贖罪 空

【小説】

 

「秋がいちばん好きかな」
「季節が変わるたびにそう言ってるよ」
「そう?」と表情筋を弛めて少し不機嫌な顔を見せ、「それでも秋がいちばん好き」と彼女は空を見あげる。

 見あげる空は雲ひとつない紺碧の空間だ。真っ暗な宇宙の闇に、太陽光線のプリズムが大気中の青色を拡散させ、塵や埃など拡散を遮る不純物のない状態が、高純度の青を生成している。
 僕らは高原にドライブに出かけ、彼女の作ってきたサンドウィッチを食べている。
 一緒に暮らすようになって三年目の秋だ。この頃は生活習慣の違いや価値観の相違なども互いにしっくりと馴染んで、とても心の休まる良好な関係を築いていた。

「わたしがあなたのいちばん好きなところを知っている?」
「さあ、なんだろう。わからないな」
「少しは考えてよ」
「うむ、じゃあ、積極的に料理をつくるところ」
「んん、そういうことじゃなくて」
「では、消極的だけど洗濯物をたたむところ」
「ハハ、確かにそれはうれしいけど、きれいにたためないんだよね」
「わからない、降参するよ」
「あのね、公平なところ。誰に対しても公平で、それってすごいことだと思うんだ」
「そうかな。意識したことないけど」
「そうだよ。わたしはあなたの公平さを尊敬してるし憧れる」

 僕は決して公平な人間なんかじゃない。ましてや彼女の尊敬や憧れに価するわけがあろうはずもない。僕は極度に利己的な人間ですぐに他人を傷つけてしまう。ただ、それをわかっているからこそ、必死にそうした性質を隠して生きているだけなんだ。いま思えば彼女にさえ僕は、どこまで本来の自分をさらけ出していたのだろう。彼女と過ごしていたときの僕はいったい誰だったんだ。

「それもほんとうのきみだったと思うよ」
 もうひとりの僕が言う。
「そうかな。じゃあ、その後の僕はなんなのだろう」
「それもきみだよ。どちらもほんとうのきみだ」
「わからないな。ふたりの僕が同一人物だとはとても信じがたい」
「いいかい、人間ってものは複層的で多面的な存在なんだ。ある側面だけが実体だなんてことはない。阿修羅と同じさ」
「阿修羅……」

 高校二年の秋、修学旅行で奈良へ行き、興福寺で阿修羅像を前にしたとき、僕はしばらくその三つの表情に見入った。そして僕のなかの三つの顔とはどんな表情をしているのだろうかと考えた。建物の外へ出ると真っ青な空が待っていた。シアン100パーセントの混じりけのない青だ。

 

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