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本日のサービス

よく「企業の役割〜」みたいな文脈で<モノ・サービス>って形で出てくるけど、サービスをモノと並列させることって、あまりよくないのではないかと思う。成果の大小が人の手によるところの大きいサービスは、特に。

#サービス について

今日、美容院に行った。そこで思ったこと。

私は半年くらい前に、行きつけの美容院を変えた。
前の美容院に不満があったとかではなく、どうしても切りたいタイミングでそこの美容院に空きがなかったので、仕方なく他のところを探すことになったのだ。(それまでそこの美容院には10年以上通っていた)

私の髪はかなりのクセがあり、自宅でのケアだけではどうしようもできなくなるくらいの剛毛だ。これまでずっと同じ美容師さんに見てもらっていたから、新しいところに行って適当に切られたりしたら嫌だな、と思っていた。まあ失敗したら、またいつものところで直してもらおう。

…そう思っていたら、意外にも新しく見つけた美容師さんが上手だったのだ。
以来、なんとなくそちらに通うようになってしまった。前の美容師さんには申し訳ないと思いつつ、今の美容師さんは切り方が上手なのか、毎日の髪のケアが本当に楽になったこともあり、月に1回ほど通っている。
新しい美容院を見つけることは、私が今年挑戦してよかったことの一つだ。

金額的には、今のほうがすこし高い。
でも、と今日髪をブローしてもらいながら考えた。

私の髪をこういうふうに切り、梳き、ブローをかけてくれるまでにこの人がしてきた努力を思うと、この数千円はまったく惜しくない。
前の担当さんと比較してうまい、とかそういう理由でなく、(うまく言葉にできないけれど)この人はこの人で価格に見合う、なんなら価格以上の価値を提供してくれていると実感する。
通う頻度も結構高い自分にとってはかなりの出費になるけど、もう千円高くても払えるな、と思う。

冒頭の話に戻ると、モノは品質が一定であることに、大きな価値があると感じている。特に日用品などの、その人にとっての「一点もの」ではないモノたち。
日本人は「高品質」が第一のコンセプトにあるような商品が好きだけど、モノの品質ってこれからはますます均質化していくんじゃないのかな。

だから<現場で><人の手で>つくられるサービスの多様性は、「モノ」がもつ均質性とは相反するものなんじゃないかと思う。

モノの世界のいく先は、「価格の低下」と「だんだん規模が小さくなっていくアップデート」が多いのかもしれないが、サービスはスキルかアイディア次第で次元を超えそうなところがある。

でもサービスの領域では同時に、消費者にも責任が生じる。
本当に優れたサービスを眠らせないために、価格を超えてその価値を都度、見いだせなければいけないんじゃないかと。

ただ今日わかったのは、「相場観」がないと価値はどうにも推しはかりづらい、ということだった。そのためにも、同じものにこだわるより、複数のサービスを体験してみてから考えられるようになると、一番よいのだと思う。自分にとってはもちろん、サービスの提供者を含むこの社会にとって。

最後まで読んでいただき、うれしいです。 サポートをいただいたら、本か、ちょっといい飲みもの代に充てたいとおもいます。