贖罪 癖

【小説】

 

「まだ色は見えますか?」

 白衣を羽織った院長が僕の表情を推し測るように訊ねる。

「ええ、見えますよ。先生は相変わらず少しくすんだ紫です」
「そうですか。色は人によって決まっているんですか?」
「そうですね。ベースの色があって、ときどきの感情に応じて多少変化します」

いつもと同じ会話だ。

「そうですか。では、動悸はいかがですか?」
「先日、僕が殺した彼女によく似た人とすれ違って、激しい動悸がしばらくやみませんでした」
「ほう、そうですか。あなたが傷つけたと思われている人に似ていたのですね」
「はい」
「そのとき、どう思われましたか?」
「そうですね。昔の自分に会ったような懐かしさと同時に、怖さを感じました」
「怖さ、を」
「はい。怖くて逃げ出したいのに、確かめたくてしょうがない」
「何を確かめたかったのでしょうね」
「……わかりません。何かを、です」

 少し強めのクスリを処方してもらい、高層ビルの中階にあるクリニックを後にして、僕はやまない雨のなかを赤坂見附方面へと歩く。夕方の薄闇にタクシーが早めにライトを点け、何台も通りすぎていく。歩く人たちは早い秋の訪れに戸惑うよう薄でのカーディガンやジャケットを羽織ったり手にしていたりとさまざまな出で立ちだ。でも、僕と同様、誰も傘をさしていない。

「何を確かめたかったのかな」
 もうひとりの僕が言う。
「わからない」
「ほんとはわかっているんだろ」
「…………」
「ほんとのところは誰にも触れられたくないわけだ」
「いやなヤツだな」
「傷の治り具合を確かめたかったのだろう?」
「…………」
「大きな傷だ。かさぶたができて、外れたかと思ってもまだなかはジクジクと膿んでいる。何度、かさぶたが取れてもそのくりかえしだ」
「いやなヤツだ」
「でも、それは彼女の問題であって、きみの問題じゃない」
「何が言いたい」
「人と人はどこまでいっても他人だ、ということさ」

 地下鉄に乗ってターミナル駅へと向かう。今日はもう仕事をする気分じゃない。少しだけアルコールを入れよう。馴染みのバーで馴染み客やマスターとまったく関係のない話をしよう。色のことやクスリのことや彼女のことやもうひとりの僕のことと、まったく関係のない話を……。

「それ、前から思っていたんですけど、癖ですよね」

マスターがグラスにワインを注ぎながら語りかける。

「癖? 何がです?」
「その右手の指先で、頬を下から上へと撫でる仕草です。こんな風に」

マスターの仕草を見て意外に思った。そんな癖があったのだろうか。

「そんなことしてますか? 気づかなかったな」
「何か考えごとをしているようなときに、よく見かけますよ」

僕はその仕草を何度かくりかえしてみて、はたと気づいた。

「それは僕の癖だよ。正確に言えば、僕の癖だった」
「そうだね。いつの間にか、きみの癖がうつっていたようだ」
「きみがやってたのかな?」
「え、どういう意味?」
「その仕草、僕がやってたのかもしれないよ、きみの右手を使って」
「まさか」
「まあ、どっちでもいいけどね」

 トイレに立ち用を済ませ、鏡のなかの痩せこけた貧相な男を見る。頬の肉が削げ落ち、目がやたらとギラギラしている。かつてのどの時代にもいなかった見知らぬ表情をした僕が僕に問いかける。

「おまえはいったい、誰なんだよ」

  

前回を読む

続きを読む

マガジン

 

tamito

作品一覧

#小説

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?