ハイキックの少女(仮)⑤

【小説】

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僕は薄れゆく意識のなかで、激流に飲み込まれる夢を見た。いや夢と言うにはあまりに生々しい息苦しさで、このまま溺れ死んでしまうと思いつつ、僕は闇への扉を開けた。

そこは光の欠片さえない完全な闇で、北も南も、天と地でさえ不確かに思えた。一歩踏み出せばそこに地面はなく、奈落の底へとどこまでも落ち続けるかもしれない。それでも僕は恐る恐る右足を出し、地を確かめては左足を出した。

そして真っ暗闇のなかを僕は歩き始めた。進むべき方角も足下の道さえもわからないまま、とにかく「前」へと歩き続けた。どこまで行っても灯りひとつない完全な闇だった。どんなに目の前に近づけても自分の手さえ見えない。

もしかして僕は身体をなくしてしまったのかと、手であちこちを触ってみて初めて、顔も脚もあることを知り少しホッとした。

さらにしばらく歩き続けると、前方に微かな白い点が見えた。塵のように小さくともすれば消え入りそうな点だ。だけど、僕にはそれが目の前にあるのか10キロ先にあるのかさえわからない。

僕はその白い点を手で払おうとしたが、触れることはできなかった。それで至近距離にあるのではないことがわかった。

僕はその白い点を目指して歩いた。さっきまでの完全な暗闇とは気持ちの有り様がまったく違った。その極めて小さな白い点の存在が僕を勇気づけた。

どれほど歩き続けたかもわからない。闇は時の概念を消失させる。白い点は少し大きくなった気もするし、気のせいかもしれなかった。

僕は走り出したい衝動を抑えて、一定の歩調で歩き続けた。

もうどこに向かっているのかも、歩いているのかいないのかも、生きているのかいないのかも、何もかもわからなくなってきて、僕は目だけの存在になって、白い点を見つめていた。


レティシア

ふいに言葉が浮かんだ。あれ?レティシアって何だっけ。なんだか懐かしいような心休まるような言葉だ。目がちくちくする。そうか、僕は泣いているんだ。

僕は声に出してみた。

「レティシア」 

声は思うよりも小さく、そして震えていた。

ただ、胸のなかのどこかが少しだけ温かくなった気がした。

「レティシア!」

今度ははっきりと大きな声で言葉を放った。

すると白い点が凄まじい勢いで僕に向かってきた。

近づくとそれはタテに長細く、まるで闇の向こう側の光がタテ長の隙間から漏れているように見えた。

その隙間に僕は目を近づけた。そこは…。

そこは、地獄だった。


ごく普通のリビング。ソファーとテーブル、壁際に置かれたテレビ。窓にはベージュのカーテンがかかる。ここに家族が集まり夕食をともにし、今日一日の出来事を話し、笑いあい、励ましあう。

そんなリビングが血にまみれ、悲痛な叫びに満ちている。

二匹の鬼が両親と小さな女の子を襲い、身体を引き裂き、腕や脚を引き抜き、目玉をくり抜いては口に運んでいる。

僕は思考停止の状態で小さな膝を抱え、その惨劇を凝視している。涙を流し、口に手をあて、全身が小刻みに震えている。

声に出さずに叫び続ける。

〈お父さん、お母さん、ちひろちゃん。誰か助けて!助けてよ!みんな死んじゃう!誰か助けて!〉

あたしは気が狂いそうだった。もう見たくないのに、目を背けることができない。

いまにも叫び出しそうな悲しみと恐怖が、喉元までせりあがって、もう限界だった。

そして、一匹の鬼の目があたしの視線を捉えた。近づく鬼の後ろで、お母さんが叫んだ。

「やめてー!ミナちゃん、逃げてー!」

悲しみと恐怖に覆われていたあたしのなかに、小さな怒りが芽吹いた。やがて怒りは血管を通じて全身に満ち、血が沸騰した。

鬼が目の前まで迫り、引戸をガラリと開けた。

なんて醜い顔。瞳の奥には闇しか見えない。

あたしはこれまで出したこともない大きな声で叫びながら、鬼に掴みかかった。

その時、青い光があたしを包んだ。



気がつくと僕は夜の公園を歩いていた。

灯りが少ない。やっぱり近道をせずに大通りを行けばよかった。少し後悔をしながら歩を早めた。

何かあれば闘ってやる!そのためにこれまで技を鍛えてきたんだ。

あたしは闇への不安に呑まれないよう、闘争本能を心に育てながら歩いた。

少し闇に目が慣れてきた。あたしは月灯りのない夜の草原をゆく獣のように先々に目を凝らし、耳を澄まして、気配を感じとった。

その時、女の人の悲鳴が聞こえた。大きく長くひとつ。続いて小さく断片的にふたつ。数人が争う気配がある。20メートルほど先、右手の暗がりだ。

心臓が早鐘を打った。恐怖心と闘争心が一瞬にして全身を満たし、総毛立ったうぶ毛の先からチリチリと何かが溢れた。

あたしはその場所へ全速で走った。

視覚が捉えた。三人の男が女性を襲っている。

あたしは全速のまま速度を緩めずに左足で踏み切ると、一人の後頭部と背中にキックを決めた。

二人が立ちあがり、こちらを振り返る。

あたしはハッと息を飲む。鬼だ。あの時の鬼だ。姿形は違うが、あの時の鬼と同じ種類のヤツであることは間違いない。

三体があたしに襲いかかる。あたしはキックで応酬するが、木の枝が邪魔をして有効打をうてない。

一体が後ろから、あたしを抱きかかえるように捕まえる。

さわるな!

あたしのなかの闘争本能が限界値を超えた。

あたしは青い光に包まれて意識を失った。


「おじさん!」

「おじさんも闘ってよ!」

北川ミナの声だ。

視覚が目の前の仏像のようなヤツを捉える。闘っている。僕が?

「いつまで気絶してるの!」

無自覚に闘う僕の身体の内から、北川ミナの声がする。


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※全7回、週一回更新予定です。


※本作は、マガジン『闇との闘い!』に掲載した以下の作品の続編です。

真昼の決闘

3分間の決闘

決闘!ヒーローショー』(全3回連載)


tamito

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