贖罪 池

【小説】

 

「殺したわけじゃないさ」
「殺したも同じだよ、そして僕も一度死んだ」

「ほんとうに死んだのは僕だけさ、きみも彼女も実際には死んでない」
「うむ、それを言われればその通りだけど」
「でも、僕はきみの頭のなかでこうして生き続けてる、幸か不幸か」
「幸か不幸か……どっちなんだ?」
「いまのところ、幸かな」
「ならよかった」
「あくまでも、いまのところ、さ」

 吉祥寺の街は小さくて安心する。ホッとすると言い換えたほうが気持ちにより馴染む。週末の人出も都心のターミナル駅に比べれば十分の一にも満たないから、色の洪水にめまいを起こすこともない。それに公園がすぐ近くにあるのがいい。喫茶店でコーヒーを飲むのに飽きれば公園のベンチで本を読める。本を読むのに飽きたら池の鴨を眺めればいい。夏でも渡り損ねた鴨が数羽いて、たまに池から陸にあがって僕の足下までペタペタと歩き来て、しばらく目が合うことがある。たぶん彼(または彼女)はなにか食べ物がほしいだけなのだが、僕はたいていの場合、あげられるものを持っていない。それに、一年ほど前から公園には立札がたてられている。

〈池の鴨や鯉にエサをあたえないでください〉

生態系を壊すからだと言う。でも僕はこの二十年間、この池の畔で実に五百袋近いコメ菓子を鴨や亀に与えてきた。それをいまさら生態系を壊すと言われるならば、その主犯は僕だよ、と言わざるを得ない。

「その犯行には僕もだいぶ加担したよね」
「ああ、きみもよく一緒にいたね」
「でも僕よりも彼女のほうが罪が重いよ。きみとずっと一緒にいただろ?」
「そうだよ、だからしばらくは公園には近づかないようにしていた」
「でも最近はよく来るね。もう大丈夫なのか?」
「50%かな」
「どういう意味で?」
「うまく説明できないけど、たぶん、分岐点なんだと思う」
「どちらに転ぶかわからない」
「そう、どちらに転ぶかわからない」

 彼女はコメ菓子を一対一の割合で半分を鴨に与え、残りの半分を自分の口へと運んだ。
「わたしだって、コメ菓子好きなんだから」
 彼女がコメ菓子の袋に手を入れガサゴソとするたびに鴨たちは待ち受ける。でも二回に一回はエサは降ってこずに長い黒髪の女の子に食べられてしまう。僕はそのたびに鴨の気持ちになって、ああっ、と残念に思う。
 そして、いま僕の足下にいる鴨は、もしかしたら彼女のことをなにか知っているんじゃないか、と考えたりしている。

 

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