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『魂の光』解説年間講座 第2回レポート(前編)

今週は『魂の光』解説年間講座第2回からのレポートです。

「解説」を「解脱」に空目してしまうのは秘教病でしょうか。。

第1回目のレポートはこちら↓

第2回も、第1回に続き、パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』を解説している4つの本の内容を比較しながら進めていく形でした。


チッタのブリッティの分け方

チッタはサンスクリット語で「心」、ブリッティは「作用、動き、変異」のことです。
このチッタのブリッティをニローダハ(止滅する)ことがヨガであるとスートラに書かれています。

そう簡単に言われましても心の動きを止めることは容易ではありませんよね。

今日は心の作用を分解して見ていきます。まずは知らないと止めるに止めれませんからね。

『ヨーガ・スートラ』によると、チッタのブリッティは5種類あるとのことです。
そして2つにも分けられることができるそうです。


2つの分け方

ブリッティは「クリシュター」と「アクリシュターハ」に分けられるとのこと。
前回もご紹介した4つの『ヨーガ・スートラ』解説本での解釈の違いを見てみましょう。


同じようなことを言っているようで少しずつ違いますね。

サッチダーナンダは「利己的な思い」か「無私の思い」かに分けています。

苦で始まっても安らぎのうちに終わる思いもあるし、その逆もあるので、単純に思い=想念を「苦しいもの」と「楽しいもの」には分けれない、と言っています。

よって、「利己的な思い」と「無私の思い」に分けるとよい、とのことです。

「若かったあのころ~、何も怖くなかった~、ただあなたの優しさが~、こーわーかった~♪」

だれかを愛するということは楽しいことであるはずなのに、その思いがあるが故、不安になったり嫉妬にかられたり、「苦」の要素が出てきてしまいます。

なぜなのか?そこに見返りを求めるからですね。それが利己的な思いである限り、苦と楽は表裏一体です。

一方、アリス・ベイリーの『魂の光』では単純に「苦痛であるか苦痛でないか」で分けています。

でもまあ二つに分けたところで、どちらの思いも超越しなければ「心の作用を止滅」することはできないのです。
苦痛な思いを超越するのも難しいけど、快楽に無執着になるのはさらに難しいですよね。


5種類のチッタのブリッティ

チッタ(マインド)は5種類あるそうです。
「プラマーナ」「ヴィパルヤヤ」「ヴィカルパ」「ニッドラー」「スムルティ」の5つです。

それぞれの、4つの本の表現の違いをまた図にしてみます。


全部を比べていくと大変なので、大きく違いのあったところをピックアップしてみます。

「ヴィパルヤヤ」の部分です。
言葉の翻訳としてはみんな似たような感じですが、アリス・ベイリーの解釈がダントツで男前となっています。

サッチダーナンダと向井田さんはほぼ同じ解釈、比喩表現も一緒で、「暗がりでとぐろ巻きになったロープを見て蛇だと思って怖がること」としています。誤解なのに実際に怖がってしまうケースのことですね。

アリス・ベイリーの「ヴィパルヤヤ」の解釈が下記です。

存在の状態に基づかずに、形態の知覚に基づくもの。外的なものに基づく知識・推論・決断は真実ではない虚偽の知識である。低位能力を介して獲得した、形態様相に基づく知識はすべて、誤った知識なのである。

さすが魂ファーストの秘教、パーソナリティのレベルで知覚している知識なんてすべて虚偽であるのだとバッサリ。ブッディ界以上から得た知識でない限り全てはヴィパルヤヤとのことのようです。厳しいですね!

秘教のスムルティ

アリス・ベイリーの厳しい解釈をもうひとつ紹介します。
「スムルティ」は4つの本全部で「記憶」と訳されていますが、アリス・ベイリーの解釈が下記となっています。

すでに知っていることにしがみつくこと。様々な認識の集合に関するものであり、その認識には活動的なものもあれば潜在的なものもある。記憶とは知っている要素のいくつかの集積。物質的・感覚的・欲求・メンタル的なものがある。このような形の記憶能力はすべて捨てなければならず、もはや保持すべきではない。それはマインドの、思考原理の変異と認識しなければならない。

またもやバッサリ男前。1行目から厳しいお言葉。
しかし、潜在的な認識による記憶ってどうやったら捨て去ることができるんでしょう。意味がわからんとです。


光明雲隠れ

前回の講座で「魂と常時つながることができなくても、一瞬でもつながることができれば直観は得られるんだ!」と光明が差した気がしたのですが、とはいえ魂と繋がるまでの道のりがめちゃ遠いことを今回実感してしまいました。

心の動きを止めることがどういうことか理解すればするほど実践の難しさが増しますね。

ヨガや瞑想についてもっと勉強を進めていけば次の光明が見えるのでしょうか。


ヨガ二ドラー

少々話脱線します。

上の表で「ニッドラー」というのがありますね。「眠り」とか「睡眠」と訳されています。

なんか聞いたことある単語だな?と思ったのですが、だいぶ前に友達から「速攻寝落ちできるアプリあるよ」と言って教えてもらった、寝たまま(ベッドに横になったまま)行うヨガのアプリがあるのですが、それが「ヨガ二ドラー」でした。
(前は「寝たまんまヨガ」というアプリ名で、最近「cocorus」というアプリに変わりました。)

元々のび太くん並みにふとんに入ったらすぐ寝れちゃう体質なのですが、このヨガ二ドラーをやり始めると、秒で眠りに落ちてしまいます。
でもこれって寝ちゃったら瞑想的には意味ないんですよねきっと。

今度からできるだけ起きているよう踏ん張ってみます。

眠りと覚醒の間でうろうろしているうちに魂と繋がる瞬間があるかもしれないですしね!

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