見出し画像

解体工事にホスピタリティ革命! を浸透させたい私の原体験

コロナ禍に家業を継ぎ2年で売上3倍10億円に


はじめまして。タミヤホーム代表の田宮明彦(たみや・あきひこ)です。

「課題が多いからこそ、チャンスがある業界」だと感じ、2年前の2020年、私は代表まで務めた不動産会社を辞め、コロナ禍目前で家業を継ぎました

代表取締役に就任後、タミヤホームは売上200%増加、約3倍の10億円企業に成長いたしました。今後さらに事業を拡大させ、100億円を通過点に、500億円企業を目指します。

タミヤホームは埼玉県所沢市に本社を置き、
・大手ゼネコン企業などから受託する「鍛冶工事」
・空き家などを解体する「解体工事」
この2本柱で事業を展開しています。

当社の最大の特徴は「解体業×ホスピタリティ経営」を掲げている点にあります。現場の親方任せではなく、1案件ごとに営業担当を必ず配置するなど、業界慣習的には珍しい体制を敷いています。

その分、人件費率は上がりますが、それでも外せない要素としてこだわりを持っている理由は、お客様のご要望に漏れなく迅速にご対応できるようにするためです。

タミヤホームのさらに次の成長フェーズでは、お客様の解体工事後に待ち受けるお悩みを解決すべく「解体工事コンシェルジュ」サービスへビジネス領域を広げます。空き家売却の仲介や相続、建て替え、FP(ファイナンシャル・プランナー)目線の資産運用などのご相談に乗ることで、お客様のお悩みをすっきりと解決していきます。

これも、ホスピタリティ経営を考えた延長線上にあるサービスといえます。

タミヤホームがなぜ「ホスピタリティ経営」にこだわっているのか、私の原体験を交えながら、そこからつながる今後のビジョンまでお伝えします。

不動産企業で代表取締役を経験。そのまま進めば順風満帆だったが……

 
子どもの頃は2トントラックの荷台が遊び場。休日は、私と兄が父に連れられてトラックでドライブに行くこともありました。

父は大工で、私が3歳のときに独立し、田宮建設の母体となる会社を設立しました。タミヤホームはその後1997年に設立されました。

 中学生の頃から建設現場で手伝いを始め、高校・大学時代も学業のかたわら職人として働きました。若手の職人が怪我で入院したときはお見舞いに行ったことも。タミヤホームには現在、当時からの職人も在籍しています。

 田宮建設は兄が継ぐことになっていたため、大学卒業後は、慣れ親しんだ建設に関わりのある不動産業界の営業職に。かつて建設現場の手伝いをしていた頃、どうやって家が建つのか興味を持っていたのです。それが、建築会社の依頼主である不動産会社への関心につながりました。

 不動産営業は成績がすべての世界です。自分の努力次第で昇進できる点にも惹かれました。それで、首都圏や東海圏で建売住宅をあつかう不動産会社に就職することになりました。

ところが入社当初はまったく思い通りにいかず、お客様から「お前はセンスがない、帰れ!」と罵倒され、悔し涙をこらえたこともありました。

 そのお客様には手書きのお手紙を書くなどして徐々に信頼を得ていきました。信頼関係を積み重ねることを意識し続け、5年目にはその会社史上、最年少で支店長に抜擢。

最年少の主任、課長、所長などを経て8年間務めたのち、注文住宅を扱う新会社の立ち上げにともない、移籍してさらに8年。関連子会社の取締役や代表取締役、公益社団法人全日本不動産協会の役員などを務めました。

略歴
・2005年 不動産建設系企業(大手上場企業グループ)入社
・2017年 都内不動産建設系企業 代表取締役就任
・2020年2月 有限会社タミヤホーム代表取締役就任

コロナ禍直前に事業承継。お客様ほぼ0からの船出


2020年にタミヤホームを事業承継し、代表取締役に就任。まさかその直後、コロナ禍に見舞われるとは想像もしていませんでしたが……。父がタミヤホームをたたむつもりだと聞き、考えた末に、事業を買い取りました。

 もちろんそのまま不動産業界に残り、キャリアを重ねる選択肢もありました。下請け仕事で、3K職場のイメージもある建設業界。ただ、不動産業の仕事を通じて俯瞰して解体工事や鍛冶工事を見てきた中で、解決すべき課題が多く、逆にチャンスだとも感じていました。

 一方で、当時20名ほどいた職人や事務員のことも気がかりでした。彼らに対する責任をまっとうしたい。親から会社の看板を預かり、社員たちを守りたい。そのためにはタミヤホームを中長期で成長させる必要があるーー。2代目として家業を継いだ上で、成長を目指す決意をしました。

 ただ、先述の通り継いだ直後はコロナ禍に見舞われた上に、いちプレーヤーからの再スタート。コロナの影響で取引先はほぼゼロから始まり、提携先企業もなく、トップセールスをかけるしかない状況でした。当初は移動用のクルマすらなく、ケータイ電話とスーツがあるのみ。会社案内のパンフレットも当時はなかったのです。

しかも私の妻は当時、第一子を妊娠中。にも関わらず、一つひとつパンフレットを封入する作業を手伝ってくれました。私はそれを1件1件、足で回って投函していったのです。

移動は基本、レンタルの軽トラックや電車。まさに靴底をすり減らして、ドロくさく飛び込み営業から始めました。ヘルメットを被って請負先の建設現場に顔を出し、徐々に職人からの信頼も得られるようになっていきました。

現在はおかげさまで、営業をしなくとも評判でご依頼をいただけるまでになったのです。事業承継前の年間売上高3億円ほどから、約2年間を経た現在は売上10億円まで引き上げることができました。

 ホスピタリティ革命を注入! 16年間感じてきた業界の課題を解決したい

 
不動産営業時代の16年間で解体業界と接する中で感じていた課題がいくつかありました。現場監督が営業を兼任しているケースが多いため、連絡が取りづらく、見積もりなどの返事は遅い傾向に。周辺住民からのクレームが直接、施主さんにいってしまうことがありました。

この経験から、クレームや見積もりのやり取りなどすべての窓口業務を営業が担う体制を整え、即時対応できるようにしました。クレームを営業がすべて一手に受け止めるため、施主さんを困らせることもありません。

 ただしこのように、営業担当者を増やしてサービスを厚くしても受注金額の総額は変わりません。当然その分、利益に対して人件費率は高くなります。

しかし、解体業界をより良くしたい、顧客満足度を高めたいとの想いから、このような体制にしています。おかげさまで良い口コミが伝わり、評判を聞きつけてお声がけいただけるまでになりました。お客様が宣伝してくださっているようです。

私はお客様の喜びにフォーカスしています。お客様の喜びがひいては、社会や世の中のためになるに違いない。そう信じて人に投資をしているのです。

私たちのようなホスピタリティの考えを持つ会社が少しでも増えてくれればと願っています。解体業界のイメージをもっと良く変えていきたいです。ホスピタリティ革命の幕開けです。

 社内メンバーも重視するホスピタリティ経営の哲学

 
ここまでお伝えしたように、経営の上では「ホスピタリティ精神」を重視しています。特に社内に対しては徹底しています。意外に思われるかもしれませんが、前職時代までは、社外の方とばかり飲んでいました。いわゆる接待交際です。今は完全に真逆。会食は社内のメンバーとしかしません。

社員に対しては、年始にお酒をプレゼントしたり誕生日メッセージを贈ったりして手厚く気にかけています。まだまだ創業期ですから、社内メンバーへの気配りとビジョンの共有はとても重要だと考えています。

 仕事で遅くなった社員を自宅までクルマで送ったり、工事現場に直接お弁当を差し入れたりすることも。事務所や現場ではつねに、社員に心配りをしています。

また、私の妻の実家が農家で、メンバーから有志を募って田植えや収穫を手伝うことも。そのお米を買い取ってタミヤホームのネーム入りの贈答品として、お得意先のお客様にお贈りしています。

田宮のネーム入り贈答米「心をコメて米」

こうした取り組みも「ホスピタリティ経営」の一環です。ここまでホスピタリティにこだわる理由には、ある原体験があります。

2ヶ月入院。大病を患った5年前のターニングポイント


5年ほど前の32歳、仕事をし過ぎて大病を患いました。それまで睡眠時間を削って休まず仕事をし続けていたのです。接待の場に通い続けた結果、重い肺炎を発病。ずっと治らず、2カ月も隔離生活で大学病院へ入院することに。

入院前までの私は、自分のことばかり考えている人でした。部下をおざなりにし、表面上でしか理解していませんでした。夜の会食ばかり優先し、自分の成長や、描いた目標達成のためだけに生きていたと思います。

入院は、それまでの仕事観と人生を立ち止まって振り返る機会になりました。本をたくさん読み漁り、多くの学びを得る時間になったのです。

帝王学の『貞観政要』、パナソニックの創業者・松下幸之助さんの書籍。中でももっとも感銘を受けたのが井上篤夫・著『志高く 孫正義正伝』でした。

「世の中のために役に立ちたい」「志高く、使命を全うしたい」と本気で思えた内容でした。現在、タミヤホームがホスピタリティの考え方に全振りしているのは、井上篤夫・著『孫正義 事を成す』に大きく影響を受けたからです。その精神を引き継いでいます。

今もなお「まだ何も成し遂げていない」とおっしゃる孫正義さん。孫さんの発する一語一句は、深く胸に刺さります。これらの金言を糧にすることで私は、夢の実現に向けて走り続けることができます。

それらを学び、これまでの経験から得た知見と合わせて集約した考えが「みんなの長所を活かすことの重要性」「ホスピタリティ精神」です。

 高校時代はラグビー部の主将を務めていました。適材適所で「みんなの長所を活かすことの重要性」は、そのときに培い、学んだものです。

退院後は心を入れ替えて「どうやったら人が離れていかない組織にできるのか、衰退しない会社を作れるのか。もっと世の中に貢献していきたい」と意識が変化し、決意を新たにしたのでした。

解体業界のコンシェルジュ役に

素晴らしいと思えた接客や感動するサービスに対して人は、自ら進んでお金を支払いたい、また体験したい、と思えるものです。

「誰と何をするか」「いつどこで、どうするか」が人生を大きく変えます。

例えば、5つ星ホテルのサービス、予約が困難な一流のレストラン、一見さんお断りの飲食店ーーこうした場では、期待を超えるパフォーマンスやおもてなしを提供してくれます。その感動は、人生を変える力があります。

そこで受けたサービスに相当する感動を提供できるような「コンシェルジュ役」を私たちの携わる業界で担いたい。入院を通じて、それこそが私の使命だと考えるようになりました。ひいては解体業界や職人の世界に革命を起こしたい、お役に立ちたい、と。

「何なりとお申し付けください。私たちが解決をお約束します」ーーこうお伝えしてお客様に喜んで頂けるように努め、ホスピタリティ精神をもって対応したいとつねに胸に刻んでいます。

現在は会食の誘いなどを断り、真摯に仕事へ向き合っています。解体業界を変えたい。世の中に貢献したい。喜んでいただきたい――常に志高く願い、自分に与えられた使命を全うし続けます。

経営者や起業家でなく「事業家」田宮明彦として。

子どもたちの未来のためにも空き家問題は放置できない


先述の通り、解体工事を入り口に今後は、空き家の土地売却の仲介や相続問題、建て替え、資産運用などのご相談を請け負う事業を展開していきます。

当社の営業スタッフはすべて不動産業界出身で、不動産関連の資格はもちろん、FP(ファイナンシャル・プランナー)の資格も持っています。

さらに不動産鑑定士や公認会計士を組織に迎えていきます。今までこのような解体業者はいなかったのではないでしょうか。この発想も不動産営業の時代に業界を見てきたからこそ分かる課題です。解体を終えたあとの施主には相続の問題が控えていることが多いですから、悩んでいる方は多いのです。 

その課題を解決するため、ご相談を受けることができるプロフェッショナルを揃えていき、お客様の土地・建物に関するお悩みに応える「解体コンシェルジュ」サービスを拡大していきます。実はすでに『解体工事コンシェルジュ』『解体コンシェルジュ』で商標登録済みです。

私には2人の子どもがいます。まだ小さく幼い子どもが勝手に空き家に入り込んで遊んでしまう危険性は十分考えられます。もしかしたら、サビ付いてむき出しになった釘を誤って踏み抜き、大怪我を負ってしまうかもしれません。老朽化したトタン屋根が剥がれて吹き飛び、誰かを怪我させてしまう可能性もあります。

 安全で暮らしやすい地域を作りたいと願うのは、子どもたちの笑顔が浮かぶからです。安全で暮らしやすい地域のためにも、子どもたちの未来のためにも、解体工事を通じてよりよい街づくりに貢献していきたいです。

先述の大病のほかに、私の人生が大きく変化したもう一つのきっかけとして、2人の子どもが誕生したことも理由に挙げられます。

「いったい、誰のためにがんばるのか」
それは、どんな時も味方でいてくれて、支えてくれている妻のために。
子どもたちのために。

また、タミヤホームを選んでくれた社員や家族のために。
タミヤホームに関わる職人、さらに、その家族のために。
タミヤホームを応援してくださる全ての方々のために。

私は、みんなの想いを背負っています

 タミヤホームを土台に、関わる人すべてに価値を、社員には生きがいを提供していきたい。みんなが笑顔になる社会づくり、社会がよりよくなる街づくりを実現するためにホスピタリティ精神を持ち続け、事業に取り組んでまいります。

大きな想いや夢が、
今日も私を突き動かす原動力となっています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?