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はみだし者のうた。

僕が会社ではみだし者なのは、疑う余地がない。

正しければ共感を得られるわけではないと知ったのは、何もこの会社に入って初めてというわけではないが、それでもなお、この会社に居続けようと心に決めたのは、この会社が初めてだ。

それはたぶん、僕が守ろうとしているものが、会社ではなく、鉄道でもなく、「まちの人の思い」だからなんだろう。

水島のまちに生まれ、水島の栄枯盛衰をひたすら走り続けながら見守ってきたこの存在に、まちの人々は時折、自らの半生や水島での出来事を重ね合わせ、その記憶を預けていく。

時に「盲腸線」などと揶揄されることもある、こじんまりした11㎞あまりの総延長の中に、80年近い時間と思いの結晶が、いくつもいくつも埋め込まれているのだ。

その結晶を守り、寄り添い続けることこそが責任であり存在意義だと言われても、大概の人には理解できない。目の前の収支、目の前の評価、残りの任期、そういうものに関心を戻すのが普通だと僕も思う。

だから僕は、はみだし者の道を選んだ。

会社からはみだし、まちへ出た。そこでまちの人たちに出会い、語り合い、共感し、自分の思いが正しいことを確認した。

いつかきっと、僕は会社からはみだし切って、追い出されるだろう。しかしそれは、このまちに全身をあずけてダイブするような、そんな気持ちでいる。

「遅くなった、さあ行こう。」

その時、僕はきっとそう言うのだろう。



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