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お口崩しのインスタントコーヒー

 黒色の中空二重構造のステンレスコップにいつも、インスタントコーヒーを淹れている。美味しいコーヒーの味を求めているわけでもなく、カフェインを求めているわけでもない。
 しかしお茶でも紅茶でもなく、不味くてもいいからコーヒーが飲みたいのだ。

 コーヒーという名前が重要な気がする。コーヒーを飲んでいるという行為に意味がある。何かよく分からない、美味しいのか不味いのか、いや、美味しくはないインスタントコーヒー。それでもそれはコーヒーという名前が付いていて、色は深い焦茶色でただ苦い。
 それを飲んでいるという行為に何か安心している、逃げている、誤魔化している、やり過ごしている、繋ぎ止めている、そんな感じがする。

 お口直しの逆の行為、お口崩しとでもいうのか、そんな効果がインスタントコーヒーにはあるように思う。本を読んでいる時、文章を書いている時、YouTubeを見ている時、ネット会議に参加している時など、お口崩しが必要になる。
 それに最適なのがインスタントコーヒーなのだ。

 それは視覚、聴覚、触覚以外の刺激より、味覚、嗅覚というより原始的なものへの希求。
 自分という存在を現実に繋ぎ止めるために、肉体という存在があって初めて自分が存在できているという事実を思い出させるために、あの不味さが役に立つ。
 オレは今日も美味しくもないインスタントコーヒーを飲む。

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