただろうが、一方では、まるでそのため(息子のため)にバッグが用意されていたかのような、不思議でとても自然な流れのようにも感じた。
また、私の「なかなかモノを捨てることができない」性格も相まって、私自身の人生から自ずとにじみ出た「人生の醍醐味」のようにも思える。
そういえば、我が家の大工道具入れには亡き父が持っていたレンチ🔧があったりする。
世代をまたいで何かが自然と受け渡されていくということ。
そこからは、心なしかほのかに「文化」の匂いがする。
私の生は、たぶんその文化形成を担う一端なのかもしれない。そして、それを家族と呼ぶのかもしれない。
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