Human-beingとHuman-becoming
「人間にできて、AIにできないことは何か?」
こんな問いをメディアで見ない日はなくなったように感じる。
子どもから大人までたくさんの人間が考え、なんならそれをAIに聞いてみたりもして。
AIは驚くほどのスピードで進化している。すでに多くの業務や作業を効率化し、日常生活にも欠かせない存在になっている。
そんな中、いま現時点でAIとのやりとりに多くの人が感じる物足りなさは「無機質さ」だろうか。
すると、私たちは無意識のうちに、「感情」や「共感」を求めているのだろうか。
もちろん、この方向にAIも進化していて、最近はChat GPTの高度な音声モードがかなり自然に話すようになったし、人間にしか見えない、あるいは人間ではないが生命を感じるアバターを持つ日もそう遠くないと思う。
では、「共感」や「感情」を感じさせるために何が必要なのか?
言葉の選び方? 視線? それとも声色? 温かい言葉が人を癒し、安心させるのは、単なる情報の伝達以上に、私たちの感覚に何かを伝える要素があるからだろうか。
もしかすると、私たちは思っている以上にシンプルな要素で共感や感情を感じているのかもしれないし、あるいは、もっと複雑な相互作用によって、私たちの感覚が共鳴しているのかもしれない。
ここで「何が必要で、何がなくてもいいのか?」という問いが浮かぶ。
この問いは、深く考えるほど、まるで迷宮のように私たちを引き摺り込むものだし、世界中で多くの研究がなされているのだろうと思う。
しかし、私にはそれを「要/不要」に分けること自体が、なんとも無粋に思えてしまう。
ここであらためて「人間にできて、AIにできないことは何か?」という問いと向き合う。
その答えは案外シンプルで
「人間(Human-being)にできるのは、
人間であろうとすること(Human-becoming)」
それだけかもしれない。
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