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『魂の光』解説年間講座 第4回レポート(前編)

『魂の光』解説年間講座 第4回のレポート前編です。

第3回のレポート後半で、魂の進化のステップの初期段階として、障害(真の知識を阻むもの)の性質についての知的な把握が必要、ということを説明しました。

第4回ではその「障害」について学びました。


9つの障害

『魂の光』では、魂を認識する上で障害になる要素として下記の9つが挙げられています。

1)肉体的無能
2)知的惰性
3)間違った疑問
4)不注意
5)怠惰
6)平静の欠如
7)誤った知覚
8)集中を達成する能力の欠如
9)瞑想的な態度を維持できないこと

障害1)は肉体に関することなので、克服法は想像しやすいですね。

障害2)~5)はメンタル体に関することとなります。
これらの障害を克服するには、十分にメンタル体を目覚めさせ、知的関心を発達させて、魂の修養の必要性を認識し、探究する能力を発達させ、思考を一点集中させ、そして魂の修養の必要性を知的に理解した後はそれを実践に移す強い意志を持たねばならぬそうな。大儀ですわね。

障害6)の「平静の欠如」はアストラル体に関係しており、物質的・感覚的なものを求める欲求です。克服するには、常に無執着で超然としており、財産や所有物が課す限定から自由でいるという態度であれ、とのこと。
煩悩まみれな現代人にとってこの障害の克服が一番ハードルが高そうですね。

障害7)の「誤った知覚」は「ものごとを正確に知覚し、ありのままに見ることができないこと」で、障害1)~6)から当然の結果として起こることです。
第2回のレポート前半に出てきましたが、秘教ではパーソナリティ(肉体/エーテル体・アストラル体・低位メンタル体)のレベルで知覚している知識なんてすべて虚偽である、としています。逆に言うと、障害1)~6)を克服して、肉体/エーテル体・アストラル体・低位メンタル体を統御することができたら、障害7)も克服できるということですね。

障害8)と9)も障害1)~6)が克服されていないうちは当然の結果として起こることで、魂と繋がった人間が生得財産を手にするための方法、とのこと。

うむ。自分的には、メンタル体を発達させて魂の修養の必要性を理解するところまでは努力でできそう(障害1~4)だけど、理解したところで魂に近づくための実行に踏み出すところ(障害5)が関門、そして無執着を達成する(障害6)が最難関、かな。


チャクラとの関係性

障害を克服するには、それぞれの障害に関係するチャクラ(センター)を浄化すると効果的のようです。

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そして、各々のセンターは言葉の使用(AUM)によって発達させなければならない、とのこと。
第3回のレポート後半で紹介した秘策「ジャパ瞑想」の出番ですね。


4つの錠と4つの鍵

心の清澄を保つための方法として、サッチダーナンダの『インテグラル・ヨーガ』に興味深いことが書いてありました。

4つの錠とは、「スカー」「ドゥッカ」「プンニャ」「アプンニャ」。
「幸福な人」「不幸な人」「有徳の人」「不徳の人」の意です。どんな人のどんな一瞬を取ってみてもそれは必ずこの4つの範疇のどれかに当てはまる、とのこと。

そして、これに対応する4つの鍵「慈(他の幸福を喜ぶ)」「悲(他の不幸を憐れむ)」「喜(他の有徳を喜ぶ)「捨(他の不徳を捨てる)」を持っていれば、どの錠に出くわしても、それに対応する鍵を差し出すことで心の清澄を保つことができる、と。

例えば、ある人がすごい車に乗って、宮殿みたいな彼の屋敷の前で止まり、そこで降りる。その光景を数人の人が見ていたとする。「見ろよ、すごい車だ。やつは労働者の血を吸っているのさ。」と言う人もいるだろう。だが、そんな風に嫉妬したところで、当の本人はちっともこたえやしないのだ、逆にこちらが自分の平静を乱しているだけのこと。
このように「幸福な人」という錠に対しては、「慈(友愛)」の鍵を使えばいいのだ。
「ああ、彼は果報者だなあ。どうか誰もがそういう喜びを得られますように。」と考えよ、とのこと。。。

まあ、心からこのように思えれば素晴らしいですが、このように思考する目的が「自分の心の清澄を保つため」だというところがまだまだ感ありますよね。

でも私も昔から同じような考え方をしていて、例えば「怒り」の感情ってすごい無駄だなあと思うのです。
怒りの感情の元には「嫌な事や人」があるわけですよね。嫌な人のせいで自分がネガティブな感情に陥らなきゃいけないなんて最悪じゃないですか?嫌な奴のためにエネルギー使っている場合じゃないと思ってしまうのです。
そういう訓練?をしていると怒ることが少なくなってくると思います。たまに沸々と怒りが沸いてしまうこともありますが、「ハッ!無駄無駄無駄無駄!」と心の清澄を取り戻すことができます。

人に対して優しいから怒らないというわけではなく、むしろ自分のためなんですよね。

感情どこ行ったん?

そもそも感情の起伏が激しいタイプではないのですよね私。爆発的に怒ることもなければ、なにかに熱狂することもない。例えば贔屓の球団の勝ち負けで一喜一憂している人がいたら「はー、そんなことでそこまで落ち込むなんて大変ね」と冷めた目でみてしまいます。大好きなアイドルに黄色い声援を送ったりするとかいう経験も皆無ですが、そこまで夢中になれる対象がいることは羨ましいなと思ったりはします。

なんだか冷たい人間のように聞こえますね。。体温も低いし、氷の国の住人なのでしょうか私。。

でもアストラル体の統御は得意なのかもしれませんね!


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